第20話 新たな一歩

詩織と笑顔で別れてから3日が経つ。

僕はもう前を向いて歩き出そうと決めた。というより、歩き始めるしか残された道はない。詩織とやり直すことは叶わなかったが、想いを伝えることはできた。それを真正面から受け止めてくれた彼女は、僕にとって最後まで〝男前女子〟だった。


詩織が「新しい彼ができた」と言った時、そこに僕が入り込む余地はない、と思った。それは彼女の一途さを僕が一番知っていると思うからだ。ここで僕の気持ちを押し付けても彼女は困るだけだと、よく分かっている。僕はそんなことを望んでいる訳ではない。彼女の幸せを、僕が奪ってしまった彼女の笑顔を取り戻して欲しかった。それが彼によって取り戻せたのなら、それはもう僕が入る隙などないのだ。あの笑顔はもう僕のものではない。僕に向けて欲しい。彼と別れてやり直して欲しい…。いや、そうじゃない、前を向かないといけない。


でもなぜ彼ができたのに僕に会おうと言ったんだろうか? それならメールや電話で謝っても良かったんじゃないか? なぜ僕の前で楽しそうにできるのだろうか? 僕のことなど吹っ切れているからだろうか?

…… それとも僕にはまだ望みがある?


そもそもなぜこんなに詩織と気持ちのすれ違いが起きてしまったのだろうか?

なぜ終わりが来る前に、詩織の気持ちが離れていくことに僕は気づけなかったのだろうか?


僕はその答えを知りたくなった。

前を向いて歩き出すために。

大切な人を傷つけないために。

僕が傷つかないために……。



そして僕は答えを見つけようと【傷つけない】【大切な人】【心理】とワードを区切ってネット検索してみた。そこで「大事な人を傷つけてしまったとき」というブログが目にとまった。そのブログには「毎日使える心理学講座」なるタグが付され、興味をそそられた。

それから毎日のように自分の心と向き合うように意識し、少しづつ自分を客観的に見ることが出来るようになっていった。何となくではあるが自分や周りの人たちがどの様に考えるのかという〈思考の癖〉なるものが分かるようになってきた。気が付くと心理学という魅力にどっぷりとハマっていった。


心理学を学問として学ぶことは僕にはハードルが高いが、僕なりに必要とする情報を吸収することはできた。最初に気づいたのは「正義が悪を生む」と言う事だった。僕は復職して仕事ができるようになってきたことを皆が喜んでいると感じ、それは誰もが同じ考えでいるとの思いに至った。その時(僕は間違っていない!詩織が間違っているんだ!)と自分の行動に何の疑いもなく【詩織の行動のほうが間違っている】と確信していた。相手が自分と違う意見を言ってきたら、間違っているのは自分ではなく相手だ、と思ってしまう。しかし、相手は相手で「私が正しい」と考えている。これを心理学の用語では「確証バイアス」と呼ぶらしい。

僕と詩織は正にこの状態に陥っていたんだと、気がついた。


詩織の立場になって考えてみたら、彼女は僕が頑張ることを否定していたのではなく、病気が悪化することを心配していただけだった。それこそ損得抜きで。職場の人達は、僕が元の状態に戻る事を期待して頑張りを見守っていた。そう考えたら全てが見えてきたような気持ちになった。〈腑に落ちた〉というのはこの事なのであろう。結局のところ誰も間違えてなどいなかったし、僕と同じで正しいと思っていた職場の人達の思いよりも、間違いだと思っていた詩織の真っすぐな気持ちだけが僕の心に沁みただけだった。


詩織とのすれ違いを生んだ僕の間違いは〈正しいのはこれだ〉と一方向でしか物事を見ない考え方と、それと違う意見は誤りである、という【思い込み】だった。

僕に関わる人が、僕の思い込みで詩織のように嫌な思いをしたり、悲しんだりすることはもうして欲しくない。でも、それに気づいたところで詩織はもう戻らない。

僕はこれからどうしたらいいのだろうか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

幸せの景色 レオンハルト作 ねこ編著 @reonhadiritt

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る