第2話 合否判定会議

 数学科主任の河崎教授が口火を切った。「それでは、先日行われたAO(アドミッションズ・オフィス)入試の合否判定会議を始めます。入試委員の本多先生、試験結果を報告願います」

 本多准教授は、判定会議に集まった先生の手元に資料が配布されているのを確認し、報告を始めた。

「AO入試の当学科の募集人員は三名。受験者は九名。うち、当日欠席が二名です」

 机と椅子が口の字型に配置された教室に集まった先生の視線が、配付資料に集中する。

 緊張気味に説明する本多准教授の顔を誰も見ていない。

 本多准教授は資料に目を落としまま、たんたんと報告する。

「配点は、人物、数学、英語、現代国語、おのおの五〇点です。面接及び採点は、各項目、三人の先生が行いました。本日配布した資料には、受験生ごとに各項目の得点及び総合点が記載されています」

 説明が終わると、出席した全教官に、本多准教授が注意を付け加える。入試関係書類は、『秘』扱いなのだ。

「なお、本日配布した資料は、会議終了後、回収いたします」

 次に、人物、数学、英語、現代国語の順に、各試験の短評が、面接委員より紹介された。

 総合順位最下位のメガトンと他の受験生との差は大きかった。

 いよいよ合格候補者の決定である。議長役である学科主任が、入試委員の本多准教授に合格候補者案の提示を促す。

 本多准教授は準備してきた案を披露する。

「過去、毎年、合格者の中から、入学辞退者が出ています。また、総合順位五位と六位の受験生の間には大きな差があります。これらの点を勘案して、総合順位五位までを合格したいと思います」

 まずは妥当な案と大きく頷いた学科主任が先生達に意見を求める。

「入試委員のご提案に対して、ご質問、ご意見がありましたら、挙手をお願いします」

 コロコロ変わる制度に付いていけない古参の教授が挙手した。

「総合順位二位と三位の間も大きな差がありますね。今年は出来の悪い受験生が多かったようです。総合順位二位までを合格という案は、どうですか」

 この意見を受け、入試委員の本多准教授が入試事務の解説を行う。

「募集人員が三名ですので、総合順位三名までは合格させなければなりません。これは義務です」

 定員割れをふせぐために、なるたけ多くの合格者を早めに確保しておこうと考える教員が約半数いた。

 一方、出来の悪い生徒を受け入れると、授業が大変になると危惧する教員も約半数いた。

 議論は堂々巡りとなった。

 長引いた判定会議を学科主任は収束させに入った。

「それでは五名合格が妥当なところですかね。どなたか、ご異議がありますか」

 いつもは寡黙な意外な人物、高橋教授が異議を唱えた。

「総合順位七位の林田を取ってみては、どうですか」

 驚きが一様に広がった。

 一呼吸おいて、学科主任が会議室の空気を代弁した。

「試験成績が最下位ですよ。しかも、数Ⅲを勉強していません。とても付いてくるとは思えません」

 メガトンを合格させるとなると、教授会で合格理由を特別にきちんと説明する必要がある。主任は、やっかいな仕事を避けたいのだ。

 その主任を助けるような意見が出た。

「主任の意見に賛成です。数Ⅲをやっていない生徒に、どうやって大学の微積分を教えるのですか?」

 いつもは、『不合格』に賛成する高橋教授だったが、今回は逆だった。恐い顔で反論した。

「数学科で学ぶのは現代数学です。計算や図形じゃない。正しい日本語を正しく理解するのが基礎です。数Ⅲが出来る出来ないかはあまり関係ない……。違いますか」

 学科主任が高橋教授に問いただした。

「先生のおっしゃることは一理あると思います。でも、どうして、この生徒が論理的思考能力を持っていると判断出来るのですか。その根拠がわかりません」

 高橋教授は引き下がらない。

「番外にぶつけた、『男は、みんなオオカミだの否定文を作れ』との五島先生の質問に、この生徒は、きちんと正解を返していました。大きく伸びる可能性はあると思います」

 主任も負けてはいない。

「でも、お荷物になったら、どうするのですか」

「駄目なら退学するでしょう。やらせてみては、どうですか」

 高橋教授の考えを主任が確かめる。

「成績六位の生徒は、どうするのですか。合格させるのですか」

「特筆すべきものがありません。不合格でしょう」

 高橋教授の意見に主任はあきれる。思わず強い口調になる。

「無茶な。そんなことをしたら、試験の公平性が疑われます」

 主任は追い打ちをかける。

「それに、この生徒だけに番外の問題をぶつけたのでしょう。他の受験生だって出来た可能性があります。とても公平な判断とは思えません」

 会議は紛糾した。堂々巡りが、さらに続いた。

 応援演説をして高橋教授に味方をしたい本多准教授だが、よい案が浮かばない。本多准教授は、メガトンが成長する姿を見たいのだ。でも一方では、悲惨な結末を恐れていた。

 主任が数学の試験を担当した五島教授に意見を求めた。

 五島教授は会議室が静まるのを待ち、やおら口を開いた。

「AO入試は、ペーパーテストでは計れない特殊な能力を有する生徒を見いだすのが本来の趣旨だと思います」

 硬骨漢の高橋教授は、結論を『ズバリ』と切り出した。

 一方、温厚と評判の五島教授は、まず全員が賛成と思われる意見を披露した。

「とはいえ、学力がないと大学の授業に付いてはこられません。ですから、筆記試験が許されていない私たちは、学力を見るために面接の中で口頭試問を行っているのです」

 この五島教授の意見に誰も異論はない。

「手間のかかる割に、よい生徒が取れないAO入試なんか止めてしまえというのが、皆さんの本音かと思います」

 本多准教授は思わずうなずく。それを目にしながら、五島教授は提案する。

「でも私達は、学園の経営者側から『定員割れをなんとしてでも防ぐ。そのためには一般入試では不合格の生徒の入学もやむをえない』との要請を受けています。このため、手間暇を掛けて、AO入試の準備をしてきました。今回は、これを活かしたら、どうでしょうか」

 学科主任が先を促す。

「ごもっともなご意見です。それで、具体的には?」

「総合順位、一番、二番、七番が合格の案は、募集人員を満たしています。でも、教授会での説明が極めて困難です。総合順位、一番から五番と七番が合格との案も説明が困難でしょう。それらと比べ、全員合格の案は説明がしやすいと思います」

 五島教授は高橋教授の意見に賛成なのだ。学科主任には意外だった。出来れば特別な説明無しですむ入試委員案を採用したかった。でも、数学科最長老の意見には反対しにくい。

 このため、学科主任は最長老の意見に従うものの実現が困難な案を持ち出した。

「それでは、一年次における履修科目のうち一単位でも落としたら退学を条件に合格としたらどうでしょうか」

 本多准教授が戸惑った。

「どういうことでしょうか? 条件付き合格なんて前例がありません。それに、受験生の了解をどうやって取るのですか。どう考えても不可能な案です」

 すると、学科主任は高橋教授が責任を負う案を提示した。

「どう了解を取るかなどの事務の細部の手続きは、合格案を提示した高橋先生にご提案して頂きたいと思います。主任としては、高橋先生のご提案を尊重致します」

 高橋教授は学園運営や学科運営が苦手だ。

 ここまでは学科主任の作戦勝ちだ。

 高橋教授が黙り込むのに代わり、五島教授が発言した。

「受験生一人のみに退学条件を課すのは、公平性の面から無理があると思います。また、学則にないことを学生に強制するのは不可能です」

 この意見に判定会議出席者全員が納得した様子だ。会議参加者の空気を読んで五島教授は続ける。

「しかし、皆さんが心配しておられるように、この受験生が講義についてこられない可能性は大いにあります」

 主任が、「その通りです」と、もらす。

 五島教授は主任の意見を尊重しているような意見を述べる。

「その場合、もし本人の将来を真剣に考えるのでしたら、主任がおっしゃるように、適性を見て早めに見切りをつけさせるのが親切だと思います」

 本多准教授が五島教授に確認する。

「でも、退学を強制するのは学則に反するのではないですか?」

 五島教授は笑顔で切り返す。

「ですから、入試委員の先生から、『一年次の専門科目で不合格科目があった場合、退学を勧告する』との文章を入学手続き前に送付して頂くのがよいと思います。それでも入学手続きをするようでしたら、勉学への意欲は本物でしょう」

 高橋教授は、主任の案と五島教授の案のどこに差があるのか、はっきりは理解出来ない。

 しかし、主任は五島教授の案を即座に受け入れる。

「五島先生がおっしゃるように、退学の条件は『全ての科目ではなく、専門科目のみを落した場合に絞った方が良いでしょう』 確かに体育の単位が取れないで退学には無理があります」

 主任は納得顔で結論を出す。

「今年は特別に全員合格としましょう。入試委員の本多先生、教授会で説明するための特記事項の文言を考えておいてください。教授会を通ったら、次は理事会で説明を求められるはずです。しっかり対応しないと紛糾します」

 そう言われても、本多准教授は、どのような文言にしらよいか分からない。思わず主任に反発する。

「条件付きの件は、教授会で、どう説明するのですか?」

 面倒な仕事を入試委員に押しつけたつもりの学科主任が、思いがけない反発に顔をしかめる。

 それを見た五島教授が、学科主任に代わって答える。

「リメディアル教育(基礎学力不足の学生に対する補習教育)の充実を前提に、全員を合格とするとの趣旨でよいと思います。『退学勧告』付きの話は、学科内部の話です。教授会に持ち出す必要はないでしょう」

 これに学科主任が明るい顔で賛同する。

「その案でしたら教授会をすんなり通りそうです」

 しかし、用心深い主任は懸念を口にする。

「でも、『無理をして学力不足の生徒を入学させて大丈夫か』との質問が出たら困りますね」

 五島教授が想定質問に対する回答案を述べる。

「その場合、『春休みを利用して、入学前学習を今まで以上に念入りに行う』ことにしては如何でしょうか」

 学科主任としては早急に会議をまとめる必要があった。

「最長老の五島先生のご意見を尊重したいのですが、皆さん如何ですか」

(そもそも、AO入試そのものが問題なのだ。ここは、いたしかたない)

 こんな思いが全員によぎった。

 主任が、いかめしい顔でしめくくった。

「なお、入学前学習の指導は教務委員の先生にお願いすることになります。それに、来年度のリメディアル教育は、特にしっかり準備してください」

 長引いた学科の合格判定会議が、やっと終わった。

 しかし、学科主任には今日の会議の議事録作成が待っている。

 うっとうしい作業だ。

 談笑しながら会議室を出て行く先生を見送りながら、議長席に一人残る学科主任がため息を漏らした。

(何でこんなに会議や書類づくりが増えたのだろう? 

 教育や研究に割ける時間が年々減っている。

 今はまだ、五島先生が雑用を引き受けてくれているので助かっている。それだけに、五島先生が定年退職した後が末恐ろしい。

 事務方を強化すべきなのだろう。しかし、学園の経営者側は、経費が掛かるからと、そんなことは考えてもいない……。むしろ減らすことしか考えていない)

 こんな気持ちを読んだのか、廊下を元気なくやって来る学科主任を待っていた五島教授が声を掛けた。

「河崎先生! 先生には教授会でがんばってもらう必要があります。お忙しいでしょう。今日の議事録、なんなら僕の方でまとめましょうか?」

 学科主任は、ほっとした表情だ。

「是非お願いします。五島先生に書いて頂ければ間違いは無いし。……本当に助かります」

 このときの合否判定結果は、静かだった鵜の木学園の数学科に大きな波紋を巻き起こす。

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