第7話 魔術を極めたい。

 クロエは元々、魔術師の家の生まれではない。彼女の家は商人の家系であった。ルーク王国の貴族とも付き合いのある、国内では知らぬものもいないというほどの大商家である。

 跡取りとしてクロエには兄がいるが、それでも彼女は家に残っていれば、家の手伝いをしながらも、何不自由なく暮らせたことだろう。

 それでも彼女は魔術の道に踏み込んだ。

 子供の頃、親の商売の手伝いで付いていった魔法王国。そこで目にした魔術の産物の数々。それはクロエが今まで目にしてきた全てのものを凌駕していたのだ。

 人の意志に反応して自由に動く石板。

 何もないところから尽きることなく生み出される水。

 空に浮かぶ城。

 魔法王国はまるで御伽噺に出てくるような夢の世界であった。そして、そのすべてを成し遂げたのは、魔術である。

 そんな魔術に、クロエは憧れた。そうして幸いなことに、彼女には魔術師としての才能もあった。

 魔術師としての才。それは魔力を感じ取れることである。

 魔族であれば当たり前にできることであるが、人にとってはそうではない。

 魔術道具を使う際、ある程度の魔力操作ができるように、人にも魔力を操ることはできる。しかし、それをしっかり感じ取れるかというと、人によって変わってくる。

 魔術師ともなると、ある程度魔力を視覚化してとらえる才能も必要となってくるのだ。

 才能を認められたクロエは、親のコネを利用することで、若くしてルーク王国の魔術研究室に所属する。

 そうして始まる研究の日々。

 しかし、その日々は順調とは程遠いものでもあった。

 自分の興味のあること以外には無頓着なクロエは、正直なところ、魔術研究室では疎まれていた。余計なトラブルを避けるため、目上の者には丁寧な口調をするよう意識はしてもいるのだが、はっきり言って伝わっていなかった。

 元々、ルーク王国の支援の少ない魔術研究室。そんな魔術研究室の中においても、クロエは自由に研究できたわけではなかったのだ。

 しかしルーク王国の国内において、魔術研究室以上に魔術の研究が行える場所はない。魔術ギルドも存在していたが、ギルドは研究よりも、魔術品を売って生計を立てるほうが優先されてしまうのだ。ギルドメンバーの中には、魔術を全く理解していない者もいるくらいである。

 好きなように着手できない研究。

 思うようにならない。思うようにできない。

 そのことに、クロエは思い悩んでいた。

 やりたいことはいくらでも思い浮かぶのに、そのやりたいことができる環境がないのだ。

 それが悔しくて仕方ない。

 自分の才能の無さを感じたのならば諦めがつく。もしくはクロエがもう少し大人ならば、自分を取り巻く環境もまた受け入れて、どうにかしようと思ったのかもしれない。

 しかし、クロエにはそれもできなかった。

 そんな時に声をかけてきたのはジェイドだった。

 冒険者として自身で魔物を狩れば、魔石が手に入るという彼の誘い。魔石は魔術的な触媒の中でも、最も応用が利く触媒である。

 つまり、魔術師としては喉から手が出るほどに欲しい触媒である。

 それを自身で入手できるというのなら、確かにそれに越したことはないだろう。

 少なくとも自分の物ならば、どんな研究をしたとしても文句を言われる筋合いはないはずだ。

 そう思ってクロエが、冒険者ギルドに入ったのは間違いない。

 しかし、実際はそれだけじゃなかった。

 クロエの魔術師としての才能が、ジェイドに対して、魔力の流れを感じ取ってもいたのだ。

 ジェイドに魔力的な加護があるのか、それとも魔族自身なのかはわからなかった。それでも、彼には魔術に関する何かがあるのは間違いなかった。

 その確信は、冒険者として過ごしていく毎にどんどんと強まっていく。

 そうしてのその確信は、彼の正体へと至ったのだ。


「魔族? 何のことだ?」

 ジェイドはクロエの問いを誤魔化そうとする。

 魔族なのかを問われたとき、驚きはしたが、クロエに確たる証拠はないはずだ。

 マルナには魔族であることを明かしたが、他の者に明かすつもりはない。人の魔王への嫌悪は相当なもので、魔族であることが多くの人に知られるというのは、それだけ危険でしかない。

 折角作った冒険者ギルドにしも、魔族の棲み処として誤解され、壊されてしまうだろう。それはどうしても避けたいところだ。

「まぁ、素直に答えてくれるとは思ってないっすけどねぇ。でも、ネタはあがっているっすよぉ。リーゼルさんを助けるとき、マスタぁは神殿に連れて行かずに、このギルド内で癒していたっす。つまり、あれだけの大怪我を治す力を使ったんだと思うんすよぉ。……つまり、その力は魔法」

 今までのだらだらした雰囲気を消し、核心を突くようにクロエは言った。

「……ふむ。それは飛躍しすぎだな。実のところ、俺は神官でもある。だから癒しの力も持っている。そう考えるのが普通だろう?」

「そういう切り替えしも、想像してなかったわけじゃないんすよぉ。ウチが冒険者ギルドに入った理由は、実のところ、魔石とか、魔術の素材が得られるってだけじゃないんすよねぇ」

 そう言って、クロエは懐から冒険者カードを出して、ひらひらと振る。

「これを見たとき、ウチは度肝を抜かれましたよぉ。気づいている人はほとんどいないっすけど、これ、物凄い魔術道具っすよねぇ。こんなの作れるの、魔法王国ですらほとんどいないんじゃないんすかねぇ。なのに、冒険者ギルドではこれを、冒険者一人一人に配っているんすよぉ。こんな一級品の魔術道具をほとんど見返りなくね」

「……それは、知り合いの魔術師に貰ったんだ」

 ジェイドはそう言いながらも、これ以上隠し通すのは無理だろうと思う。少なくとも、クロエの中ではすでに、もう答えは決まってしまっているのだ。

「マスタぁ。それは流石に苦しすぎっすよぉ。あまりにも赤字が過ぎますからね。こんなのホイホイ配れるようなのは、魔力が無尽蔵な魔族くらいっす。……もし、他の魔術師がいるというのなら紹介してほしいっすねぇ」

 思った通りの切り返しに、ジェイドは思わず苦笑する。

「……はぁ、わかった。良いだろう、認めよう。……俺は魔族だ」

「やっぱり」

 ジェイドの答えに、クロエは歓喜の表情を浮かべる。

「……だが、それを突き止めてどうする気だ? むしろ、口封じに殺されると思わなかったのか?」

 ジェイドは疑問を口にする。

 魔族であることを隠している以上、それを隠すためにと殺される可能性は十分あり得る。あり得るどころか、ジェイドはその選択を真剣に考えてもいる。

 そして、ジェイドを魔族だと突き止められるほどに、頭が回るクロエが、その可能性を考えないはずもない。自身が殺される可能性を。

 だというのに、彼女はそれでも突き止めようとしてきたのだ。

「……その可能性も十分に考えたっすよぉ。だからここからは賭けっすねぇ」

 クロエの中の感情には、喜びもあったが同じだけの不安も見て取れる。これからが彼女にとっての交渉なのだろう。

 緊張を紛らわすようにクロエは大きく息を吐くと、真剣な顔でジェイドを見る。

「まず、ウチとしては、マスタぁが魔族であろうと、それを言いふらす気はないんすよぉ」

「ふむん?」

「確かにかつて、魔王によって人々は苦しめられたっすねぇ。だからこそ、人々は魔族に対して恐怖と忌避を覚えているっす。それは間違いないし、マスタぁが警戒するのもわかるっすよぉ」

「そうだな」

「でも、ウチとしては、、遥か昔のことなんてどうでもいいことっすねぇ。もっとはっきり言ってしまえば、ウチは魔術の研究のためになら、誰がどうなろうと知ったこっちゃないんすよぉ。……うちにとって大事なのは、どうすれば魔術を、より探求できるか。だから、魔族の持つ無限の魔力から放たれる魔法の数々なんて、ウチからしたらどんな宝物よりも、魅力的なんすよぉ」

 クロエは軽口をたたくように言うが、その瞳はどこまでも真剣だった。

 彼女の感情に嘘はない。

 魔術を求める彼女の思いはどこまでも本物なのだろう。

「つまり、クロエは契約魔術を求めているということか」

 ジェイドの指摘に、クロエの顔が一瞬強張る。つまり、図星ということだ。 

「……そうっす」

 クロエは潔く頷いた。

 魔術には大きく、二つ存在する。

 一つは触媒魔術。

 それは魔力を持ったものを触媒にして、その触媒に沿った魔法を行使する魔術のことだ。例えば、炎を得意とする魔物の魔石ならば、炎の魔術と相性がいいというように、触媒によって使える魔術が変わる。この魔術の利点は、触媒さえ準備すれば誰にでも使えることだ、そして魔術師自身の負担もない。

 しかし、触媒を用意しなければ何もできないことと同義でもある。

 そしてもう一つは契約魔術。

 それは力のある魔物と契約し、その魔物の魔力を用いて使う魔法である。利点は契約した魔物が生きている限り、魔法を使えるということだ。

 しかし、魔法を使うにはそれだけ精神力を必要とし、強い魔法を使おうと思えば思うほど魔術師は精神力を消耗する。

「お前は、それがどういうことかわかっているのか?」

「わかっているつもりっすよぉ」

 契約魔術の欠点はもう一つある。魔物が契約者を殺そうと思えば、送り込んだ魔力を暴走させ殺すことだっていつでもできるのだ。つまり、命を握られることを意味し、隷属することと同義である。

 ちなみにではあるが、ジェイドの目から見れば、ロナの使う神聖術もまた、契約魔術と大差ない。契約しているのが神か魔物かの違いでしかないのだ。

「ふむぅ」

 ジェイドは考える。 

 実際、クロエと契約するのは簡単だ。そして契約さえ結べば心身ともに操ることだってできる。そうしてクロエを強化し、英雄に仕立て上げることだってできる。

 いや、そんな強化などしなくても、クロエは圧倒的な力を手に入れることだろう。デミドラの討伐だって余裕で行えるほどに……。

 それはジェイドにとって、とても楽で合理的な道ではある。

 しかし、そうすることを嫌だと思う自分がいた。

 自ら悩み苦しみ、立ち向かおうとする冒険者としてのクロエの道を断つということでもあるからだ。

 冒険者の冒険の舞台を奪う。それは冒険者ギルドのマスターとして、間違っているだろう。

 ジェイドは悩みに悩み、答えを出した。

「クロエ。……その話は断る」

「えっ⁉」

 ある程度、勝算があったのだろう。信じられないというように、クロエはジェイドを見る。

「契約したいというのなら、まず、魔術師として一流になることだな」

「魔術師としてっすかぁ?」

「ああ。俺はクロエが、一流の魔術師として成長すると信じている。しかし、ここで契約魔術に手を出せば、お前は契約魔術の便利さによって、触媒魔術に関しておろそかになる可能性が高い」

「それは、……ウチを舐めていないっすかぁ? ウチが見たいのは魔術の深遠っすよぉ。例え契約魔術で簡単に魔法が使えるようになるからと言って、魔術の研究をおろそかにするわけがないっす」

「ああ、そうかもしれないな。だが、そうでないかもしれない。今、それを証明することはできないだろう?」

「つまり、今のウチでは、マスタぁは信じられないということっすねぇ」

「正直に言ってしまえば、その通りだ」

「……はぁ。ウチの情熱を信じさせるために、一流の魔術師になって見せろってことっすかぁ」

「ああ、その通りだ」

「……わかったっすよぉ。でも、ウチが一流の魔術師になった時、ちゃんと契約してもらうっすからねぇ」

「ああ。楽しみにしている」

 クロエが一流の魔術師として認められた時には、既に彼女は一流の冒険者としても認められていることだろう。つまりそこまで辿り着いたのなら、それはすでに、冒険者としてのクロエの人生を楽しんだ後ということだ。

 その後ならば、クロエが隷属しようがどうしようが、ジェイドには興味がない。

「……とはいえ、冒険者カードから魔族であることがバレるとはな」

「そうっすねぇ。気を付けたほうがいいっすよぉ。今のところ、魔術に詳しくない人ばかりだから気づかれてないっすけどぉ、ウチみたいに少しでも魔術に通じている人からすれば、こんなのホイホイ配っているのなんて、異常っすからねぇ」

「そうだな。気を付けるさ」

 ジェイドは頷くと、隠すことなく魔法を構築する。掌で光り輝く魔法の球体。彼はそれを握りしめると、それは不可視の波となって広がっていった。

「今、何したんすかぁ?」

 興味をひかれたクロエが訪ねてくる。

「ただの暗示だ。例え冒険者カードを見ても、それがごく当たり前のことであるように思わせる。そういう魔法を冒険者カードにかけたのさ」

「今の一瞬で、すべての冒険者カードにっすかぁ? どういう理屈でそんなことができるんすかぁ?」

「元々、冒険者カードには俺の魔力が使われている。そこに俺の新しい魔法が反応して引っ付き、さらに効果を上乗せする。そういうイメージだな」

「それはつまり、元々かけてある魔法の上にさらに違う効果を与えることができるってことなんすかぁ?」

 人にとって魔族の魔法は未知のものなのだ。つまりクロエからすれば、魔族であるジェイドは生きた教材である。

 いつもは眠そうにしている目を、爛々と輝かせて彼女は質問をしてくる。答えても答えても、彼女は次々と聞いててくるのだろう。しかし、魔族のジェイドからすれば感覚的にやっているものなので、詳しく説明することも難しい。

 あまりにも面倒な事態に、ジェイドはうんざりとため息を吐いた。

 こんなことならば、契約して隷属し、黙らせたほうがいいのではないかと、半ば真面目に考えてしまうほどであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔王に飽きたので冒険者ギルドをはじめました。 西原 良 @ninota

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ