16.5話 視点群/敗軍の将/天運を手繰る

「――報告します!戦域3-5が……」


 駆け込んできた役が声を上げる。本陣最奥。軍議台マップのあるその場所。


 軍義台を悠長に動かす暇もなく、この戦争の実質的な棋士、副官、筋肉質なオニ――輪洞は、即座に指示を出した。


「切れ。3-6は更に下げろ。3-7に再度防衛線を」


 輪洞の指示に、役は即座に走り去っていく。

 それを横目に見送った末に、輪洞は軍議台の駒を一つ、盤上から取り去った。


 盤の脇には取り去られた駒が山と重なっている。……全ての亡骸だ。


 軍議台戦場の全ての地点で、最初と比べて、酷く押し込まれている。防衛戦だからある意味当然と言えば当然だが、……もはやその後退は許容できる範囲を超えていた。


 元々、設備、罠込みでぎりぎり5分の戦争だった。罠を使い切った時点で既に旗色は悪くなっており、その上更に、偶然か、狙ったのか。つい先ほど竜に通信設備を破壊された。


 知性体――白銀の竜だ。瞬間移動するという報告は嘘ではなかったらしく、戦線の一切合切を飛び越えて、この本陣に突然、竜の軍勢百匹ほどが攻め込んできた。


 人的な被害がさほど出なかったのは、本陣に扇奈の隊が残されていたからだ。あるいは、将羅はそれを見越して扇奈の隊を本陣に置き続けたのかもしれない。


 とにかく、その百匹によって人間が死ぬことはなかった。


 ただし、通信設備は破壊された。

 そもそもがドワーフに無理を言って作らせた急ごしらえだったために通信機の予備はない。その竜の行動によって、前線と司令部が情報的に断裂した。


 罠と地形に頼って戦場を広域、細分化しすぎたのも、こうなれば悪手だった事になってしまう。

 情報が断裂すれば各部隊は容易に各個撃破される。本陣からの指示が来なくなれば、そもそも本陣が落ちたと誤認する可能性もある。


 そんな混乱の機に、こちらの前線は乱れ、その乱れの間に前線の兵の半数以上が竜に飲まれた。


 走らせた伝令の報告は、ほぼ全て壊滅。壊滅、と知らされた時点で既にその後方の部隊が窮地に陥っている。


 戦域全体で、だ。劣勢の機にありながら、指示は前線に即座に反映されない。

 鈍い動きのまま、この軍は竜に飲み込まれつつある―――。


 負ける。その予想が輪洞の脳裏を過ぎっていた。全体に撤退の命令を出すべきではないか、という思いがある。そして同時に、そうすればいよいよ竜の勢いに吞まれこの軍はそれこそ殲滅されるだろうと、そんな冷静な分析もある。


 そもそも、撤退の判断をするのは輪洞ではない。そして、判断の役目を持っている老人は、今、この幕小屋に居ない。


 前線に行った、と言う訳でも無いだろう。将羅はおそらく、幕小屋の外に居る。

 有事の即応の為か?輪洞に誰かを頼ろう、と言う甘えを微塵も持たせないためか。居たところで会議によって時間的に損が生まれるだけ、と考えたのかもしれない。

 任せるとだけ言われた。輪洞は頷くほかにない。


 身勝手な者は他にもいる。


 リチャードは先ほど、参謀の役目を投げ出して前線へ掛けていった。アイリスに何かあったのだろう。お咎めは後で済む。そもそも客員だ。自分の部下身内の方が可愛いのだろう。


 だから、輪洞は幕小屋、本陣最奥に一人、冷静に敗色が濃くなっていく軍議台を眺めていた。


 戦場の現在、数刻遅れだろうそれを俯瞰しているのは輪洞一人。

 だから、を知っているのは輪洞だけだろう。


 一箇所だけ、戦線が後退していない。不思議な話だ。いや、当然か。


 初めから弱点だと見ていた為に、そもそもの戦力が手厚かった。

 初めから乱戦だったせいで、情報的に断裂した事に対しても改めて混乱する余裕がなかった。

 リチャードが勝手をやった。向かう先は妹のいた場所。リチャード個人にも十分以上に制圧力がある上に、おそらく今あの神経質な男は前線指揮官をやっているはずだ。結果的に参謀リチャードの身勝手のおかげで、その戦域が最も用兵上安定している。


 あるいは、そのほかに何かがあるのか。


 そういった複合的な要素の結果、一箇所―――戦域4-5だけは、後退していない。

 全体でその場所だけだ。そこだけが、勝機――いや、最後の砦か。


 そこが落ちれば、そこを塞き止め切れなくなれば、間違いなくこの戦争はそこで終わる。


 座って伝令を待つばかり――それが、輪洞には歯痒かった。



 *



 視界の端、本陣をエルフがかけ抜けて行く――。

 抱えているのは口の悪い小アイリスか。応急処置だけ済ませた上で救護施設に運ぼうと言うのだろう。リチャードが駆けて行った以上、同型代替品アイリスは死んだと思っていたのだが……悪運が強いのか。


 それを眺めた末に、指揮官、老齢のオニ――将羅は視線を雪空に向けた。


 本陣最奥、幕小屋の外だ。その中に自分が居ようと居まいと大局になんら影響は及ぼさないと、そう考えたから、将羅は外に居た。用兵上輪洞の指示の方が状況に即するだろうと。


 堅実だからこそ、負け戦にもある程度強いはずだ。気性の問題でどうしても攻め気が見えてしまう将羅では、もう終わっていてもおかしくはない。


 どちらにせよ、負け戦か。

 もはや将羅がどうあがいたところで、勝機はつかめない。勝つためにはが必要になってくる。


 奇跡、など信じられるほど将羅は若くはない。偶然は世の中に存在しない。戦争は始まる前に勝敗が決しているものだ。相手がヒトでも、それ以外であっても。


 だから、将羅は空を見続けていた。天に運を……ではない。

 あるいは、長く生きた割りに、将羅も気がはやっているのか。



 ふと。

 将羅の真横にオニの姿があった。将羅の子飼いの黒装束。扇奈の隊(表向きのそれ)とは違う、裏方の、それこそ本当の直属部隊


 そのオニが、将羅に耳打ちをする。直後、将羅は呟いた。


「………漸くか」


 将羅が呟いた直後には、もう子飼いのオニの姿は横にない。

 

 死にそびれてきた――生き延びた要因に合理性を持ち、それを活用するようになるまで生き延びてきた老兵は、また一人静かに、戦場の空を眺めだした。



 *



 おかしいなぁ。

 白銀の竜賢いトカゲは首を傾げた。腕2本、細いそれで痒そうに首の刀傷をいじりながら、小高い山の上で戦場を眺めつつ。


 思いついたから強襲してみた。切られたから尻尾を巻いて逃げた。変わりにを置いてきてみた。その、置いてきた駒が何かをした。


 一体どの駒が何をして何が起こったのかは後で考えるにしても、その直後に、相手人間の陣営が乱れた。

 だから全力を投入した。混乱している相手人間側を更にかき乱そうと。


 それが、良い手だったらしい。到る所で竜は相手人間側に食い込んでいった。もうこれを止める術はないだろう。勝った。やった。そう思った。


 そう思ってから結構時間が経っている。

 だから白銀の竜は首を傾げている。


 思ったよりも、大局が動かない。じわじわと押しているし、結局勝っただろう事に変わりは無いのだが、その推移が案外、遅い。


 そういえば、この間潰したところ帝国軍第3基地もそんな感じだった。減るごとに姑息に、粘るようになってくる。そういう生物なのだろうか、人間は。


 とにかく、だ。白銀の竜はまた戦域を眺める。

 粘りが強いのは性質だとしても、今この戦場が緩やかな決定的な理由は、一つ見つかる。


 一箇所、進んでない。馬鹿がたくさん、釣られているせいだ。多くの竜の単眼に、赤黒の鎧が映りこんでいる。

 やっぱりさっき確実に消しておくべきだったか――いや、今からでも遅くないか。


 そんな事をぼんやりと即断して、動きかけた白銀の竜――だが、その姿が消える瞬間移動することはなかった。

 影が落ちたのだ。白銀の竜の身体を、大きな影が覆い隠した。


 なんだろう?興味を引かれて見上げた雪空には、何羽かの酷く大きなが飛んでいる。

 その大きな鳥から、雪に混じって、が落ちてきている。


 戦場。投入した駒の上に。あるいは、白銀の竜の周囲に居る詰まって入れない竜予備兵力の頭上に、黒い点が………。


 見上げる白銀の竜。頭上に落ちてくる黒い点。円筒形に尾が生えた様な何か。


 首を傾げた白銀の竜の頭上で、は、突然、光と炎に成り変わった。



 *



 空から降り注ぐ黒い点――爆撃が、竜の絨毯の上に降りかかり、爆ぜる――。

 黒く巨大で、見上げる身からすれば酷く動きが鈍いようにも見える高高度爆撃機。


『我々は決してこの大和の破滅を望んでいるわけではない』


 竜が現れてからロールアウトした為に、その他の種族が脅威も有用性もいまいち認識していない、だが、確実で酷く破壊的な――それこそ竜が現れなければ戦争の意味が変わってかりそめの平穏が生まれていたかもしれない、そんな兵器。


 雪に混じる黒い点――降り注いだ先で竜が吹き飛び、消し飛び、蒸発していく。


『諸君らをして願いは同じだろう。平穏と無事を願い、その身を戦場に捧げたはずだ。なればこそ、この戦域への介入は来る竜との大戦における先駆けに他ならない』


 将羅の交渉の結果。が有用性を持った結果。

 戦域を左右する、老兵が用意した酷く後ろ暗い奇跡。


 ヒトの軍隊―――そのが現れるのは、空爆爆炎の嵐が凪いだ後の、空だ。


 編隊を組んだ輸送機。その中、通信機越しに、青年の声が木霊する。


は通過点に過ぎない。われわれの正義はこの大和の全ての人民が為にある』

 

 耳を傾けるのは、輸送機に収まった黒い鎧の軍勢だ。

 “夜汰鴉”。帝国旗がペイントされていたその右肩だけを白く塗りつぶし、その背に落下傘を背負ったFPAの軍勢。


 彼らの背後で、輸送機のラックが開き、空爆によって荒らされた竜の絨毯が広がる――。


『……行くぞ、トカゲ狩りだ。我々は正義を成す。……降下開始!』


 年若い指揮官の声に、鎧が、ヒトの軍隊が、が、次々と、戦域へと飛び降りていく――。



 *


 

 戦場、彼方に爆炎の壁がせり上がり、雪空に捲り上げられた竜の絨毯が焦げ、爆ぜ、方々へと散らばっていく――。


 戦域4-5に居る多種族同盟連合軍の兵士達は、その光景をどこか呆気に取られたように眺めていた。


 竜の軍勢、その最後尾の辺りで、突然が起こり、竜が大きくその数を減らした。兵士達が理解したのは、ただのそれだけだろう。


 その光景の意味を―――続けて爆炎の中へ落下傘を広げ、弾丸を撒き散らしながら落ちていく黒い鎧の所属と目的を正しく理解していたのは、その場でただ一人。


 参謀――の役目を放り出してアイリスを心配しに来た神経質な顔つきのエルフ、リチャードだけだ。


 空爆、面制圧。その後に強襲降下。

 進行早期、橋頭堡の確保、または緊急予備兵力動員用の、戦術プラン


 帝国軍が動いたのだ。いや、もう、とは名乗っていないのかもしれないが、とにかくヒトの軍勢がこの戦域への救援に訪れた。


 将羅の援軍だ。竜を挟んでリチャード達多種族同盟連合軍とは対角に当たる地点に降下している。竜を挟み込む形―――直前の空爆とあわせ、降下してくるその軍勢は、既に敗北が確定していたような多種族同盟連合軍にとって、正に天から降りてきた救世主たりえる。


 とはいえ、増援が現れた瞬間にが全て消える、と言う訳ではない。あくまで対岸だ。処理速度が上がるにしても、根こそぎ倒すまでリチャード達が耐え切らなければ意味はない。


 そして、耐え抜けるだけの戦力が、この戦域4-5にはある………そう、リチャードは分析していた。


「右翼!誰の隊だ、下がらせろ!退いて左右から挟撃!」


 空爆、強襲降下に驚き、動きが止まりつつあった味方へと、リチャードは檄を飛ばす。

 そのリチャードの声に、部下達――急造で組織したこの地点の軍勢は、すぐさま我に返り、勇猛に竜へと立ち向かい始める。

 そう、救援が来たところで、戦争はまだ終わらない――。



 情報が断裂したこの状況にあって、前線指揮官としてリチャードは戦域4-5、およびごく少数のを再編し、防衛線を構築した。


 アイリスは、まだ無事だった。重症で予断を許さない状況であり、完全に気を失ってはいたが………少なくともリチャードが来た時点では、まだ死んでいなかった。だから、応急処置だけ済ませて、後方に退かせた。


 一時的に戦線を押し上げ、アイリスとその周囲の生き残りを回収。その後退いて再度防衛線を再構築。

 言うほど容易くはなかった。エルフの隊直属の部下の士気が、アイリスの負傷とリチャードの到着で上がった結果、と言えるだろう。


 だが、あるいはそれも些事か。

 もっと決定的で馬鹿げた要因が、そこにはあった。


 戦域4-4にまだ生き残りが居たのは、そこに“化け物”がいたからだ。あるいは、今この戦域4-5が安定しているのも、救援のヒトの軍勢が竜を処理し終わるまで耐え抜けるとリチャードが踏んでいるのも、その“化け物”の存在によるかもしれない。



 異様な光景が目の前にある。竜が渦を巻いているような、小さな飴に蟻がたかっているような、そんな気色悪く同時に滅びを感じさせる光景。


 リチャードがこの場に辿り着いたときにはもう目の前に広がっていたその光景が、あるいは熱気に当てるように、この戦域の士気を上げ続け――そして物理的に救ってもいる。


 まるでフェロモンでも出ているようだ。周囲何百メートル………多くの竜がその一人の化け物に


 素通りする竜の数が少ないのだ。勿論それでもリチャード達の元へと訪れる竜は大群ではあるが、一人の化け物に半数以上も釣られた結果、ここにある戦力で殲滅しきれない数が戦域4-5まで到達することが少なかった。



 駿河鋼也。血染めの鎧。折れた野太刀を振り回し、そこらに落ちているもの全て――それこそ竜の死骸まで鈍器にして、雄たけびを上げながらただ一人、回収するのが不可能なほどに敵の奥深くへと食い込み、数百の竜の最中で暴れ続けている化け物。


 理性が残っているようには見えない。体力が残っているようにも見えない。引き摺るようにその動きはどこか緩慢だ。けれどそれでも尚、駿河鋼也は竜を続けている。


 ………明らかに異常だ。

 そしてその異常性があればこそ、この戦域は未だ突破されていない。

 これなら、駿河鋼也はあるいは、終戦まであの敵のただ中で生き延び続けるのかもしれない。



 ………いや、本当に、アレは生きているのか?

 遠目でさえ、ヒトが耐えられるレベルの負傷だとは到底思えない。

 それこそ、中身ではなくその甲冑自体に意思が伝達されてただ反撃し続けているだけ、そんな風にも見える。


 執念。妄執。未練…………亡霊。

 雪と血のちらつく地獄の最中で暴れ続ける、儚げで破滅的な死神。


 人知を超えているとしか思えない化け物は、彼方で鳴り響いた救世の爆炎、銃声に気付いたそぶりもなく、こちらで上がり続けている多種族の雄たけびを理解しているそぶりもなく、ただ一人。ただ一人。


 地獄であがき続けていた――。


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