第20話

 ベッドで眠る和江の横に二人。

 顔をしかめているガン患者の哲也と、ため息をつく若い哲也。

「俺は、俺自身のために用意された家畜だったってことか……」


 意識が戻る和江。

 手をとる元の哲也。

「和江、わかるか。俺だよ。

 わからなくても構わん。

 とにかく謝らせてくれ……。

 これまで本当に申し訳なかった」

「あら……。あなたが二人。

 出会った頃のあなたと、苦労して会いに来てくれたあなた……。

 私、まだ生きてるのかしら。

 そうだとしたら最後にいい夢が見られてよかった……」


 懸命に力づける元の哲也。

「夢じゃないぞ。

 お前が元気になったら、ゆっくり説明してやる……。だから、頑張ろう、な」

「うん。

 でも、ちょっと疲れちゃった。

 もう少し寝ててもいいかしら……」

「ああ」

 ぎゅっと強く握られた刹那、緩む和江の手。

「和江」


 波形の消えた心電図のモニター。

 傷ついた獣のように泣き叫ぶ若い哲也。

「和江!」

 駆け込んでくる看護師。

 騒然とする部屋。


 うなだれている元の哲也に、そっと声をかける若い哲也。

「もうここにいてもしょうがない。

 次は研究所に行って、お前の命を救おう」

「いや、お前は俺だからわかるだろう。

 和江のためにと思ってのことだよ、全部。

 だから、もう必要ない。

 他人ひとに迷惑かけて、自己嫌悪に苦しんで。

 ……後悔だらけの儚い命だったけど、あがくだけあがいてすっきりしたよ。

 お前は、これから50年分の人生をやり直せるんだ。大変だろうが、あらためて納得のいく生き方をしてくれ」


 口をとがらせる若い哲也。

「お前だって俺なんだからわかるだろ。

 何度命をもらったところで、同じことの繰り返しさ。……希望なんかありゃしない」


 ふんと鼻で笑う元の哲也。

「……悪いが、和江と二人にしてもらえないかな」

 返事はせず、皆を連れて一般の待合室へと向かう若い哲也。


 昇の隣に腰かけて声を潜める陽子。

「これからどうするの?」

「今、考えてる……」

 哲也の隣に腰かけてささやく葵。

「おじいちゃん同士、話してどうだった?」

「別に。自分を客観的に見て嫌な気分になっただけだ」


 待合室が沈黙に包まれて数分。

 血相を変えて駆け込んでくる看護師。

「皆さん、落ち着いて聞いてください」

 互いに顔を見合わせる家族。

「お部屋に残られていた男性が今、集中治療室に運ばれました。心肺停止状態です」

 青ざめている看護師とは対照的に、すっかり落ち着いた哲也。

「あの人はもともと末期のガンでね。

 ここまで、もったのが不思議ですよ」

「え……。ああ、そうなんですか?

 とにかく、この状況を説明できる方、どなたか一緒にお願いします」


 看護師に答える昇。

「じゃあ、私が行きましょうか。

 うまく説明する自信はありませんけど」

 哲也から投げ捨てるような言葉。

「余計なことは言うなよ」

 昇に寄り添う陽子。

「私も一緒に行きます」

「そうだな。二人の方がいい。

 俺たちはここで待ってるから」

「葵、お願いね」

「うん、大丈夫」


 昇夫婦が消え、再び訪れる沈黙。

 無言でゆっくり立ち上がる哲也。

「何、どうしたの?」

「世話になったな。

 昇達にもお礼言っといてくれ」

「どこに行くつもり?」

「研究所」

「……こんな時間に行ったって誰もいないでしょ」

「元の俺があそこを抜け出したんだ。

 おそらく奴はモニターしながら、今後の対策を練ってるだろう。

 ……おい、聞こえるか、猿田。

 これからそっちに向かう。

 表玄関開けて待ってろ」


「頑固ジジイには何言っても無駄か……。

 なら、これ持ってって」

 葵、哲也にテンテンボーを渡す。

「ん」

「お守り代わりにね。無茶しないでよ」

「ああ、ありがとう。

 それと……。しつこいようだけど、お前も自分を責めるんじゃないぞ」

「うん」

 葵の肩を軽くたたいて、去っていく哲也。


「また家に帰ってきていいんだからね」

 背を向けたまま黙って手を挙げて応え、病院を出ていく男。

 静かに閉まる自動ドア。

 柔らかな非常灯。

 そして、穏やかな闇。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魂(起の章) モダン @modern

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ