第21話 退学回避嘆願
こわばった表情で、山田はメガトンのチューターである本多准教授と対峙している。
本多准教授は山田の主張に共感している。しかし、山田とは立場が違うのだ。
それを理解出来ない山田は切々と本多准教授に訴える。
「メガトンは数学が大好きです。それに、数学センスも素晴らしいです!」
メガトンを山田がどのように理解しているのか、本多准教授は知りたくなる。
「どういうふうに素晴らしいの?」
「メガトンが悩んでいることは正直言って、最初は僕には理解出来ないことが多いのです。でも、良く聞くと、メガトンは奥深い本質的なことで悩んでいるみたいで驚かされるのです」
教官の立場を前面に出し、すまなそうに本多准教授は山田に回答する。
「それは確かね。でも、専門科目を一科目でも落としたら『退学勧告を出す』との条件で入学を特別に許可したのよ。
……学科の先生全員で決めたことなの。私には、どうしようもないわ」
「浜口だって専門科目を落としています。浜口には『退学勧告は出ず』、メガトンには『出す』なんて不公平です!」
山田は怒り出している。
それを本多准教授は渋々なだめなければならない。
山田を説得に掛かるが迫力がまるでない。
「浜口君は一般入試で合格したの。メガトンは一般入試では明らかに不合格の学生よ。学力不足は承知で特別に許可したの。ただし、条件付きでね。そうでないと入試に公平性を欠いてしまうわ」
山田は話し合いのための準備を十分にしてきたのだ。
鋭い反撃の一撃を放つ。
「吉村もAO入試合格者です。高橋先生の『解析学特論』が不合格です。吉村にも『退学勧告』を出すのですか?」
「………」
研究室に聞こえるのは二人の息づかいだけだ。緊張感が高まっている。
AO入試者の中でメガトンは最下位の成績だったことを、本多准教授は入試の機密性の観点から山田には語れないのだ。
本多准教授の話は、いかにも歯切れが悪い。おかげで山田のいらいらが加速する。
「でも、僕、そもそも一般入試とAO入試とでは、まるっきり合格基準が違うと思います」
「そうは言うけれど、AO入試合格者でも優秀な学生はいるわ」
「僕、合否を決める最低ラインがそろっているかどうかの議論はおかしいと思います」
「どういうことかしら?」
「AO入試で優秀な成績で受かる学生は、一般入試も受かるのではないでしょうか?」
本多准教授は、山田が何を言いたいのかが分からない。
「それはそうね。でも、何も問題はないわ」
「AO入試合格者でも優秀な学生がいる。だから、AO入試合格者は全員、一般入試合格者と同一の学力が必要との議論は、どこかおかしいと思います。だったら、そもそもAO入試なんか必要ないじゃないですか」
本多准教授も本音ではメガトンを救いたいのだ。思わず山田の意見に同調する。
「山田君の言っていることは一理あるわ。もともとAO入試は、一般入試とは異なった観点からユニークな学生を選ぶ制度ですものね」
この意見を聞いて、山田は意気込んで本多准教授に力説する。
「メガトンは、まさしくユニークな学生です」
「たしかにメガトンは、ユニークだわ」
教授である年輩の学科主任に『学科の決定を覆す』ような意見を吐くのは、若い本多准教授には特別な勇気がいるのだ。
それに説得出来る自信もない。
本多准教授は思わず本音を漏らす。
「さっきも言ったように、『AO入試の意義は、一般入試では不合格な学生にも、特異な才能を持っていれば門戸を開くことだ』と、私は思っているわ。個人的な意見では、最低ラインがそろっていなくても構わないと思っているの」
「それなら、入試の公平性なんか持ち出さなくても、いいじゃないですか」
本多准教授は、自分の意見を代弁しているような山田の視線がまぶしい。
「絶対にメガトンは特異な才能を持っています。本人が言っているように、暗記も計算も図形も駄目だけれど、本質を嗅ぎ分ける能力は独特です」
不本意ながら教員の立場に戻って、本多准教授は反論する。
「審美眼があっても芸術家になれるとは限らないわ」
本多准教授の言葉に、山田が憤然とする。
「先生は、どうしてもメガトンを退学に追い込みたいのですか?」
そう言う山田の目が据わっている。本多准教授の答えは弱々しい。
「そうではないわ」
「それじゃあ、どうしてそんなことをおっしゃるのですか?」
山田は、しつこく粘る。
本多准教授はやり込められて原則論を仕方なく繰り返す。
「あくまでも『退学勧告』であって、『退学処分』ではないわ。この違いは、とても大きいのよ」
本多准教授の言わんとすることを、山田はメガトンにあらかじめ打診してあった。その結果を本多准教授にぶつける。
「メガトンは『退学勧告』を受けたら、それに従うつもりです。僕、確かめました」
「数学を諦めてしまうの?」
「いいえ。もう一度入学試験を受けて、復帰する積もりでいます」
本多准教授は、ため息を漏らしながらメガトンとのやり取りを山田に語る。
「チューター面談のとき、私にも、そう話していたわ。メガトンは少しも変わっていないのね」
山田は、本多准教授の伏し目がちの表情に語気を和らげる。
「メガトンの頑固さには、正直、手こずります」
「でも、どうしてなの?」
「メガトンは言っていました。『わたしはお情けで、条件付きで入学したのよ。その条件をわたしが守らなかったら、これから、わたしみたいのは、みんな不合格になってしまう。そんなの許せない』って」
「メガトンの言う通りかもね」
そう言う本多准教授の表情が暗い。
ここで、温めてきた切り札を山田が出した。
「先生! みんなの署名を集めて嘆願書を出したら、再考してくれますか? かなり集まりそうです。メガトンの駅伝大会での活躍も役に立ちそうです」
そう言われて本田准教授は考え込む。
(署名騒ぎなんか起きたら、うちの学科主任、ますます態度を硬化させるわ。何か良いほかの手立てはないかしら?)
黙り込んだ本多准教授の額を山田は祈るような気持ちで見詰めている。
やっと本多准教授がつぶやいた。
「五島先生に話してみるわ。最長老の五島先生なら、主任、いえ学科全体を説得してくれるかも知れない」
山田は本多准教授のつぶやきに淡い期待を抱いた。
しかし成算をもてないのか、本多准教授は山田の熱い視線をつらそうに外す。
それを見た山田が、本多准教授にていねいに頭を下げた。
「先生、メガトンをよろしくお願いします。五島先生とのお話し合いの結果、差し支えなかったらお教えください」
五島教授と山田は面識がない。面識があったら直談判を企てただろう。
そして不安を抱えながら、山田は暖房のきいた本多准教授の研究室から寒い廊下に引き下がった。
一礼して研究室を去る山田に、本多准教授はため息を漏らした。
『困ったときの五島頼み』が効くかどうか、もう一つ自信がないのだ。
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