5章

1

 それからしばらくの時が流れ、成沢高校は衣替えの時期を迎えていた。校門のあたりに咲いていた桜はすっかり新緑に包まれ、夏を待つ風景に変わっている。

「お~、みんな夏服だねぇ。何か久しぶりに見るとやっぱり新鮮だよね。うんうん」

透留が「好きなことやる部」の部室に入って右側の席で、面々の半袖シャツを眺めながらニコニコしていると、誕生日席に座っている真尋が冷静に言葉を放つ。

「おろしたての制服を着た子供を見守るオカンか」

「でも、やっと学ラン脱げて爽快ですよ!うちの学ラン、真っ黒だから熱こもるんですよねー」

柊太がそう言いながら腕をぶんぶんと回すと、理樹もそれに応える。

「ほんとそれ!やっと重いのから解放されたって感じー!」

「これで思いっきり暴れても楽チンだし、何たって毎日洗濯できるしなー!」

 頼もすがすがしい顔で、ぴょんぴょんと跳ねた。

「こら、暴れるのは部室以外にしなさい」

 透留の頼に対するお小言は、季節が変わってももちろん衰えることはない。

その横で、理樹が「わーい夏服!」と言いながらくるくる回っていると、ガツン!と理樹の手が椅子の背にぶつかって「いった!」と声を上げる。

「あーほらお前、周りの距離感わからずに回ってっからだよ」

 頼は、手を押さえてうずくまっている理樹の前にしゃがみ込み、理樹が押さえている手を取って様子を見る。

「何か、面白いですね。頼先輩、透留先輩には怒られるのに理樹先輩には世話焼きになるなんて」

 頼と理樹の様子を見ながら柊太が言うと透留は、

「理樹くんは頼くんほど暴れないから僕が口出ししないってのもあるけど、頼くんは理樹くんのことほっとけないんだよね」

と、微笑ましげに言う。

「ちょ、別に理樹をほっとけないとかじゃねーし!ただこいつが危なっかしいから」

なぜか頼が透留の言葉を必死に否定しようとするが、透留はさらに嬉しそうにニコニコする。

「危なっかしいから世話焼きたいんでしょ?」

 そこに、真尋の容赦ない言葉が飛んできた。

「ただ、頼と理樹が一緒になってはしゃぐときには揃って成敗するけどな」

 真尋のその言葉に、

「へへ、多めに見てよーお父さーん」

「成敗なんて穏やかじゃねぇな。頑固親父かよ」

と理樹と頼が口々に返す。

「だから、誰が頑固親父だ」

 真尋は眼鏡のつるをくい、と上げながら言うと、透留はふふ、と笑いながら、

「もう諦めた方がいいよ~真尋くん。ずいぶん前から頑固親父キャラ定着してるんだし」

と楽しそうに真尋の肩を叩く。

「親父かどうかは置いとくとしても、真尋先輩が頑固なのは否定の余地ありませんもんね」

 柊太も乗っかって真尋にそう言うと、真尋は柊太に睨みを利かせる。

「ほう、お前も言うようになったじゃないか」

 真尋が漂わせる若干険しい空気に不穏なものを感じながらも、柊太はめげずに、

「もうちょっとふわふわっと生きても、怒る人なんていませんよー」

と言って、真尋にニカッ、と笑いかけた。

 真尋は、その柊太の顔を見て一瞬ぴたっ、と動きを止めるが、すぐに眼鏡の両側を親指と中指で持ってくい、とかけ直す。

「えーでもさ、ふわふわして生きてる真尋なんて、ちょっとキモくない?」

 その理樹の言葉に、一同は上を向いて真尋が「うふふ、あはは」と雲の上を駆けながら遊んでいるのを想像する。しばしの間があった後、

「いや無理、マジ無理!やっぱ真尋は頑固親父でいいわ」

と頼が首を横に振り、透留があごに手を当てて残念そうに目を閉じる。

「うーん、ふわふわな世界がこんなに似合わない人がいたなんてね~」

「お前らな……。勝手に人でイメージを膨らませて遊ぶな」

 そんなやりとりを尻目に、柊太はまだ1人で考え込んでいる。

(雲の上で笑いながら遊ぶ真尋先輩……?天使かな……)

「おい……柊太」

 頭の中でそんな想像に浸っていた柊太を呼び戻したのは、真尋本人だ。

「えっ?は、はい!」

 いつの頃からか、真尋に下の名前で呼ばれるようになった柊太が慌てて返事をすると、

「いい加減、想像やめろ」

と背後からゴゴゴ……と音がしそうな凄みを利かせて真尋が言う。

(あー……。現実は天使とは程遠かった)

 それでも柊太は、初めて「好きなことやる部」に来てから2ヵ月近くの間真尋を見ていて、真尋が必ずしもただのコワモテではないことを知っていた。

 表情をぴくりとも崩さず冷静かと思えば、驚くときには目で語っているし、少し戸惑ったり照れたりするときには揺れる表情も見え隠れする。

 それが、傍から見れば微々たる変化だったとしても、柊太には真尋なりの表情の豊かさだと取れるのだ。

(ほんと真尋先輩、見てて飽きない。何か、宝探ししてるみたい)

 そして、柊太が真尋から見つける宝は、夏服になったことでも発見することができた。

(首筋……)

 柊太が、夏服で少し露わになった真尋の少し白い素肌に見とれていると、その視線に気づいたのかふと顔を上げて柊太の方を見る。

 不意に真尋と視線が合った柊太は、若干やましいことを考えていただけにわずかに焦る。しかし、以前なら驚いて心臓を跳ね上げていたが、今はとく、とくと早まる鼓動を自分で聞きながら、真尋に笑いかけられるようになっていた。

「……!」

 そして、先に視線を反らしてしまうのは真尋の方だ。そんな真尋の態度は今に始まったことではないため、柊太は気にせず「柊ちゃーん」と呼ぶ理樹の方に向き直る。

 だから、柊太は気付いていない。最近、柊太と目が合って反らした後の真尋の白い肌が、絵の具を落としたように朱く染まることに。

 そんな真尋の変化を露も知らない柊太は、理樹が提唱するある案を聞いていた。

「それで、柊ちゃんのチカラを借りれば、ぼくが空気を動かして風を作れるんじゃないかって!」

「え~……。サイコキネシスってそんなチカラだっけ~……」

 透留が理樹の案に乗り切れないでいると、

「そんなん、やってみなきゃわかんないじゃん!ぼくたちのチカラって『こういうもん』でくくれるわけじゃないでしょ?」

と理樹は言って口を尖らせる。すると頼は、完全にやる気満々で鼻息を荒くした。

「それ、成功したらすごくね?この部室クーラーねぇから、風が起こせれば地獄の夏も怖いもんなしだぜ!」

「うーん、じゃあやってみます?」

 柊太も半信半疑ながら、とりあえず理樹の方に手を差し出してみる。理樹は、柊太のその手をしっかりと握った。

「柊ちゃん、コントロールよろしく!じゃ、いくよー!」

 理樹はそう言って上に手をかざし、「はぁぁ……っ」と声を発する。すると、少しずつゴォォ……という音が鳴り始め、空気の流れに変化が起き始めた。

「お、これいけるんじゃない?」

 理樹は声のトーンを上げて、さらにチカラの発動を念じる。すると今度は、部室にある机や椅子がカタカタ……と揺れ始め、やがて宙に浮いた机や椅子、そして備品の数々がゴオオ、と渦を巻いて動き始めた。

「ちょ、理樹くんストップ!」

 ガタガタと派手な音を立てて物が暴れ出したことに驚き、透留は上にかざしている理樹の手を慌てて制する。

 理樹が仕方なく手を降ろして柊太の手を離すと、渦を巻いて舞っていた物たちがチカラをなくしてドン!と一気に床に落ちてきた。

「うわぁっ!?」

「マジか!?」

「いった!」

 それらを命からがらよけるのに必死だった面々は、激しく落ちてきた物たちの動きが収まった後に、まるで大きな地震でも来たかのようにぐちゃぐちゃに乱れた惨状を目の当たりにする。

「あちゃー……ダメだったかぁ。ハハッ」

 理樹が舌を出しながらそう言うと、透留が眉間にしわを寄せながら、

「前言撤回。理樹くんはチカラを使って暴れるの禁止!」

と理樹の額をコン、と小突く。

「くっそー、チカラで風作戦はムリかぁ。せっかく今年は涼しく過ごせると思ったのによー!」

 そう言って頼が頭を抱えていると、柊太は重要なことに気付いた。

「あっ、真尋先輩は!?」

 その柊太の言葉に、一同が青ざめながら誕生日席だったところを見ると、真尋は倒れた机に埋もれて床に尻もちをついている。

「……」

 しばし重い沈黙が流れた後、真尋は無言でガタガタと机の下から蘇生し、ずれかけた眼鏡を両手で直しながらすくっ、と立ち上がった。

「……お前ら、全員そこに並べ」

「いや……足の踏み場もないけど……」

 そう理樹が恐る恐る言うと、真尋の鋭い檄が飛ぶ。

「口答えするな!お前らがやったんだろ!」

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