葫中天

ミヤマ

葫中天

 ぼとん、と音がどうくつの中でひびきました。かたい土の地面にレイシが転がっています。見上げても、おじさんの作ったどうくつの天井があるだけです。

 上のレイシ畑を転がってきた実が岩の切れめから落ちてきたのかしらとおもっていると、先を進んでいたおじさんがおおいと声をかけました。

 ふってきたんだよこれ、と見せると、「ここじゃ茘枝れいしも降ってくるだろうなあ」とおじさんはカラカラ笑いました。

「支那の古いご書物ほんには、そんな不思議な洞窟の言い伝えが幾つものってるんだよ」

 山おくの広いやしきに一人ですんでいるおじさんはレイシを育てている庭をぬけたさきの地面をくずしてどうくつを作りました。

 冷えててあまいレイシをいっしょに食べながら、おじさんはどうくつの先に広がっているというトウゲンキョウやそこにすむセンニンの話をしてくれます。広間でぼくの父さんや母さんとなにやらむずかしいお金の話をしているときとは大ちがいの表じょうです。

「洞窟が完成したは良いが、肝心のものがまだ育ってないんだ」 おくの方を歩くと、そこだけ地面の色がちがい、たがやかされています。

「葫盧の種を蒔いたんだ」

「コロってなに」

「中国の言葉で、瓢箪のことさ、葫は壺の意味で、入れ物のことを現している」

「どんなひょうたんが生るの」

「そりゃあ摩訶不思議な瓢箪さ。内と外も、過去と未来もくっついて、実の中にまた別の宇宙が詰まったからっぽの……」



 鹿児島の叔父が死んで一か月後、その人工洞窟を歩きながらそんな会話を思い出した。支那趣味の叔父は蘇州留園を模した庭園を造り、書庫には中国各地の淫祠妖巫を集めた洪邁こうまいの「夷堅志いけんし」、仙術秘咒の類を記した葛洪かっこうの「抱朴子ほうぼくし」や劉向りゅうこうの「列仙伝」、自身がこの屋敷を立てるとき参考にしたのだろう、テンプルの「エピクロスの庭」やジラルドーの道教関連の論文も並んでいた。そして、叔父が枕頭の書としていた陶淵明とうえんめいの「桃花源記とうかげんき」もあった。それを繙いては、洞窟の奥にある桃源郷の話をし、挙句その洞窟と桃の園を自宅に造った叔父。


 私の父母や他の親戚からは気違い呼ばわりされ、宝石商で成した財の分配は、いま一堂に会したそんな彼らの喧喧囂囂けんけんごうごうたる議論の決着を待つだけとなっている。そんな紛糾に嫌気がさし、当時の記憶を辿るがまますっかり古びた人工洞窟の奥を歩いていた。良く冷えた茘枝を一粒片手に握りしめて。

 叔父の、あの最後が途切れかかった言葉から、大学で習った位相幾何学をふと思い出す。自分自身と交わることで空間内に現出できるという二次元射影平面のボーイ曲面や、円筒を捻り繋げてできるクラインの壺。その壺は内と外の区別がつけられないので、三次元モデルで造形すると本来交差しないはずの二点が交じりあい、したがって四次元空間でしか描き得ない多様体なのだという。


 そのうちに、耕されていたあの場所が見えてきた。すっかり堅く、苔に覆われていただろうと思われたその箇所からは幾本も茎が伸び、蔓が絡まり、青々としたひょうたん、いや菰蘆がぶら下がっていた。何とも言えない、奇妙な形の葫盧であった。少なくとも、この世界の言葉では表現できない形をしていた。  


 近づいてみると、葫盧は大きい口を開けていた。茘枝を指に挟んだ手でたぐりよせて口を覗くと、果肉の代わりに洞窟の光景が広がっていた。洞窟を歩いている少年と老いた男性が見えた。思わず指の間の果実が滑り、葫盧の口へと吸い込まれた。それはひゅうと落ちていき、地面にぶつかって

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葫中天 ミヤマ @miyama_book

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