16話裏 桜花/糸の切れたお人形

 映画を見ているような気分。

 ふかふかのシートに座って、空調が効いて、薄暗くて、……そして目の前にカーテンがある。

 カーテンが開くと、物語が始まる。この空想の中で、そんな、自分を引いてみるような気分の中で、切り離さないと再起できないような、そんな紅色の中で、その画面の中に映っていたのは、一人の女の子。


 桜花として生まれ。

 藤宮桜花として育ち。

 藤宮桜として近頃、甘やかされて。


 そして、兎を追いかけなくてはいけないような気がして、良く知りもしないで異界に踏み込んでしまった少女。



 ………桜花には、覚悟が足りなかった。


 *


「ああああ!?ああ、あああああああ、あああああああああ!?」


 一人目。そう、戦争が始まってしばらく経って運び込まれてきた一人目。

 運びこまれてきたオニ。静視に耐えない。赤い。腕………。奇声を上げ暴れまわる彼を季蓮さんが、他の皆が運び、ベットに寝かせ、押さえつける。


 私は、その光景をただ見ていた。動かなくてはいけないと思う。どう動けば良いかは、ちゃんと教わった。難しい事をする必要はない。ただ、道具を、運ぶだけ。


 怪我をした人を助けるって、だから私は、それくらいならって、でも、だから、私は、…………。


 私は、何が出来ると思っていたんだろうか?


 想像はしていた。でも、想像に過ぎなかった。怪我をしたオニが暴れまわっている。それを、皆が押さえつける。腕。ない。振り回されて。


 血が。飛び散って。すぐ傍で。降りかかる。血の匂い。頬に赤い、熱い液体が―――。


 フラッシュバック。

 目の前で引き裂かれた、護衛のヒト。鋼也に助けられた時のこと。今はでも、駆けつけてはくれない。私の命に危険があるわけでも無い。


 ただ、安全なところで、ただ、見ているだけで、痛いって、苦痛が、悲鳴が―――。


「桜!」


 季蓮さんが私を呼ぶ。続けて、薬剤と道具を告げる。運んで来いって事だろう。わかる。わかってる。私が自分で選んだ。わがままを言って踏み込んだ。でも、だって、けれど、私は………。


「何も考えるな!動け!」


 いつになく、季蓮さんの語調が強い。突っ立ってただぼうっとしてるだけじゃ、駄目だ。

 わかる。わかってる。痛そう。涙が。なんで。私は、どうして……。


「桜!」

「……ッ、」


 もう一度、怒った様に名前を呼ばれて、それで私は漸く、動き出した。

 何も考えてはいけない。何も考えてはいけない。何も考えてはいけない。

 ただ、言われたとおり、出来ることだけをやり続けよう。


 私が選んだんだ。

 見るって。鋼也や、扇奈さんの居る世界を、見ようって。だから………。


 *


 女の子は一生懸命だ。

 一生懸命じゃなきゃ耐えられなかった。

 画面から漂ってくる。血の匂い。消毒液の匂い。

 悲鳴を聞かなかった事にして、ただ指示の声だけに耳を傾けて。


 ただ、行動だけを続ける。青い顔で、泣く手前の顔で、唇を引き結んで。


 私は“今”そうしていて。

 そうしている“私”を私は見てる。


 大丈夫。何にも考えずに、ただ言われたとおりに動くのには慣れてる。


 だって私は、結局、今もほら………“桜花”だから。

 だから、画面の中の少女は、とてもよく働いている。


 *


 血。

 悲鳴。

 消毒液。

 鉄の匂い。

 次から次と。

 自分で決めた。

 戦争で傷ついて。

 歪んでいくような。

 心地は無視して動く。

 私の怪我じゃないのに。

 痛みが見える。痛いって。

 泣いてる。叫んでる。足が。

 急に静かに。わかりたくない。

 季蓮さんの声。動けと。次、と。

 助かる奴を助けろ、と。その人は?

 横に。幌に。詰み上がって。まるで。

 まるで?私は何を考えようとしている?

 何も考えてはいけない。選んだのは私だ。

 見ようと。見なければいけないと。だから、

 想像はしていたけれど。どうして。こんなに、

 時間が経つ。私は動く。何も考えてはいけない。


 助けるんだ。助けるんだ。助けるんだ。助けるんだ。助けるんだ。助けるんだ。助けるんだ。助けるんだ。助けるんだ。助けるんだ。助けるんだ。助けるんだ。助けるんだ。

 ……助けて。

 選んだのは、私なのに。


 血が悲鳴が苦痛が怪我が腕がなくて足がなくて急に動かなくなって呼びかけても何も答えなくて皆がその人を運んでいって季蓮さんの声がして何も考えられなくてただ言われた通りに動いて全部全部見ながら見ないようにして何も考えないようにしてずっと、ずっと、ずっと、私は機械みたいに人形みたいに悲鳴の真っ赤なカーテンコールで裏方として踊りまわり痛くて見たくなくて心は静めなくちゃ沈めなくちゃ泣いたら駄目だ泣いたら動けなくなる次から次と新しくだから欠損した人形があははなんで私は一体何を期待していたんだろうか?

 どうなると思っていたんだろう?何を考えていたんだろう?

 皆。優しかったんだ。やっぱり、私は、平和なところに居た。

 一歩踏み込んでしまったらもう。壊れたモノを見て私が壊れそうだ。


 鋼也。

 助けて。

 連れ出して。

 無駄だ。いない。

 鋼也はこの世界に居る。

 もっと酷いところで、命を賭けて。

 

 ………居なくなるかもしれない?

 ベット。静かになった、そこに横たわる人。それが、だから。

 そうなるかもしれないって。私は、漸く。


 立ち止まってしまった。

 季蓮さんの声は届いている。

 次の指示が来る。わかっている。何をすべきか、教わっている。

 でも、体が動かない。

 ふと。

 ふと気付いた。

 私の手。私の服。私の顔。ぬるりと暖かくて、固まっていて。

 赤くて。赤くて。赤くて。赤くて。赤くて。赤くて。赤くて。赤くて。赤くて。

 

 パチン。

 頬が痛い。怒られちゃった。季蓮さんだ。邪魔だったかな。

 目線を上げる。季蓮さんの目が、凄く、優しかった。


「……外で休んでなさい。もう、良いから」


 はしごを外されてしまったんだろうか。ただ突っ立ってて邪魔だから。

 いつもなら。別のことなら。私はもっと頑張るって。でも。


 手足が糸に吊られているような、そんな気分だ。だから、なんで、私が動いてるのかわからないけれど、誰かに操作されているような、そんなギクシャクした動きで。


 私は、救護テントの外に歩いて行った。

 悲鳴と絶命を背に。血だらけのオニが運び込まれてくる、その横を、色のない、固まった返り血の付いた顔で、お人形の様に歩いて。



 *

 

 画面の中の少女は、テントの外に現れる。

 本陣の中だ。本陣の中だと言うのに、そこら中に竜の死骸が転がっている。

 ここまで、竜が攻めてきたのだろうか?


 その位のことは想像してもいいはずだと言うのに、それら竜の死骸が目に入っているはずだと言うのに、画面の中の少女は何も見えていないかの様に、ぼうっと、立ちすくむ。


 赤と白の世界。

 ただただ、ぼうっと。


 *


 どのくらい経ったんだろうか。

 ふと気付くと、私は、救護テントの外に立っていた。


 空は、いつの間にか曇天になっている。だから、今が大体何時か、とか、太陽の位置で計るって鋼也に教わったけど、でも、今が何時だか良くわからない。


 ぐちゃぐちゃだ。ぐちゃぐちゃ。


 何かを考えようとすると、さっきの惨状が脳裏をよぎる。何時間あの中にいたんだろう?思い出せない。思い出したくない。それで、私は、ぐちゃぐちゃに……。


 鋼也の忠告を聞いておくべきだった。変な意地を張る意味なんて、あったのかな。

 私はどうして……何が出来ると思ってたんだろう?


 見なきゃいけない気がした。今に熱中しようとした。考えたくない事から逃げて、変な使命感をもって………でも、逃げた先に、私は……何があると思ってたんだろう?


 ふと、膝が抜けた。力が入らなくなった。

 糸が切れたような気分で、私は座り込んでしまう。

 座り込んだら、もう立てない。そんな気がする。そんな気がしたのに、我に返ってしまったら、私はもう、立っていられない。

 

 救護テントの外で、私は膝を抱える。

 背中の悲鳴を聞きたくない。目の前の白い雪にてんてんと、赤い………見たくない。


 冬の屋外だ。酷く寒い。だからだろう、震えているのは。

 ……鋼也は無事だろうか。、なってしまわないだろうか。私は笑って出迎えられるだろうか?帰って来てくれるだろうか?縋りついて良いだろうか?頭の中がぐちゃぐちゃで、泣きたい気分なのに涙も出ない。


 ぐちゃぐちゃだ。


 私は、膝を、頭を抱えて、ただ、その場に蹲り続けた。



 その内にふと、足音がした。

 誰かが、近付いてきているみたい。

 顔を上げる気にも、私はならない。顔を上げない私に、その人は歩み寄ってきて………。


 頭を撫でられる。少し乱暴に。


 誰、と確認しようとは思わない。顔も上げない。私の横に立っている誰かの顔を見ない。見る必要がなかった。声を聞けば、誰だかわかる。


「………あんたが背負わないで良いもんさ。悪い夢だよ。忘れちまいな」


 ぶっきらぼうで、優しい声が降って来た。


 ふと思った。鋼也も、もしも今この場に居たら、同じ事を言うだろうか、と。

 似たような事を言うかもしれない。そして、それから……たぶん、撫でてはくれないだろうな。


 私はそんな事を思った。


 不思議な話だと思う。

 涙が出るタイミングが、そこだなんて。



 私は、顔を上げなかった。すぐ近くの嗚咽がどこか遠くから聞こえてくる。


 寒い。そう思ったところで、それが僅かに和らいで、同時に、血の匂いが強くなった。

 羽織を掛けてくれたみたいだ。体温が残っている。

 その体温が、当然だと思っていた暖かさが儚いモノだったのだと。


 その日。

 迷い込んだ異界で女の子が手に入れたのは、そんな、凍えるような現実だった。



→16.5話 視点群/敗軍の将/天運を手繰る

https://kakuyomu.jp/works/1177354054889537417/episodes/1177354054890744186

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