第9話 過ぎ去りし日と同じ月の下で

「やっぱり夜空は気になりますか?」

 縁側で、ぼんやりと空を見上げていた結城礼門に、風呂上がりの浅田侑平が声を掛けてきた。やっぱりというのは、過去の職業を指してのことだろう。礼門はかつて、陰陽師だった。

「いや。そんな理由で見ていたわけじゃないよ」

 だから礼門は、まさかと笑った。天の動きから運命が読み取れるなんて、生まれてこの方考えたことはない。

「さすが。根は科学者ですね」

 よいせと、大学生らしからぬ掛け声とともに、侑平は礼門の横に座った。そして同じように空を見上げる。

 寺の中は暗く、夜空を見上げるには打ってつけだ。そもそも、この地域自体、田舎に分類されるほどの人口しかいないから、夜空は非常に美しく見える。今日は満月で、その姿も美しかった。

「そうだな。そう言ってもらえると、嬉しい。それに、あの星たちの光が、過去から届いたものだと思うと、懐かしいやら悲しいやら、不思議な気分にしかならないよ。でも、あの日を忘れないためにも、いつも、特に月夜は見てしまうな」

「天牙さんに、呪を掛けられた日、ですか?」

 いずれ侑平にも掛けられる、永遠の時を生きる呪。すなわち、輪廻を止める呪だ。

「ああ。あの日は美しい満月で――忘れられないほど美しかったよ」

 礼門はしみじみと呟く。その横顔に悲壮さはないが、複雑な感情が見え隠れしていた。

「ずっと生きてきたってことは、何回満月を見たんでしょうね?」

 その感情に少しでも触れたくて、侑平は少し意地悪な質問をする。

「さあ。電卓を持ってこればいいんじゃないか」

 が、礼門はあっさりとかわしてくれる。さすがに宇宙物理学の准教授に、この質問では無理か。計算しろで終わってしまった。

「他の日も、印象的な夜空ってありましたか?ずっと生きてきたってことは、戦国とか幕末とか、大変な時代も見てきたんですよね?」

 だから、侑平はより直接的な質問をぶつけていた。感傷的になっている時にしか話せないだろう、本音に触れたい気持ちが強くなっていた。

「戦国な。今思い出しても腹立つ出来事の連続だった」

「?」

 が、礼門から漏れてきたのは怒りの波動。一体何があったんだろう。気になるが、何となく訊きにくい。

 侑平がドン引きしていることに気付き、礼門はごほんと、わざとらしい咳払いをした。

「たしかに色んな時代を生きてきたな。みんな、過ぎ去っていった。同じように、こうやって空を見ていたのに。が、そういうものだと、思うようにしている。俺はその流れに乗っていないんだ。彼らは今、どこかで違う人間として生きているんだしね」

 それが、輪廻転生というものだろと、礼門はにこりと笑った。でも、その笑顔はどこか悲しい。

「そうですね。って、そうか。この時代にいるってことは、誰かの生まれ変わりなのか」

 ふと思うと、今の今まで考えなかったことだ。輪廻転生。それに関わる出来事の最中にいるというのに。

「ま、どこまで本当なのかは解らないけどね。少なくとも、死ぬこととイコールで考えてしまうからね。次に進む、というイメージかな。残念ながら、俺も千年以上生きているが、誰かの生まれ変わりって解ったことなんてない」

「そ、そういうものなんですか?」

 傍に閻魔大王の一部がいるのにと、侑平はそちらが意外だった。

「ああ。しかし俺や君は特殊で、実際に鬼も神も仏も存在することを知ってる。ということは、輪廻転生はあると考えるべきってことだよ。実態を知らないだけでね。多くの人が、あると考えて生きている限りは、あると考えるしかない」

「そう、ですね」

 つまり未だ定義のない現象なのだ。それは礼門の定義する能力が永遠に及ばない、本当に不可思議な世界。

 侑平はまた夜空を見上げた。今日も変わらず、満月は夜空に輝いている。

「しんみりしてしまったな。すまない。こんなことに巻き込んだうえに、俺は、君を救えないのに」

「――」

 不意討ちに言われた謝罪に、どきりとして、否定の言葉が出なかった。

 そして気付く。この人も同じくらいに傷ついているのだ。侑平の身に起こる、総てを知る先達であるからこそ、深く傷ついている。

「いいんです。俺にはこうして、月をずっと傍で見上げてくれる人がいますから」

「――」

 それに、今度は礼門が何も言えなかった。ずっと傍に。今まで願っても届かなかったもの。それが、皮肉な形で手に入ろうとしている。なんと、罪深いことだろう。

 そのまま二人はしばらく、満月を見つめていた。が、後ろががさごそと騒がしいことに気付く。

「何だ?」

「何でしょう?」

 二人が同時に振り向くと、鬼の一生がじどっと睨んでいた。一体何事だ。

「今日。十五夜なんだけど」

「――なるほど」

 騒がしい理由はそれかと、二人は頷く。

「急にしんみりモードとかなしだよ。薬師の団子出来たよ~って、脅かそうと思ったのに~」

 悔しいと、イタズラ好きの鬼である一生は叫んだ。どうやらずっと背後でタイミングを見計らっていたようだ。ああ、そうですかと、侑平は呆れるしかない。

「こらこら。ま、難しいことは横に置いて、団子を食べながら中秋の名月を楽しみましょう」

 そこに薬師如来が山盛りの団子を持って現れた。上には美味しそうな餡子がたっぷり掛かっている。

「全く。愛の告白かと思ったのに。これから二人で手を取り合って永遠に生きていましょう。ああ、いい絵になってたのに」

 さらに後ろから、弥勒の腐女子発言。おかげで場は一気にいつもどおりだ。

「それに今は、騒がしい仲間がいたな」

「ですね」

 もう、寂しく満月を見る必要はないのだ。礼門は少し安堵し、もう一度、今度は楽しい気持ちで夜空を見上げていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

妖怪と遊ぼうー妖し輪廻スピンオフ集ー 渋川宙 @sora-sibukawa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ