聡美にはイマジナリーフレンドと自ら名付けた想像上の恋人がいて、それは彼女の前では実在する男性となんら区別はない。
販売店の責任者としてストレスを抱えながらも仕事をしっかりこなす反面、自分に都合のいい彼氏を心の中で飼い続ける女。彼女は自分を精神病ではないかと疑いながらも、その彼氏の存在を心の拠り所として生活している。
この話は生理の生臭い描写から始まって、彼氏が部屋を訪れる場面へと繋がっていく。それらは生理のタイミングとは切り離せないものだからだ。
イマジナリーフレンドは彼女の持つ闇が産み出した願望の具現化なのか、或いは彼女を苦しめる外界の象徴であるのか、それは誰にも分からない。重要なことは、そこにセックスが可能な男が確かに居るということなのだ。
私見だが、これは短編で終わらせるような小説ではないと思った。社会の女に対する扱いだとか、30過ぎの(←重要)行き遅れ女の深い闇まで描き切った後にラストへ持っていって欲しかった。
将来名作と呼ばれる作品の梗概として読めたと思えば丁度いいのかも知れない。
蛇足ではあるが、DSMの定義によるなら聡美はこの症状によって社会生活には支障をきたしてないから精神病とは言えない。
むしろ、本当の病理はイマジナリーフレンドの居ない我々の方にこそ潜んでいることを知るべきなのだ。