15話裏 アイリス/女神様は移り気に、燐光は儚く
アイリスは地獄がどこか知っている。
この世界の事だ。
ハーフ。それも、愛を育んだ末のハーフではない。
どれが父親なのかわからない。誰が母親なのかも、わからない。兄と呼んでいる相手と本当に血が繋がっているのかすらも、わからない。
調べる方法がないでもない。血液検査をすれば良いだけだ。けれど、アイリスもリチャードも、わざわざそれをしようとは思わない―――。
その境遇で一つだけ幸運だった事があるとすれば、それは、アイリスが玩具に足る容姿、年齢に達する前に、その最初の地獄を後に出来たことだけだろう。
地獄を抜けた先には地獄があった。
エルフは気高い。酷くヒトを嫌っている。純粋なエルフから見て――こんな長い歴史で混じりけのない血を持った奴なんているはずもないのに――アイリスたちは、ヒトだった。
ハーフはハーフで集う。アイリス達は自身をエルフだと考える。功績を残せば認められると、若者は夢を見る―――。
エルフは保護主義的だ。
ある程度の功績を残す、いや、ある程度以上の功績をアイリスたちが挙げ始めた頃に、疑いを掛けられた。反乱の画策。あいつらはヒトのスパイだ―――。
いわれのない罪で国から逃げる羽目になった。無事逃げおおせる事ができたのは、兄がアイリスより少しばかり利口だったからだろう。
振り返ると、強ち罪は云われないわけでもなかったらしい。
………もう、どっちでも良い事だ。
東洋の島国は地獄だ。暑いし寒い。じめじめしたかと思えば乾き切っている。
そう、地獄だ。…………住人が妙に心優しいのはきっと、全員、これまでアイリス達がそう扱われてきたのと同じように、腹の中で何かを企んでいるからだろう。
エルフは文化からして閉鎖的だ。アイリス達が閉鎖的なのは、また違った理由。経験則だ。
他人を信用すると馬鹿を見る。自分達さえ生き延びていればそれで良い。他人を信用する必要などない。
その思いが態度に出ているのがリチャード。
多少は隠す事を知っているのが、アイリス。
根は同じ。………臆病なのだ。だから威嚇する。
アイリスは地獄を良く知っている。
戦場で何度も見てきた。どこも綺麗なものじゃない。生き延びてこられたのは、臆病で小ずるいからだ。真っ当な奴はすぐ死ぬ。
生き延びるごとに、そういう人格に、老獪で冷たくなっていくはずだ。
だから、アイリスは見捨てる気だった。自殺しに4-4へ突っ込んで行った駿河鋼也を。
これでも、人間を殺すのは心が痛む。一応味方な奴なら尚の事。
だから挑発した。キレて明確な敵になってほしかった。
それが自殺しに行くなら、色々と、手間も気苦労も省ける。アレなら本当に、末期に余裕があれば自爆もするだろう。まとめて何百匹連れて行ってくれるなら、止める理由はアイリスにはなかったし、ついて行く義理がアイリスにあるはずもない。
だから、放置して一つ後ろの戦域に混ざるつもりだった。誰がどう見てもそれが賢い。駿河鋼也の行動は、誰がどう見ても冴えたやり方とは思えない。
アイリスは地獄を何度も見てきた。
地獄に突っ込んでいく馬鹿も、何度も見てきた。
けれど、わかった上で突っ込んで、その上で生き延びている札付きの大馬鹿を見たのは初めてだった。
針山の上の糸を足元を見ずに全力疾走する馬鹿だ。なんで生きているのかが不思議でならない。だが、あの馬鹿は実践している。
結果論だし、結果論であるべきだ。
勝利も………英雄と言う称号も。
挙げた戦果の話ではない。倒した敵の話でも無い。
どう生きたか。どう動いたか。周囲を、どう動かすか―――それも、命令して他人を動かす、と言う話ではない。
ただそこにいるだけで、ただ個人が行動しているだけで、周囲に追随しなくてはならない―――そんな気分を抱かせるのが、本物の英雄だろう。
紙一重、いや馬鹿そのもの自殺野朗は、少なくともその一瞬、その戦場で、間違いなく英雄だった。
だからアイリスは、それこそ光に呼ばれる様に、そちらへと足を向けたのだ。
あの集団の存在が、一つ後ろの戦域の士気にも繋がり、結果的に前線が上がり始めている。戦場全体にとって有益だ。だから、あの集団を失わせるわけには行かない。
―――その合理性は後付だ。理由を思いつく前にアイリスは動いていた。頭の中で兄に溜め息をつかれながらも。
光へ向けて。竜の群れを刺し貫き穿り返しながら―――。
得手不得手がある。
アイリスは確かに制圧力をもっている。ただ、その制圧力は機動力と両立しない。
走りながらでは精度も威力も落ちるのだ。
近接防衛能力とも両立しない。近場を狙うとその間に詰められ折角の制圧力が発揮できなくなる。
要するに、待ち受けてやってきた敵を削るのは得意だが、自分から突っ込んで行くのは苦手なのだ。
一度死に掛けた。頬を尾が掠めた。
何度も接近を許した。返り血でコートが血塗れだ。
アイリスはアイリスでそれなりに無茶をして、合理性を脇に押しやってまで、英雄とそれに続く者達を助けに行った。
きっと。きっとだ。明日になれば、アイリスはこの自分の行動を鼻で笑っているだろう。
馬鹿だ、と。
………それでも良いと思えるだけの何かが、ここには、あの死にたがりの馬鹿にはあった。
「ああああああああああああ!」
咆哮と共に黒いFPAが竜へと駆けて行く。折れたナイフを投げ捨て、
周囲には、全員九死に一生を得ながら、けれどまるで士気も力強さも衰えていない、地獄を生きぬいた精鋭達が居る。
迫る竜に大して、その数は余りにも少ない。
けれど、アイリスはその護衛を信じ―――自分の適性に全力を傾けた。
杭を降らす。杭を降らす。杭を降らす。右に14左に11上に3正面に22―――竜の数と現在位置を把握しつつどれをどの程度減らすのが最良か常に冷静に判断し続け、それとは別に味方が処理できない数が通ってきたらその処理に全力を傾ける。
同時に、駿河鋼也の
らしくないほどに甲斐甲斐しい。あの馬鹿に余裕がなさ過ぎるのが悪いんだろう。
その割りに死に損なうのが悪いのだ。
サービスだ。弾切れの
駿河鋼也が突っ込み、大多数を引き付ける。
釣ったトカゲを、アイリスが染みに変える。
そんなアイリスの周囲で、
歯車は完璧に廻っている。永遠に廻り続けるかもしれない――疲労を考えればそんなはずも無いのだが、それを無視できるくらいの士気の高さもここにあった。
アイリスにも、高揚感がある。地獄の中心にいながら、つい、笑ってしまうくらいの。
熱に浮かされていたのだ。
共通の敵が居るからこそ生まれる信頼感が、アイリスには心地良かった。
他に、本当の意味で他人を信頼できる瞬間など存在し得ないから。
だから―――。
―――それは油断だったのだろう。
誰も反応出来なかった。
どれだけ士気が高かろうとも、窮地に身を置いていた事は何一つ変わらない。
その場にいる全員が、限界を超えた行動を取っていた。背中を他人に任せ切っていた。
陣(仲間)の外に集中していたのだ―――だから、当のアイリスすらも反応が遅れた。
気付くと、アイリスの隣に竜が居た。陣の内側に。
一本亡くして3本腕の、細い腕の付いた、指を気色悪く動かす、
誰がどう見ても、そのトカゲは、アイリスを嗤っている。
知性体。
変異種。
瞬間移動。
兄さん。
案じて置いてきた部下。
自分が抜けた場合のこの軍団の絶望的な生存率。
――――せめて杭は全て、駿河鋼也の手の届く範囲に全部置いておこう。それがせめて、この集団の生存率に繋がるはずだ。
迫る―――もう誰一人として反応できない―――白銀の尾を眺めながら、走馬灯はあまりに遠すぎた。
「あ………」
→16話 戦域4-4/狂気者―クルウケモノ―
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