第58話

 九月上旬。

 文芸部廃部の危機があっけなく去ったときから、数日が経っていた。


 俺と小夜子は恋人同士になったはずなのだが……今までとあまり変わらない時間を過ごしている。


「せんぱーい、暇なんですけどー」

「そうか。俺は忙しいよ」

「いつも通りラノベを読んでるだけじゃないですかー」

「ラノベを読みながら次に書く小説の構想をしているんだよ」

「まあいいですけど……。早めに書き上げてくださいね、私も次回作が楽しみなんで」

「おう、任せとけ」


 次回作。

 俺はまたラブコメを書くことに決めている。

 今度は文芸部が舞台ではないけれど、また小夜子とのやり取りを参考にしてヒロインを描くつもりだ。

 俺は最近、小説に関しては割と順調な日々をすごしている。


 だがしかし、小説以外の部分で、俺には一つ頭を悩ませている問題があった。

 それは、どうすれば俺と小夜子の、恋人としての関係が進展していくのかという問題だ。

 俺たちは未だに、手を繋いだことすらないのである。


 ……まあ、付き合い始めてから日が浅いのだから、仕方ないことは分かっている。

 分かってはいるけれど、今の俺は小夜子の恋人だ。

 ちょっと彼女の手に触れるくらい、許されるべきではないのか。


「さっき購買でお菓子を買ったんですけど、食べますか?」


 小夜子は俺の気も知らず、のん気にチョコを渡してきた。

 俺はその瞬間、これはチャンスだと思い、


「おう、サンキュー」


 と言いながら、偶然を装って彼女の手を握ってみた。


「ふぇっ!?」


 小夜子が驚いたような声を上げて、体をびくっと跳ねさせる。

 彼女の手は小さくて、温かくて、ぷにぷにと柔らかかった。


「せ、先輩……?」

「ああ、ごめん。嫌だったか?」

「い、いえ……嫌じゃないです……えへへ」


 小夜子がそっと、俺の手を握り返し、微笑む。

 そのあまりの可愛らしさに、俺は自分の頬が熱くなっていくのを感じた。


「な、何だか、恋人同士みたいですね……」

「みたいじゃなくて、恋人同士だろ」

「そ、そうでしたね……えへへ、照れます……」


「えっ!? 二人って付き合ってるの!? 初耳なんだけど!?」


 俺たちが初々しい会話をしているところに、やけにテンションの高い声が割り込む。

 小夜子はまたもや体を跳ねさせて、ぱっと俺の手を離した。

 俺と小夜子は、同時に声のした方を向く。


「全然知らなかったー! 教えてくれたら良かったのにー、いぇいっ!」


 そこには、興奮した様子の灯里がいた。


「何だよ灯里、来てたのか!?」

「うん、遊びに来たよー。ちなみに、フェニックスも一緒だよ」

「まったく、付き合い始めたのなら拙者にも一言報告くらいして欲しいものだ。今まで応援していたというのに……」


 灯里の後ろから現れたのは芦沢くんだった。

 彼は小夜子の方をじっと見ると、呆れたような顔をする。


「あはは……ごめんなさい。先輩と付き合えたことに浮かれちゃって……」


 小夜子は申し訳なさそうな顔で頭を掻く。

 芦沢くんは小夜子の恋愛相談に何度も乗ってくれていたらしいし、俺にとっても恩人だ。

 彼がいなければ、俺と小夜子はどちらからも告白しないままで過ごしていたかもしれない。


「アタシたち、二人をお祝いしようと思って来たんだよ! 文芸部の廃部がなくなったんでしょ!?」


 灯里は嬉しそうに笑って「四人でパーっと遊んで祝おうよ」と提案してくる。

 それを聞いて小夜子の顔が明るくなった。


「お祝い! ぜひやりたいです!」

「小夜子ちゃん、乗り気だねー。カラオケでも行く? 思いっきり歌っちゃおう! いぇいっ!」

「拙者はパリピが多い場所がいいな。クラブとか」

「おい! 俺が小説を書いたから文芸部が存続したんだぞ! 俺の意見も聞けよ!」


 四人でああだこうだと言い合う声が、部室に響く。


 その中で俺は「ああ、こういう時間もいいものだな」と感じていた。

 小夜子と二人で文芸部で過ごして、時には灯里や芦沢くんが訪ねてきて、色々話して……。


 そんな時間がこれから先も続いていくのだと思うと、俺の残りの高校生活が明るいものに思えてきた。


「先輩、カラオケに決まりましたよ! 行きましょう!」


 今度は小夜子が俺の手を取った。

 その手をぎゅっと握り返して、俺は立ち上がる。


「オッケー。よーし、今日は思いっきり遊ぶぞー!」

「先輩、明日からはまた、ちゃんと小説を書いてくださいよね?」

「分かってるって。俺は文芸部員だからな」


 そう言って俺と小夜子は笑い合う。

 灯里と芦沢くんは、そんな俺たちのことを温かい眼差しで見つめていた。


 廃部の危機が去った文芸部に、新しい季節がやってくる。

 窓の外には、抜けるような青さの九月の空が広がっていた。




 終わり

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太陽と月の文芸部 Lakuha @LakuhaP

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