第19話 別れ
「さてと、そろそろ帰らなくちゃ」
詩織は右手の腕時計で時間を確認すると、身の回りにある荷物などを引き寄せた。時刻は21時30分になろうとしていた。
「本気で僕のことを考えてくれて本当に感謝している。言わなくても多分そうするだろうけど、彼氏を大切にして幸せになってくれな!」
僕は詩織を想う自分の気持ちに嘘をついた。でも同時に、本当にそう思っている自分も確かに存在した。詩織は笑顔で力強く頷いてみせた。だから僕の心は余計に複雑になった。
詩織が席を立った隙に会計を済ませようと、そっとレジへ向かいスマートに会計をしようと試みたが、持ち帰ることになったバースデーケーキの登場と同時に詩織も現れてしまった。
「レン、私も出すよ。」
詩織がバッグから財布を出そうとした時、レジのテーブルに置かれたモノに目を止めた。
「何これ?」
詩織がケーキに気づいてしまった!
「ここじゃお店に迷惑になるから、後で説明するよ」と僕はお店の外に詩織を促そうとした。
そこでレジの店員さんが「宜しければこちらにどうぞ」とさっきまで僕達がいた席を示した。「いや、時間もあまりないし…」と余計なことしないでくれと店員さんに視線を送るが、さらなるサプライズだと思った詩織は「ねぇ、見せてよ!」と嬉しそうに催促した。隠しきれなくなった僕は仕方なく詩織とまた席に戻った。
「本当はケーキも用意したんだけど、プレートに書いた名前が〈栞〉になってて出せなかったんだ。だから、そっと持ち帰ろうとしてたんだよ」と自分の詰めの甘さになんだか照れくさくなりながら説明した。
「名前を間違えることなんてあるんだから、気にしなくて良かったのに。」と詩織は笑顔を見せ、両手で〈頂戴〉のポーズをすると「ここで食べよ」と言ってきた。「いや、もう会計しちゃったからさ。お店の人に悪いし」と気が引けた僕はもう出ようと詩織を再び促した。
結局、詩織に見せずに持ち帰るはずだったケーキを僕は食べることもなく詩織に渡すことになってしまった。そしてこのケーキの顛末に気を取られた詩織がバッグから財布を出すことはなく、僕は内心(財布出さないのかいっ!)とツッコミを入れつつ、何かに意識が向くと今しようとしてたことを忘れる癖のある詩織の変わらなさに懐かしさを感じ、その上ケーキまでゲットした詩織に可笑しさも感じながら2人で店を後にした。
駅までの2、3分の間も楽しそうにしている詩織を見て、僕にとってはこの時間が、詩織の笑顔はもう過去のものになったと感じた瞬間だった。駅に着くと改札の前で詩織が「元気でね!」と笑顔で手を振り、僕も笑顔で「詩織も」と手を振った。
最後に何の言葉も交わさず別れてしまってから2年が経ったが、今詩織の笑顔を見れたことであの時の後悔が僕の中で消えていくのを感じた。詩織の幸せを願っている、でもその笑顔を僕に向け続けて欲しいという気持ちとがグルグルする中、僕は彼女が見えなくなるまで見送った。
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