餌付け
狸汁ぺろり
公園にて
おい、坊主。それをやっちゃあいけねぇよ。隠さなくたっていい。ほぅら、それだよ。お前さん、今そこの野良猫に餌やろうとしただろ。右手に握ってるビスケットの欠片のことだ。こらこら、そんなにビクビクするんじゃあない。なにもお前を叱ったり、親に言いつけたりするつもりはねぇよ。俺の身なりが汚いからって、悪い奴だと決めつけるのはよくない。猫にその菓子をやるのをやめればいいだけのことだ。……ん、わかったようだな。良い子だ。
いいかい。この公園じゃあ、野良猫に餌をやるのは禁止されてんだ。「餌付け禁止」って表のカンバンに書いてあるだろ? おっと、坊主にはまだ読めない漢字だったか。こりゃよくないな。子どもに意味が伝わらなきゃカンバン立てる意味もねぇ。お役人も気が利かねぇな。
ええ? どうして猫に餌をやっちゃいけないのかって? ハハハ、坊主は良い子だな。そうやって不思議に思ったことをすぐに聞くのは良いことだ。いいだろう。教えてやるよ。例えば、今ここで坊主が猫に餌をやったとする。猫は喜んでそれを食べる。野良の動物ってのは何だって食うからな。それだけなら問題はねぇんだ。猫は餌にありつけて嬉しいし、それを見ている坊主も嬉しい。いいことづくめ……に見えるだろ。ところがだな、一回だけ餌をやって、果たしてそれで猫は満足するか? そりゃあ食べた瞬間は満足だろうよ。けどよ、坊主が朝昼晩、それからおやつを食べるように、猫も毎日何かを食べる。誰かの飼い猫だったら毎日餌をもらえるが、野良猫だったら自分で見つけなきゃいけない。坊主が一回だけ餌をやっても、それだけで生きていくことは出来ねぇんだ。明日も、明後日も、その次の日も、餌を欲しがるわけだ。
猫は餌をもらえると思って、毎日ここにやってくるだろう。もしかしたら友達や家族も連れてくるかもしれない。だけど坊主はどうだ? 毎日ここに餌をやりに来られるか? 雨の日も、風が強い日も、一日だって休んじゃダメだぞ。そんなの無理だろう。そうすると、猫は代わりの餌を求めてこの辺りをうろつく。決して遠くには行かない。もしかしたら餌をもらえるかもしれないと思って、この近くをずっとうろつき回るんだ。そのうちゴミ箱をひっくり返す、他の人にすり寄って餌をねだる……まぁ、とにかく色んな迷惑をやらかすわけだ。
よくわからないって
……なぁ坊主。ちょいと話を聞いてくれないか? さっきの話に関係することだ。まだお家に帰るには早いだろ。お、聞いてくれるか。ありがとよ。
この話はな、「餌付け」をやっちまった男の話なんだ。猫に餌付けをした結末の話だ。その男は子どもの頃から冴えない奴でな。何をやらせても要領が悪くて失敗ばかりで、しょっちゅう周りの人間をイライラさせてた。どうにか大学を出て就職もしたが、そこでもロクな活躍はできなかった。で、入社して二年も経たないうちにあっさりクビになった。そんな奴だから当然新しい働き口もすぐには見つからない。努力はするが何一つ上手くいかず、しだいに何もかも面倒になってきた。仕事を探すのにも疲れて、でも家でじっとしているのも息苦しくて、公園のベンチで時間を潰すことが多くなっていった。
うっふっふ、坊主は賢いなぁ。そうだ、ここで猫が出てくるんだ。ある日、男がベンチに座ってしけた弁当を食っていると、足元に一匹の野良猫が擦り寄ってきたんだ。餌付け禁止ってカンバンはその当時からあったんだが、男はそんなもの気にも留めないで、天ぷらの欠片を猫に食わせた。……バカだろ? その男は公園のルールを破ったことにも気付かず、むしろボランティアでもしてやったような気分になっていた。良いことをすればお天道様が味方してくれるかも、なんて虫のいいことを考えていた。
その日以来、猫に餌をやるのが男の習慣になった。人付き合いでは何をやってもダメな男だからな。野良猫とはいえ、自分を頼ってくる奴を放っておけなくなったんだ。弁当だの、菓子だのを持って公園に通うのが唯一の楽しみだった。……おうおう、やっぱり坊主は賢い子だ。うふふ、そうそう。男は何も仕事をしていない。つまりお金をほとんど持っていないんだ。大事な貯金は食費やら家賃やらでどんどん減っていくってのに男は新しい趣味に目覚めちまった。餌の一回二回ぐらいならお金も問題なかったが、猫も男もそれだけじゃあ満足できなかった。猫は毎日餌をねだるし、しかも求める量がだんだん増えていった。天ぷら一つ平らげても満足せずに、物欲しそうな目で男の顔を見つめるんだ。そうすると、男は自分の食うつもりだった分まで猫にくれてやるのさ。自分に付きあってくれる唯一の相手を手放すぐらいなら自分が腹を空かす方がマシってわけだな。バカだろう。おい坊主、笑いなよ。うっふっふ。
ここから先は、ちょいと惨いお話だぜ。ん? 「むごい」って何かって? それはな、坊主みたいな良い子には聞かせちゃいけないような事さ。だけど、ここまで聞いてやめるわけにはいかねぇだろう。
さっきから何度も言ってる通り、猫はだんだん図々しくなってくる。餌付けを初めて二週間もした頃には、弁当を丸ごと一つ平らげなきゃ満足しないようになっていた。男もさすがにヤバいと感じたのか、キャットフードだのニボシだの安くて量の多いもんを食わせようとしたが、猫はそれらに見向きもしなかった。一度ゼイタクを覚えられちまったらもういけない……人間と同じものだけを食べたがる。菓子を食わせようとするとかえって暴れだすぐらいワガママになった。物欲しそうな目で見つめられたら、結局、男の方が折れてわざわざ猫のための弁当を買いに行く。お金はどんどん減っていく。男は猫の餌代を確保するために昼飯を食わなくなった。その次には朝飯も食わなくなった。金を節約するために風呂も洗濯もあきらめた。
その男はな、完全にいかれちまったのさ。一人の人間として、社会に立ち向かう勇気を失くしちまったんだ。猫に餌をやるためだけに生きる方が楽に感じたのさ。うふふ、どうした坊主? 震えているぜ。話が怖いのか、それとも俺が怖いのか? とにかく、男は猫のために全てを投げ出した。家賃が払えなくてアパートを追い出された。荷物も服も売り払って金を得て、その金は全部猫の餌に消えていった。
猫は肥える。男は痩せる。うっふっふ。猫は魔性のイキモノだからなぁ。坊主も”化け猫”って聞いたことがあるだろう。猫は人の心をたぶらかすのさ。とうとう男は金を使い果たした。売れるものは何もなくなった。
さぁ、ここでクイズだ。自分はもう何も持っていないのに、猫はまだ餌を欲しがってくる。男はどうしたと思う? ヒントをやろう。野生の猫は、腹が減れば何だって食べる。天ぷらでも、菓子でも、魚でも肉でも野菜でも、ニンゲンでも、腹の足しになるなら食べる。何もかもなくした男が、ただ一つだけ持っているもの。それは……。
おっと、逃げるなよ。逃げるな! 坊主が逃げようとするからオレは捕まえるんだぜ。うっふっふ、肩の震えがオレの手に伝わるぜ。つくづく、坊主は賢いなぁ。だけどちょいと早とちりだ。坊主が怖がるから言ってやるがよ、男はまだ猫に自分を食わせたわけじゃないんだぜ。だから俺は幽霊じゃないんだ。えっへっへ、どうだ安心したか。いくら狂っていても、猫にいきなり大人の体を食わせようとするかよ。物事には順番がある。最初は小さいのからだ。そう、まずは坊主からだ……。
餌付け 狸汁ぺろり @tanukijiru
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