16話裏 扇奈/単眼、鏡、面相は塗り変わり

 あたしは鏡が嫌いだ。自分の貌なんざ見たかねえのさ。

 それなりに見れる顔だって事は知ってる。観察事実だ。色目使うと武器にもできるって、男社会兵隊社会で学んだって話だ。


 別に、色目使ってる自分が嫌いなわけじゃねえよ。そこはもう、折り合いつけた。

 

 あたしが嫌いなのは、自分の、嗤ってる貌さ。



 *



 本陣の中心、周囲に仮設施設群があるその場所で、あたしは仁王立ちさ。腕を組んで、その場で軽く足を踏み鳴らし続け。


 目の前には部下達がいる。戦争中だってのにさんざくっちゃべってやがる。

 その部下達の声が、うるさい。動きがうるさい。心臓の鼓動まで聞こえてきそうだ。うるせえ。


 血の匂いがする。硝煙の匂いも、なんなら末期の悲鳴まで聞こえる気がする。救護施設の声とは別さ。要するに全部気のせい。同じ戦争ったって、前線はまだ数キロ先だろ?匂いなんざするわけがねえ。

 けど、匂ってきやがる。


 やけに感覚が鋭敏なのさ。後ろが見える気がするって奴だ。世界がやたら狭い。右も左も後ろも前も、ぎざぎざで、がちゃがちゃして、全部全部がわずらわしい。んな気分だ。


 音がする。気配がする。………ああ、うるせえ。


 何イラついてんだって話だろ?簡単な話だ。弱って困って飲み下そうとし続けた結果イラ立ちに全部変わったのさ。


 なんであたしはこんなトコに突っ立ってる?戦争始まってから何時間経ったと思ってる?あのクソ爺が。あたしが出張ればそれで楽になる奴が何人いる?あたしが出張れば助けてやれた奴が何人いると思ってんだ、クソが。


 イライライライラ、ただ周り眺めてるだけ。そいつがあたしのお仕事だってよ。反吐がでる。


 で、そんな中で、微妙に旗色が変わったらしいのを、あたしは横目で見た。

 リチャードだ。血相変えて走っていきやがる。参謀の仕事投げ出して、か。

 大方、アイリスになんかあったんだろう。


 ……うらやましい話だ。全部投げ出して心配しに行くってんだからな。良いご身分さ。

 あたしもそうすりゃ、もうちょい気は楽なんだろう。少なくともイラつく必要はなくなるはずだ。じゃあなぜそうしない?


 ………あたしはそういう女なんだよ。本音建前命立場、結局、自分大事さ。その結論に到ったからこうしてひたすらイラついてるわけだ。

 

 イラつきまくって、自分に向けた棘が外に出て、今この状況有様

 周囲の全てが、それこそ手に取るように―――がちゃがちゃうるせえんだよ。


 で、それを逆に言えば、だ。

 としてはこれ以上ない研ぎ方されてたって話。


 だから、結果論さ。普通なら気付かねえ。気付いたとしても即座に反応は出来ねえ。


 ―――雪が踏まれて潰れる音が聞こえたって言って、信じる奴は誰もいねえだろ?

 尾がたわみ伸び刺し貫く―――その筋肉の軋みが聞こえたって言って、それで信憑性が出るか?


 だから、ただ幸運だったで済ましても構わない。結果論だよ。

 結果的に、イラ付いてたおかげで、あたしはその瞬間を生き延びた。



 ふらつくみてえに身体を横に逸らす。その顔の真横を、あたしの髪何房かもって行きながら、突然、背後からが奔った。


 竜の尾だ。色が妙だな。白い。……つうか、突然後ろに出てきた時点では知ってるけどな。

 なんでも良いや。殺され遊びに来てくれたんだろ?なら、死ね。


 振向き様だ。太刀を抜く動作と振る動作は同時。

 背後に白銀の竜――その単眼に映るあたしが嗤って――あたしは太刀を振りぬいた。


 ザン―――重い風鳴り、苛立ちきったあたしの一閃が、白銀の竜の首を捉える。

 知性体の奴、目立つ敵旗印狩りか?大将自らご苦労なこった。それであたしに切られてるんだから、世話ねえよ。


 ………って、仕留め切れてたら言ってやるんだけどねぇ。


「………チッ。クソが………」


 恥も外聞もなく悪態を付く。あたしの手の太刀には、確かに血が付いてる。当たりはしたらしい。

 が、肝心の白銀の竜知性体の死体が目の前にない。あの単眼の首元に刃が食い込んだ辺りで、光り出して消えちまいやがった。尻尾巻いて逃げ出したのさ、あのクソトカゲ野郎。


 前もそうだったな。ああ、前あたしと鋼也が取り逃がした時もこうだった。

 瞬間移動か……厄介な話だよ。完全に隙つかれて対処できる奴はそういねえだろうし、仕留めるのも手間だ。今のでかわされるんじゃな。


 幸運なのは、別にあれ知性体倒さなきゃこの戦争が終わらないって話じゃねえって事くらいか。


 竜の本質は大群だ。別にあれ倒しても、竜がまだ数千いる事に変わりはねえ。勿論動きにまとまりがなくなって集団として御しやすくはなるだろうが………。

 んなこと、悠長に考えてる場合じゃないらしい。


「姐さん!無事っすか!?」


 そう、声上げた部下の、その、更に向こうだ。

 空気が揺らいだような、そんな僅かな、そして大気の揺らぎ。


「………覚悟」


 何も現れてねえその空間眺めながら、あたしがそう言った途端、部下達は一斉に気を引き締めた。その辺は流石にわかってんな。


 だが、褒めてやれるような気分でもなけりゃ、そんな暇もありゃしない。



 空気が揺らいでいたその場所。そこが、ほんの僅かな、それでいて大きな輝きを帯びだす――。


 直後、現れたのは竜だ。それも、一匹じゃねぇ。パッと見百匹くらい、もうちょいか?

 竜の軍勢が本陣に忽然と現れた。

 それが、あの知性体の本当にヤバイところなんだろう。

 

 知性体だけが瞬間移動するってんなら、ただめんどくさいだけだ。

 だが、他の竜、それも何百匹、何千匹と動かせるんなら、そりゃ用兵上最強だろう。後ろ取り放題だからな。


 ただ、あの知性体が自分の能力の使い方を良くわかってねえのか………この差し方はよくねえ。

 本陣強襲。差し王手って奴だろ。そいつは、後続なけりゃ捨て駒だぜ、知性体クソ野朗


 ……色々試して遊んでるだけか?

 まあ、どうでも良いさ。とにかく、お姉さんと遊びに来てくれたんだろ?

 ……こっちはイラついて血の気余ってんだよ。ああ、丁度良いさ。


 抜き身の太刀のまま、部下達の間を歩きながら。

 

「………あたしはケツ拭いてやれる機嫌じゃねえ」

「こっちはこっちで上手くやりやすよ」


 良い返事だ。出来た部下だよ、素晴らしいね。

 

 歩み寄るあたしへ、竜の単眼単眼単眼、幾つもあるそれが一斉に向く。


 気色悪い、ギョロっとした目に目に目に目に、あたしが映ってる。

 血の付いた太刀を手に。わざわざ派手な羽織背負って。明らかにトンだ目をした別嬪が嗤ってやがる。


 あたしが、あたしを嗤ってる。……だから嫌いなんだよ、鏡は。

 その気にくわねえ面、全部全部、……叩き切ってやる。



 *



 むか~し、昔。悪戯好きで、強くて優しいお姉さんが居た。身内思いの優しいが。


 なんで兵隊なんかやってるのか?そう、家族がいて、妹がいて、あたしは強くて。

 あたしが戦場でカッコ付け続けてれば、そっちは赤紙貰わないで済むかと思ったのさ。甘かったんだよ、今も昔も。


 誤算は、あたしが随分愛されてたってことだろう。

 付いてきちまいやがった。弟も、妹も。


 あたしは当然、両方の世話焼いてやるつもりだった。

 あたしは若造だった。上の命令には逆らえない。部下を持てる立場でも無い。


 配属が別になった。



 ……妹が逝っちまった時、あたしはその場に居なかった。弟はその場に居た。


 弟は死に魅入られた。

 あたしは、勤めて、弟に笑いかけてやる様になった。

 お前のせいじゃねえって言ってやったよ。妹は多分、お前が笑ってる方が嬉しいだろうぜ、って。耳貨しやしねえ。だから、せめて。


 あたしは勤めて笑う様になった。

 ……心配してるあたしはいじらしいだろう?あたしも、そっちのが気が楽だったのさ。



 とにかくまあ、だんだん、どんな時でも、笑う癖が付いた。

 笑ってるうちにあたしは上の、それこそ爺に目を掛けられた。まあ、それだけ働いてたってことさ。今ほど多くはねえがちょいと部下を預かった。あたしは上手くやってたよ。自分で言う話じゃねえが、器量だ。

 ただ、それこそ今も昔も、自分で自分の居場所戦場決められるわけじゃねえ。



 ……弟の死に様は。あたしは、別の仕事で、その時も、その場には居られなかった。

 仲間庇ったそうだ。……良い奴だろ?だから先に逝っちまって、あたし悪い子はまだ生きてる。


 葬儀がある。部下があたしを気遣う。あたしは平然と強がって応える。

 そのまま、宿舎に帰って、あたしは鏡を見た。


 ……嗤ってやがったよ。癖になってたんだろうな。もろもろ、嗤って誤魔化すのが。その貌が、あたしの笑顔が、あたしは痛く気に食わなかった。


 だから………。


 *


 あたしは単眼を踏み砕いた。汚い汁竜の血が降りかかったが、どっちにしろもう返り血でどろどろさ。今更気にもならねえ。なんで紅地の装束着てると思ってんだって話。


「……チッ、」


 結局、まだイラついたまま、あたしは周りに視線を向ける。

 死骸が一杯転がってやがった。あたしを中心に、あたしの通った後に、見るも無残なトカゲの残骸が。


 それを見回し、それからあたしは部下達に視線を向けた。


「……被害は?」

「ないっす。ただ……」


 どこか言い辛そうにしながら部下は視線を横に投げる。

 それを追いかけた先にあったのは………デカイ機械に首と尾を突っ込んだままくたばってる竜の死骸だ。


 あの、デカイ機械は………確か、通信機の元締めだったか?ドワーフ製、広域送受信集積装置、とか言ってたな。……イワンの説明長ぇんだよ。


 わかりやすく言うか?ぶっ壊れたら全域の通信が出来なくなる。爺の下に戦況が来なくなり、爺の声が戦場に届かなくなる。そういう機械だ。


 数人、そのデカイ機械に、ドワーフが駆け寄って、首横に振ってやがる。

 ……なるほど。人死には出なかったが、機械はぶっ壊された、と。致命的な奴がな。

 って、なるとだ。

 今、指揮系統が死んだ。前線は情報的に孤立。……相当食われるだろ。本陣が落ちた、って誤認して諦める可能性まで出る。


 指揮官としたら対処しないわけがない。ほら、あの幕小屋から爺が出て来た。

 対処は?原始的だ。伝令だろ。ここがまだあるって教えに走るのさ。

 その役目を振るのに丁度良い部隊は?まあ、あたしらだろうな。


 ……ってなるとだ。まだまだ落ち着き切ってねえ、切り足りねえ、血の気の余ったお姉さんにも、それこそ鬼の目を盗む機会があるって話だ。


 あたしらの方へ歩み寄ってくる爺――この期に及んで歩いてるのは余計な動揺与えないためだろう――を、横目に、あたしは部下に小声で声を投げた。


「おい。………あたしはドサクサでもうちょい血の気抜いてくるよ。伝令はあんたら――」

「扇奈」


 爺の声が響く。洞穴見てえなその目が、頬に返り血で化粧したまま部下に内緒話するあたしを射抜く。


「……………動くな。ここにいろ。最悪、お前一人いればここはもつだろう?また強襲されないとも限らん」

「…………チッ」


 舌打ち一つ。太刀に付いた血を払い収め、あたしは腕を組んでその場に突っ立った。

 ……爺の奴。聞こえてたのか?それとも、小娘あたしの考えなんざお見通しってか?

 あるいは、爺もあたしと一緒で、血の気余ってんのか?


 …………クソ。

 あたしは、ただのパシリだ。

 命令を遵守、だ。我を通さずに命令に従って、だから家族の死に目に会えなかった。


 あたしがその場に居られたら。

 あたしが打算抜きの情だけで動いてるような奴だったら。


 ……もしもの話は際限ねえし、結局あたしは、こういう女だ。今更、それこそどの面下げて、好きにやれって言うんだい?

 

 爺が直接、あたしの部下達に指示出してる。

 あたしは腕組んでそれを眺めるばっかり。見送るばっかり。……そういう役回りの星に生まれちまったのか?


 部下達は伝令に走っていく。


「……あたしのいないとこで死ぬんじゃないよ」


 首輪つきの番犬は、ただそう呟くだけだ。

 クソ。……情緒不安定だ。なんか、疲れちまったよ。



 *


 ぽつんと一人。

 空は曇天。

 周囲に死骸の山。


 戦況はどうなってる?まあ、旗色は悪いんだろ。

 伝令役がたまに走ってる。血相変えて。良い報せを抱えてるようには、到底見えない。


 策はもう打ち止めのはずだ。情報的に断裂されて、各個撃破されててもおかしくない。

 

 ……だってのに、あたしは、なんか、萎んじまったような気分だよ。戦場から僅か離れて、一人だけ、な。


 いや、萎んじまった奴はあたしのほかにもいたらしい。


 いつの間にか、って奴だ。桜の姿があった。

 救護施設の外だ。ふらつくみたいな足取りで外に出て、ぼんやりと周囲を、空を見て、けどその目は何も見えちゃいない。


 桜の身体に血が付いてる。施設の白幕を背景に、治療中の返り血浴びたお姫様だ。流石に絵になるねぇ。……顔色悪すぎだろ。


 とか眺めてたら、不意に、桜は蹲っちまいやがった。座り込んで膝抱えて、頭抱えて。

 あたしは、そんな桜の元へと歩み寄る。


 桜は足音聞いても顔上げやしない。閉じこもって塞ぎこんで、外界を全部遮断、だ。


 ………見たかないものを見たんだろうよ。戦場の救護施設だ。酷い場所さ。

 とりあえず、割と雑に桜の頭だけ撫でて、座り込むお姫様の横に腕を組んで。


 あたしの吐く息が白い。………ずいぶん冷えてきたな。朝から戦争してもう夕方か?んな、どうでも良い事が脳裏をよぎりながら、あたしは漸く言った。


「………あんたが背負わないで良いもんさ。悪い夢だよ。忘れちまいな」


 無理だろうな、そう、思いながら。忘れるにはちょいと酷すぎるモノをみたはずだ。

 桜は顔を上げない。俯いたまま、その華奢な肩が僅かに震えて、やがて、聞こえてきたのは嗚咽だ。


 ……泣けたか。なら、まだマシだろ。ぶっ壊れきっちゃいねえな。

 常に嗤っちまえるよりは、ずいぶんマシさ。



 桜の嗚咽を聞きながら。頭の中では、しわがれた声がする。

『……代用品を愛でたところでお前の家族が戻ってくるわけではないぞ』


 図星だから、あたしは切れた。あたしだってわかってんだよ爺。

 ……だからって、他にどうしろってんだ。被っちまったもんはどうしようもねえだろ。

 しかも、結局、あたしは昔と同じことしてる。


 こうなるってわかってて、やばいってわかりながら、止めなかった。妹の事も、桜の事も。


 死にたがってるって見抜きながら、結局、猫撫で声上げるだけでついて行ってはやれなかった。弟にも、鋼也にも。


 鋼也は、無事なのか?まだくたばってねえよな。死ぬのは無しだよ。だって、ほら……桜が可哀想だろ?



 視界の端で、白い結晶がちらついている。雪が降り出したらしい。

 冬で良かったよ。夏場だったら天気に嫉妬してた。こっちは何年も前に枯れ果ててるんだ。


 あたしは羽織を脱いで、桜に掛けてやった。血みどろだが、寒いより良いだろ?

 どんな状況でも、あったかい方が幾分マシさ。



 ……雪みたいに、ただ冷たく、色がなくなれりゃ、そりゃ、楽なんだろうな。

 嗚咽を聞きながらあたしが思ったのは、そんな事だ。


 


 →16話裏 桜花/糸の切れたお人形

https://kakuyomu.jp/works/1177354054890150957/episodes/1177354054890699343

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