SINIGAMIのお守り~サバイバルな死神事情~

れなれな(水木レナ)

昨今のSINIGAMI事情

 犬が死にかけていたのは、ミユが中学校からの帰宅途中のときだった。



 腹から内臓がとび出していて、苦しそうな息をしていたけど。子供たちの見ている前で、長く苦しんでいた。


 ミユの同級生は「知ーらね。キモイし、マジ勘弁」って言って去っていったけど、彼女はいつまでもそこでグズグズしていた。





 ここで放っておいたら、死んでしまう。この犬はまだ息をしている。だけど母と祖母と三人暮らしで、祖母は末期ガンで伏せっているというのに、連れて帰ったりなどできない。





 友人の全てが見放していった路上で、ミユはどうすることもできずに、立ちすくんでいた。





「どうしよう……どうしよう……」





 通りすがりの男が、スッスッと近づいてくる。


 スレンダーの影の持ち主は、肩幅と胸筋がやたら発達した逆三角体形で、ウエストの位置が高い。特に大柄でも、優男でもない。アイボリーブラウンのスーツ姿だ。ネクタイも同系色の市松模様。ブルーのオシャレな七宝焼きのネクタイピン。


 たぶん、瀕死の犬のことなど見向きもしないだろう。


 男はそんなミユを見下ろしてきた。





「おじょうちゃん、もうその犬、走れねーし、自分でエサとったりもできねーしょ。大丈夫。長く苦しませるのは趣味じゃないっつーか」





 この時ミユはゾクッときてお守りを握りしめた。その男は苦しみをとり払い、安楽死させる死神だった。








 祖母が末期のガンに倒れて、今は機械の力で生きていた。


 いつもひとりぼっちのミユを面倒見てくれたおばあちゃん。そんなおばあちゃんが大好きで、ミユとその母親はいつまでも生きていてほしいと思ってきたけれど。一家を支えてくれた亡き父親の貯えは、底をつきはじめていた。





 初めに父親を亡くし、祖母が倒れ。それでもミユは泣かなかった。


 実質、母親と二人で暮らしているが、おばあちゃんを安楽死させてあげなくちゃいけないって思ったから。死神に来てもらう必要があった。


 幸い、ミユには人を見る目があって、その懐に飛びこんでいくのに躊躇がなかった。おかげでアズが彼女に協力してくれて、おばあちゃんを安楽死させてくれることになった。


 ほとんど昏睡状態で、回復の見こみのない、おばあちゃんの最後の願いだった。


 母親は介護にパートにと、毎日が大忙し。だけどこれ以上、おばあちゃんを苦しめることは罪だ。


 おばあちゃんの意思を、尊重してあげなくちゃ、いけないんだ。





 おばあちゃんと別れるのは嫌で、悲しかったけれど、ミユは泣き言のひとつもこぼさなかった。


 お父さんが死んだあの日から、ミユの育児を一手に引き受けた祖母。彼女が近くにいてくれたから、泣かなかったミユ。そんな彼女がもし泣くことがあるとすれば、それはきっと、おばあちゃんの最期を看取った時だろう。





 死神アズお願いです。どうかおばあちゃんを楽にして上げて下さい。この願いは、おばあちゃんの唯一の希望だから。








 ◇◆◇◆◇◆








 翌日。


 お父さんが死んだ時も、おばあちゃんが倒れた時も、決してくじけなかったミユ。だけどその日、彼女は泣いていた。





「――ッ! おばあちゃんっ! おばあちゃん――っ!」





 うるんだ目に、生命反応をなくしたおばあちゃんの姿を焼きつけて。ミユは嗚咽して、何度もおばあちゃんを呼ぶ。


 それはいったい、いつぶりの涙だっただろう? そんな泣き方をするミユの肩を、優しく抱いてくるアズがいた。





「泣くなって方が無理だから」


「だって……だって、おばあちゃんが!」





 そんなミユを慰めているのは、死神のアズ。ミユは昨日契約を結んでいた。


 犯罪になるって自覚はあった。出あった時も契約してからも、ミユは使命感にかられていて。だけど今日、ミユは母親の前で、初めて泣くところを見せている。





「泣いちゃいけないって法はないし。けどね、見ているこっちもつらいんだけどぉ」





 少しつり気味の目でのぞきこんで、身を低くするアズ。


 ミユだって、こんなのは非生産的だって思っている。だけど涙は止まらずに、次々とこぼれてくる。おばあちゃんとのお別れを、受け入れなきゃいけない。だけど……





「ミユさん、もう泣かないで」


「お母さんまで何!?」





 泣きはらした視線の先にいるのは、沈んだ様子の母ナミ。声をあげて泣くミユの事を黙って見ていてくれていたけれど、さすがにかたわらで見かねたみたいだ。





「ほら、ハンカチ。ティッシュもあるから使って」


「……おばあちゃんが死んだのに、泣かない子供なんていないよ!」


「そうね。ミユさん、泣きすぎ」





 弱った顔で、頭をなでられてしまったミユ。


 今日は大事なおばあちゃんの、満願の日。今までねたきりだったおばあちゃんがついに往生したのかと思うと、悲しくなって、泣かずにはいられなかった。


 これから出棺して、火葬場に行かなくてはならないというのに、ミユは泣いている。





「おばあちゃん――。あの世にいってからも、お盆には還ってきてね。ここはおばあちゃんの家なんだから、迷ったらいつでもユーレイになっていいからね。あと、たまには夢枕に立ってね。それから……」


「ミユさん。もういいかげんおばあちゃんを離してあげよう。アズさんすみません。この娘きっと、まだおさまらないと思うから、よろしくお願いします」


「だーいじょうぶ。まかしときー」


「いつも大変なんですね」





 しんみりと顔を見合わせるナミと死神アズ。この二人は、実は顔見知り。


 ミユたちは今日まで、三人で暮らしていた。母親と死神は面識があったけれど、ミユが年ごろだったから、旧知の仲だったにも関わらず、黙っていたのだ。





 当初ナミは反対していたけれど。


 一馬力の家にねたきり老人なんておいておけない、仕事もやめてパートで暮らしていくって言っていたけど、ミユがおばあちゃんになついているから今日までもちこして。最後はミユが「おばあちゃん孝行になると思って、願いをきいてくれない」と死神アズを連れてきて、強引にウンと言わせたのだ。





 だけどそんなミユも、今日卒業する。ずっと悩んでいたけれど、高校にも進学する。


 結果、ミユが元気に育つといううれしさと、もうおばあちゃんと一緒にはいられないというせつなさがどっと押し寄せてきて、ナミは大泣きしていたのだ。





「ずっと、おばあちゃん子でしたから……」


「別にっ……おばあちゃんがいなくなるのを悲しいと思うのなんて、普通じゃない」


「ミユさんは度を越してるから。余計に心配だなあ。三度の食事よりおばあちゃんをとるんだから」


「なっ!? あたしがいつ……!」


「今日は、食べてくれるよね? 私の手料理」





 何年前の話だ、とミユは頬をふくらます。良いじゃないか、お母さんよりおばあちゃんの味が恋しくたって。





「お母様、んじゃ私は失礼しますー。あんまりおじょうさんをいじめちゃダメだし。かわいい娘さんじゃん。大事にしてやんなよ」


「アズさんはミユを気に入ってくれているのね。ほら、もう泣きなさんな」


「ん……」





 これじゃあどっちが大人で、どっちが子供なのかわからない。ミユは三人の中で一番幼いのに、一番情緒が発達している。





「さあ、お母様はさっさと業者を手配すれば。とりま自然死には見せかけてあっから、バレない自信あるけど」


「そ、そうでした」





 慌てた様子で電話の受話器をとる母ナミ。





 ずっとミユを守ってやらないとって思っていたけれど、そんなミユもすっかり大人びて。


 ナミは本当はずっと分かっていた。もうミユは、おばあちゃんの存在なんていらないって。


 お父さんが亡くなって、パートに励むナミを助けようと、ミユはたくさん家事を手伝ってくれた。少しでも力になりたくて、毎日一生懸命で。


 ミユの気持ちを考えたら、なんて言ってきたけれど、もしかしたら守られていたのは、ナミの方かもしれない。ミユの気遣いと優しさに、ずっと支えられていたんだ。








 それでもナミはミユに弱いところは見せまいと、今まで気丈にふるまってきたけれど、もうその必要もない。さっき目の前で一緒になって泣いちゃったし、仮面をつけるのは終わりだ。








 いずまいを正して各方面に連絡を済ますと、ミユがせかした。





「遅い! お母さん。アズはもう支度したって」


「ごめんごめん」


「本当にお葬式あげなくていいの?」


「大丈夫。遺言に直葬がいいってあったから」





 靴を履いた母親はじっとミユを見つめて、笑顔を作る。





「卒業おめでとう、ミユ」


「なんでこのタイミング? そりゃあありがたいし、うれしいけど」


「ふふ。言いたくなったの」





 お守りを失ったのは寂しいけれど、やっぱりうれしさの方が強い。小さかった頃を思い出すと、胸の奥が熱くなる。


 だからミユは何度だって「ありがとう」の言葉を送りたい。





「明日も明後日も、感謝する! 何度も電話して、『ありがとう』って言う」


「あ――……着拒?」


「する……かもしれないなあ、アズの性格だと」


「なんでだ。まあ、私もそんなことしたくないし。ほどほどにね」





 照れたように目をそらすアズ。その意外な姿を見て、ミユは思わず抱き着きたくなる。


 やっぱり死神アズはミユにとって最愛の死神なのだ。





「お母さん、行こう」


「そうね、ミユ」





 扉を開けて。二人はアズに手を振る。





「「バイバーイ」」





「こんな死神な私でも、守っていただけるのかね? おばあちゃん……」


 死神アズは今まで何度も繰り返してきた別れの挨拶をして、いただいたお守りを内ポケットに入れた。


 おばあちゃんの、手作りの、お守りを――。





 -了-

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