23 それは遠い日の

「さあ人間よ。あの日の契約を果たそう」


 僕の前に現れた見知らぬ男の人は、威厳たっぷり、自信満々という口調でそう言い放った。

 長い銀髪をなびかせた、これ以上ないというくらいのイケメン。

 僕を見下ろしながら、腕組みをして金色の目でこちらを見ている。確かに僕は男としては小柄だけど、この人だって相当背が高い。

 しかも間違いなく人間じゃない。頭に角が生えているし。


「覚えているか。俺との約束を……」


 真剣な眼差しだ。

 約束。約束か……。

 この人が言う約束って、前々から聞いていたあれのことだろうか? 確かに僕には思い当たることがあった。

 でもちょっと真実を伝えるのは気まずいんだけど……。


「……ええと、あの。すみません、たぶん人違いというか」

「誤魔化さなくても良い、人間の娘……楓よ。俺は確かに覚えているぞ」


 男性は人違いだとは全く思ってなくて、僕が遠慮してると思っているらしい。

 仕方ない。この人にちゃんと説明してあげるしかなさそうだ。


「すみません、本当に違うんです。楓と言うのはひいおばあちゃんなんです。僕はひ孫の葉月と言います」

「……なんだと?」


 男は目を丸くして、びっくりした顔でまばたきした。

 やっぱり勘違いしていたみたいだ。


「ですから、あなたが約束して契約を交わしたのは僕のひいおばあちゃんの楓で、僕はひ孫の葉月なんです。ばあちゃんはこないだ百歳で亡くなりました。あと僕はよくひいおばあちゃんの若い頃に似てるって言われるけど、女の子じゃなくて男です」



 僕にはひいおばあちゃん――楓ばあちゃんに聞いていた昔話があった。

 楓ばあちゃんがまだ少女だった頃、酷く傷ついた綺麗な白い鹿を助けたことがあるという話だ。家の近くの山の中でのことだ。

 人間の言葉を話す不思議な鹿は、手当のお礼を言うと去っていったそうだ。「お前が憂い案ずることがあれば、必ずその憂いを払いに現れる」と言い残して。


 楓ばあちゃんは「思い返してみれば、あれは神様だったのかもしれないわね」と笑っていた。

 その後楓ばあちゃんは成長して結婚し、それなりに苦労しながらも子供を育て、家族も増えて。みんなに見守られながら穏やかに息を引き取った。大往生だった。


「だから、神様、あなたの契約した楓ばあちゃんはもうこの世の人じゃないんです。神様にお願いすることもないくらい、幸せな人生だったんだと思いますよ」


 神様は釈然としない顔で僕の話を聞いていた。

 そして話を聞き終えると、ブスっとした表情で僕に言う。


「人間と俺とでは時間の流れが違うのを失念していた。それは迂闊だった。しかし俺は確かに願いの声を聞いたぞ。だからこそ、ついに楓に呼ばれたと思ってやって来たのだが……」

「うーん。それはもしかして……」


 確かに楓ばあちゃんは、亡くなる間際までひ孫の僕のことをすごく心配していた。

 僕が体が弱くて小柄で、霊感もあるせいか何かとトラブルに巻き込まれがちだからだ。


「なので、もしかして楓ばあちゃんの心配を、神様は願いごとだと勘違いしたんじゃないでしょうか?」

「なるほど……。なるほどな」


 僕が説明すると、神様はしきりにそう頷いていた。

 良かった。どうやら納得してくれたみたいだ。


「ということで、帰ってもらっても大丈夫で――」

「いや、俺は契約を果たすぞ」

「へ?」


 神様が予想外のことを言うので、僕は思いっきり首を傾げてしまった。


「え、でもさっきも言ったけど、楓ばあちゃんは……」

「楓はお前を案じ、俺に願った。なれば俺は契約通り楓の願いを叶えよう」

「えっ?」

「俺がお前を守ってやろう」

「ええーっ?」



 その後僕は必死で遠慮したんだけど、神様は全然言うことを聞いてくれなかった。

 結局強引に押し切られて、神様は今では僕の家に住んでいる。

 お父さんもお母さんも突然居候が増えたことを少しも不思議に思っていない。なので、神様は本当に神様なんだと理解した。


 そして神様が家にいるようになってから、僕は寝込んだり怖い目にあったりすることがあまりなくなった。

 だからご利益は本当にあるんだろうし、複雑な気持ちもあるけど、素直にありがたいなあとも思っている。


「時に葉月よ。今日の夕餉はなんだ」

「今日は肉じゃがだよ、神様」

「そうかそうか、よきにはからえ」


 夕方学校帰りには変なものが見えて悪寒がしたのだけど、家に着いたらどちらもキレイさっぱり消えていた。

 どうやら今日も、神様は楓ばあちゃんとの契約を果たしてくれているみたいだ。

 ありがとう、神様。楓ばあちゃん。


 僕は神様の大好きな肉じゃがを作るべく、じゃがいもの皮を剥き始めるのだった。

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硝子小片寓話集 夕雪えい @yuyuki3

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