2

「ばいばーい」

「おっつー」

「また明日!」

 少し暑さを感じるようになった気候で、日の長さも多少伸びているようだ。校舎の中央の柱にある時計が5時を過ぎる頃を指しているが、まだ夕暮れには少しだけ早く明るかった。

 「好きなことやる部」の面々は、いつものように校門のところで3手に分かれて帰路に着く。理樹と頼は、手を振りながら校門を出て左に曲がり、透留は校門の前に横たわる道を渡る。そして柊太と真尋は、校門を出てすぐ右側に曲がって歩き始めた。

「しかしほんと暑いですね。もうこれ夏だなぁ」

 柊太がそう言いながら胸元のシャツをつまんでぱたぱたと風を入れると、真尋は柊太の横に並んで、

「言っておくが、夏場の部室は地獄だからな。ハンドタイプの扇風機なり冷却シートなり、自己防衛策を講じておけ」

と言った。

「え、そうなんですか?確かにあそこ、熱こもりそうですもんねー……。狭いし」

柊太はげんなりする顔を見せながら、自分の真横にいる真尋をちらり、と見た。

こうやって柊太が真尋と並んで歩けるようになったのは、ほんの少し前のことだ。真尋が柊太にこの距離を許すのに時間がかかったことは、柊太も疑問に思うところではない。でもまさか真横に並んでくれる日がくるとは、少し前までの柊太には想像ができなかった。

(でも、いいのかなぁ……。こんなの、おれ……もしかしたら真尋先輩と接触しちゃうかもしれないのに)

実は、柊太のチカラの増幅能力に真尋が警戒し始めてから、柊太は真尋に一切触れていない。すれ違ったりするときも柊太は全力で真尋に当たらないようにしているし、肩を叩いたりといったスキンシップも一切取らない。

ときに、真尋に触れたいと衝動的に思うこともあるが、柊太はそれを必死で耐えている。

 それはもちろん、柊太が真尋に触れることでテレパシーのチカラが増幅して、思考が漏れることを危惧する真尋への気遣いだ。そのため、真尋と並んで帰るようになってからは、柊太は腕を後ろに回してカバンを持っている。

 一方で、柊太は真尋の言葉をもっと聞きたい、と以前から思っていることも確かだ。真尋に触れれば、もしかしたらそれが叶うかもしれない。しかし、柊太は頑としてその道を選ぼうとはしない。

(真尋先輩が嫌なことは、絶対にしない)

 柊太は、自分の真尋への気持ちに気付いたときから、そう固く誓ったのだ。

 ただ、柊太が思った以上に真尋との物理的な距離が縮まったことで、こうして帰りの道すがらにも少しずつ会話ができるようになった。柊太は、こうして言葉数の少ない真尋の言葉を拾っていくのが、日々の楽しみになっている。

「……おい」

「はい、何ですか?」

 真尋の呼びかけに、素直にそう返した柊太は、真尋の方を少し見降ろした。

(ん?おれ、真尋先輩を見降ろしてる?)

 柊太は、その感覚に違和感を持った。まだ春の初め頃、出会ったときにはそんな身長差は感じていなかったためだ。

その違和感に柊太が「あれ?」と思っていると、真尋がわずかに下から柊太を見上げる。

「お前……背、伸びたか?」

 ああ、そういうことか、と柊太は腑に落ちた。

「そういえばこないだの身体測定のとき、おれ入学前から4cm伸びたんですよ」

「2ヵ月でそんなに……もしかして、相当でかくなるんじゃないのか?」

 真尋がそう言うと柊太は、

「もしおれがもっとでかくなったら、真尋先輩とは大人と子供みたいになっちゃうかもですね」

と言ってハハ、と笑う。

「お前……俺だって、そんなに低い方じゃないぞ。この俺を子供扱いしようなどと一瞬でも考えるとはいい度胸だ」

 真尋は、少しカチンときた顔をして柊太がいる左側と逆方向に顔を向けた。

「真尋先輩、気付いてます?そういうの、拗ねるっていうんですよ」

 柊太がそう言って茶化すと、真尋はぐるん、と柊太の前に回り込んで、

「お前な!」

と抗議した。その瞬間、2人は今にも胸が触れそうな距離まで近づく。

「……!」

2人は同時に息を飲み、体を硬直させた。すんでのところで接触を避けた2人は、ふぅ、と息を吐いてまた歩き出す。しかし真尋は、さっき柊太に自分が拗ねていたことを指摘され、さらに抗議を強めるべく柊太の方に半身を向けて横向きに歩いていた。

「お前、柊太のくせに最近生意気だ。いつから俺にそんな口を利けるようになったんだ」

「いつから?あー、いつからですかねぇ。たぶん、真尋先輩は意外と怖くないって気づいたときじゃないですか?」

 真尋は、その柊太の言葉にぐっ、と言葉を詰まらせる。そんな真尋を見て柊太は、

「真尋先輩、普段は仏頂面ですけど、おれ全然怖くないです。むしろ……」

「……むしろ?」

 柊太が言いかけた言葉を真尋が繰り返すと、今度は柊太が言葉に詰まって、

「……何でもないです」

と少し真尋から視線を外して頬をかいた。

 こんなとき、素直に「かわいいです」と言えたら、どんなにいいか。

「そ、それより真尋先輩!そんな歩き方してたら転びますよ」

 柊太はそう言って真尋に注意を促す。

「何を?俺がそう簡単に転ぶと思っ……」

不意に、真尋は言葉を途切れさせた。同時に真尋の足はガッ、と道路の舗装の少し盛り上がったところにつまずき、そのままぐらり、とバランスを崩してしまう。

「真尋先輩!」

次の瞬間、柊太は考えるよりも早く真尋の方に手を伸ばした。そして、倒れそうになった真尋の体を両腕でぐい、と抱きかかえる。

「……!!」

柊太は、腕で真尋の体温に初めて触れて、頭から爪先まで血液がそっくり逆流するかのように、激しく体が脈打つのを感じた。そして、柊太の頭の中でぐるぐると思考が渦巻く。

『し、しまったー!!』

『やばい、離れなきゃ』

『……あったかい』

『どうしよう……ぎゅってしたい』

『そ、そんなのダメだ!』

『真尋先輩……大好きだ……!』

「!!」

 突然、真尋は柊太の体を突き飛ばし、何とか体制を整えて立ち上がった。ただ、その顔は驚きのあまり大きく目が見開かれ、開かれた口からはぁ、はぁと上がった息が漏れている。そして真尋の左胸には、自らぎゅっとシャツを握った拳が当てられていた。

「ご、ごめんなさい真尋先輩!おれ、つい!」

 柊太が全力で頭を下げた後、

「で、でも真尋先輩の心の声は一切入ってきてないですから!ほんとです!だからもしかしたら増幅しないのかも!きっとそうです!だから安心して」

と矢継ぎ早に言葉を発すると、それを遮るように真尋が言った。

「い、いや……増幅は、し、してる」

 そう言う真尋の息はまだ上がっているとはいえ、真尋の言葉にしては明らかに歯切れが悪い。そして真尋は左胸の拳を握りながら、もう片方の手で頭を抱えた。

「ま、真尋先輩……?」

 真尋がこれまでにないほど明らかに動揺しているのを見て、柊太は不安になって声をかける。すると真尋は、

「……これ、たぶん、増幅だ……」

と、自分に起きた現象を整理するかのように呟いた。

「どういう、ことですか……?」

 確かに、真尋に触れても柊太の頭の中には真尋の声は一切流れてこなかった。それなのに、真尋のチカラはどのように増幅したのだろうか。

柊太の問いを受けながらも、真尋はそれに答える言葉をなくしていた。

「……」

「真尋先輩、教えてください!どうなっちゃったんですか!?」

 柊太が真尋に答えを求めるのは、チカラの増幅能力を持つ柊太としては当然だ。そして、それにちゃんと答えなければならない、と真尋も思っていた。

 真尋は、意を決したように息を整えて、口を開く。

「……自分の、じゃなくて……、相手、のが、伝わる」

 いつも滑らかに喋る真尋の言葉とは思えないほど、その言葉はしどろもどろだ。

「相手のが、伝わる……?」

 柊太がにわかにその言葉を理解できずに聞き返すと、

「相手の思考が、入ってくる……!」

 と真尋はぎゅっと目を閉じて声を絞り出した。

「…………へ?」

 思わず柊太は、素っ頓狂な声を上げてしまった。なぜならそれは、

「……おれの思考が、伝わったってことですか!?」

と気付いたためだ。柊太が、喉の水分が全部なくなったように声をかすれさせながら叫ぶと、真尋は無言でこくん、とうなずく。

「え、ちょっと待ってください、それって、それって……全部……?」

柊太は、さっきまで頭の中に渦巻いていた思考を思い出しながら、にわかに混乱して真尋を見る。真尋は、まだ柊太とは目を合わせずに深く俯いて、前髪で顔を隠していた。

(やばい、おれさっき、真尋先輩のことばっかりいろいろ考えてたぞ!?)

 柊太は、自分の真尋への気持ちがそっくりバレてしまったらしいことに、全身が赤外線を仕込んだかのように熱くなるのを感じる。

 周囲は少し日が傾き、オレンジ色に染まりつつある。しかしその中でもわかるくらい、真尋も顔から耳元、首元まで朱く染めているように見えた。

「あの真尋先輩!」

「待て!待て!」

 柊太も真尋も、完全にパニックに陥って何をどう言っていいのかわからなくなっている。

「ち、違うんです真尋先輩!おれ、その、さっきのはあの」

 とりあえず柊太は、必死になって弁解しようとしきりに胸の前で両手を振った。

しかし真尋には、柊太の「違う」という言葉が本意ではないことが理解できる。真尋のチカラとは、自分の紛れもない本心が相手に伝わってしまうものだ。そのチカラが増幅したのだから、柊太の思考もまた紛れもない本心であると考えるのが自然だ。

柊太が本当に自分を想っているという事実を知り、どうしていいかわからず真尋は眼鏡の上から片手で顔を覆ってしまった。

(どうしよう……真尋先輩、戸惑ってる)

 柊太は、とにかく真尋を落ち着かせたいと思ったものの、

「真尋先輩を困らせるつもりはないんです!全然!だからあの……違うんです!」

と言うのが精いっぱいだった。

 すると真尋は、顔を覆った手指の隙間からわずかに目を覗かせ、

「……違うのか?」

と柊太を少しずつ上目で見る。

 その言葉と目に、柊太は今までの弁解の勢いをひるませた。真尋のその目に見つめられて、嘘をつくことはできない、と柊太は思う。そして柊太は観念したように、こう呟いた。

「ち、違わない……です」

 伝わってしまったものは仕方がない。柊太は、ぐっと拳を握って、自分の気持ちと目の前にいる真尋に向き合うことに決めた。その途端、さらに柊太の全身にかぁっ、と熱が駆け巡る。真尋が今自分の目の前にいる。当たり前のことなのに、今は柊太の胸をうるさく躍らせた。

 柊太は、すぅ、と大きく胸が膨らむぐらい深呼吸をして、声を絞り出すように叫んだ。

「大好きです、真尋先輩!!」

真尋はその柊太の言葉に、呼吸を止めたように固まる。しばらくすると、顔を覆っていた手をおずおずとどけて、柊太を見上げた。眼鏡越しの真尋の顔は、見たことがないくらい強い赤みを帯びて、見開かれた目は潤んで揺れている。

 一方、自分の気持ちを出し切った柊太は、その場にへなへなと座り込んでしまった。

「……言っちゃった……」

 はぁぁ、と柊太が特大のため息をつくと、真尋は無言のまま柊太の様子を見つめた。そのまましばらく立ち尽くしていた真尋は、やがて意を決したように唇をきゅっと結び、柊太に1歩近づいてゆっくりとしゃがみ込む。そして、下からそっと柊太の顔を覗いた。

 それに気付いて柊太が恐る恐る顔を上げると、真尋は柊太の目をしっかりとらえた。そして、震える手でゆっくりと自分の眼鏡に手をかけ、柊太の目の前で、すっ、と外す。

「……真尋先輩……!」

 今まで、頑なに眼鏡を外すのを嫌がっていた真尋が自らそのガードを外したことに、柊太は驚きを隠せなかった。そして真尋は、かすかに唇を震わせながら言う。

「お……お前の心だけ勝手に読んだんじゃ、フェアじゃないからな。よく聞けこの野郎」

そう言って、潤んだ真尋の目がまっすぐに柊太の目を射抜いた瞬間、柊太の頭の中に真尋の声が流れ込んできた。

『――――』

 その声に、柊太の目は真ん丸に見開かれる。真尋は、少し戸惑ったような、ほっとしたような複雑な表情を見せた。そして、真尋は柊太から目をそらすことなく、眼鏡のつるの先を唇に当て、緩やかに微笑んだ。

 初夏の風が、2人の間を通り抜けていく。それは、2人が初めて出会ったときのようだ。その風は、初夏の訪れを感じさせる緑の匂いがした。



終わり

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