第9話 再試験
お盆休みで鵜の木学園は明日から入構禁止になる。今は昼下がりだ。緑に囲まれた学園とはいえ暑い。とにかく暑い。
その暑い中、『微分積分学Ⅰ』の採点結果に浜口が怒りまくっている。浜口は不合格だった。
聞き手は、いつもの三人、山田、彩、メガトンだ。
「俺、先生に『採点方法がおかしい』って、みんなを代表して抗議しに行ったのだ。でも、先生、全然、話を聞いてくれない。アカハラ(アカデミック・ハラスメント)で訴えてやる」
彩は浜口が何を怒っているのか理解出来ない。浜口に尋ねた。
「採点方法のどこがおかしいって言うの?」
「最初の十題は一題あたり二点。次の十題は一題あたり三点。最後の五題は一題あたり十点。……こんな配点、どう考えたっておかしい! いかさまだ! 詐欺だ!」
彩はますます理解出来ない。
「どこもおかしくないわ。やさしい問題より難しい問題の点数を高くしているだけじゃない。……シンちゃんはどうすれば納得出来るの?」
「最初の十題は一題あたり六点。最後の五題は一題あたり二点。……こうすべきなのだ。定期試験は基礎学力を重視しなきゃ、おかしいよ」
山田が浜口の意図を見抜く。
「配点を変更すると六十点以上になってシンちゃんは合格になる。そういう仕掛けだね」
今度は彩が怒った。でも顔色は変わらない。
(シンちゃんの言うことを聞いていたら、私と他の人との差が縮まってしまうわ。まったく馬鹿なことを考えるわ。とんでもない!)
彩は大きく息を吸い気を静めて浜口に反論した。
「さっき、『みんなを代表して抗議』って言っていたけれど本当なの? 自分だけの都合のように聞こえるわ。一体全体、誰の賛同を得たの?」
彩の質問に一瞬たじろいだ浜口だが、正当な理由を考えついたつもりになった。
「賛同はまだ得ていないけれど、みんなのためさ。俺の提案が通れば、みんな助かるさ。そうだろう、メガトン」
メガトンは浜口の提案に同意しない。
「そんなの駄目よ。自分の都合で配点変更を申し込むなんておかしいわ」
「だから、言っているじゃないか。みんなが助かるって……」
「わたしには関係ないわ。六点が十八点になるだけ。不合格は不合格で結果は変わらないわ」
「メガトンは出来が悪過ぎだよ。俺とは別の問題だ。自分だけの都合で俺の名案に反対するなんて許せないよ」
メガトンは辛口の意見を浜口にぶつける。
「シンちゃんは数Ⅲを高校生時代に習ったのに不合格。わたしは習っていないで不合格。わたしの方が伸び代は大きいわ」
浜口は余計むくれた。
「確かに赤ちゃんは無限の可能性を持っている。なにしろ何もまだ習っていないのだから。でも、そんなこと、出来の悪い言い訳にはならないさ」
美しい笑顔を作って彩が仲裁に入る。
「二人とも言い争いは止めましょう。私もヤマちゃんにお手伝いするわ」
浜口はきょとんとして尋ねる。
「何の手伝い?」
「ヤマちゃんがメガトンの再試験を助ける件よ。シンちゃんも落ちてしまったので、お二方を私とヤマちゃんとで何とか合格させる努力をするわ。おいやかしら?」
浜口は彩の流し目に、たじたじである。心臓が、どきんどきんと動悸を打っている。
すべてに自信ありげに振る舞う彩だが解析学特論の試験結果は不安でいっぱいだ。試験結果に不安を抱くのは、これが生まれて初めてだ。一人で結果を静かに待つのは恐ろしくてとても出来そうにない。
(山田君、解析学特論の出来はどうだったのかしら? ほかの試験の結果も早くわたしと比べたいわ。シンちゃんとメガトンのお世話を山田君と一緒にしていれば、きっと、その機会はあるわ。それにそうすれば、山田君の発想を盗む機会もありそうだわ)
山田は彩の思惑は分からない。あっさり彩に賛成した。
「シンちゃんとメガトンさえOKなら、そうしよう。ところで再試験の日は、いつだっけ?」
メガトンは記憶していない。でも、浜口ははっきり覚えている。
「九月の最初の金曜日」
山田が現実的な試験対策を口にした。
「まずは今度の試験問題をきちんと解けるようにすることから始めたらいい。僕は、そう思うけれど、彩さんはどう思う?」
「いい考えね。さらに過去問を解いておくといいわ。過去問は私が揃えてある。それを使うといいわ」
教科書を丹念に読むことばかりに熱心だったメガトンは、彩に言われた勉強法が異次元の世界に見える。実際メガトンは練習問題なんか解いたことがない。まして過去問を調べるという発想もなかった。
メガトンはどう勉強したらよいか混乱していた。
長身の山田は、黒い大きな目をくるくる巡らすそんなメガトンを見おろしている。
そして、ゆっくりした口調で忠告した。
「教科書の公式を確かめながら、きちんと計算することから始めたらいい」
「わたし、退学になっても、もう一度入試を受け直す手があるわ。でも入試に再合格しても、わたしだけまた一年生。みんなは二年生。そんなの寂しいわ。わたし、ヤマちゃんの言うように頑張る!」
「その意気だ。メガトン!」
メガトンは山田の忠告を守って再試験の準備に励んだ。おかげで微分・積分の公式に慣れた。
ところで、『線形代数Ⅰ』もメガトンは不合格だった。このため、この再試験の準備も必要だった。メガトンは行列や行列式の計算も苦手だ。
それでも教科書と首っ引きで練習問題に取り組んだ。おかげで彩の用意してくれた過去問も何とか解けるようになった。
暑い夏の中、山田の指導のおかげもあって、しょんぼりしていたメガトンに少しずつ笑顔が戻ってきた。
だが、それも再試験が始まるまでだった。浜口は再試験すべてが合格だった。メガトンは、その反対だった。
結果を知った彩は山田に尋ねた。
「メガトンはちゃんと勉強したの?」
「ちゃんと勉強したさ」
「それでは何が悪かったの?」
「メガトンはきちんと理解する能力は持っているみたいだ。でも公式がきちんと覚えられない。例えば微分と積分の公式の区別が暗記出来ない。教科書を見ながらならすらすら解けるのに本当に不思議だ」
「不思議ではないわ。誰だって教科書を見ながらなら出来るわよ」
山田はメガトンを擁護する。メガトンをけなす彩に少し腹を立てたようだ。
「そうでもないさ。問題を見て必要な公式を教科書からすぐ探し出せるとは限らないよ」
「全部不合格だなんて、メガトン、ショックね」
「意外なほどさばさばしていたさ」
彩はメガトンの反応がまったく理解出来ない。思わず確かめる。
「本当に?」
「メガトン曰く、『これで当分試験はないわ。極限の定義がまだよく分からないから解析概論を読み返してみる』だって」
「そんなもの覚えさえすれば困らないわ。変わった子よね、メガトン」
「たしかに変わっている。彩の言う通りだ」
「でも、まだ再履修があるわ。復活のチャンスが残っているわ」
「そう、頑張ってもらわなきゃ」
彩は、どう見ても美人とは言えないメガトンに肩入れする山田が不思議だった。
「ヤマちゃん、なんでそんなにメガトンのお世話を焼くの? かわいいからかしら? 私はメガトンの教育係からすぐに手を引いたのに、ヤマちゃんは馬鹿に熱心だわ」
山田は彩の質問に戸惑った。自分でも理由がよく分からないのだ。
「あいつチビでブスで、そのうえガリだけど……」
「だけど?」
「あぶなっかしくって、何となく面倒を見たくなるのだ。でも言われてみれば、確かに不思議だなあ!」
「ねええ、チビとブスは分かるわ。でも、『ガリ』って何のこと?」
「ガリガリのお痩せのこと」
「まあ! かわいそう」
そう言って笑いこけた彩は山田の意見に大賛成だ。
後期の授業が始まるまで、後一ヶ月。彩は、しっかりと予習をし始めている。それに後期定期試験問題も入手済みである。
一方メガトンは、『解析概論』に没頭していた。
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