是害天魔譚 智羅永寿VS比叡山――今昔物語集より――

安良巻祐介

天魔ノ巻

 以下に載せるのは、『今昔物語集』から引いた、天狗の話である。震旦(中国)にいた「強き天狗」である智羅永寿が、日本へ渡って来、日本の僧侶たちと戦うと言う筋で、流れは殆ど原典のままであるが、逐語訳ではなく、僕の勝手な訳である。自分でわからなくならないよう、なるべく噛み砕いた表現で書いていった。

 ちなみに、この頃の天狗のイメージは、「仏法を妨げるもの」であり、「正しい教えを妨げる」ことが、怪物としてのアイデンティティになっている存在であって、西洋のキリスト教における悪魔のような立ち位置に近いもののようである。

 なお、震旦天狗の名前は、『是害坊絵巻』という絵巻物においては、「智羅永寿」ではなく「是害坊」(シンプルに、「邪魔するもの」というような意味か?)となっている。智羅永寿が出会う日本の天狗も、この絵巻物では愛宕護山の大天狗と言うことになっているし、天狗の固有名詞というのは、紹介される媒体によって変わるようだ。


 ***


 震旦(中国)に智羅永寿と言う暴れ者の天狗がいた。

 この智羅永寿、ある日、天狗としての武者修行のために一念発起し、海へ出た。


 両眼炯々と滾らせ、縹渺たる蒼穹を引き裂くように翼鳴らし、遠い海面を渡って、ついに日本へやって来ると、彼はさっそく現地の天狗に目通りを願った。


「己が国では、仏に縋り泣く惰弱の僧どもを、気の紛れに思うさま玩具にしてやった。し尽くした。それからどうにも手持無沙汰であるから、こちらの国の坊主とも、一つ力比べをばしてやろうと思うて、参上致したのだ。とは言え当地は不案内。どうぞ知恵を貸してくれい」


 日本天狗としても、四方の海へ勇名響く、震旦の天狗の助力は大いに歓迎したいところであり、ありがたい、謹んでお力借り申すと頭を下げ、二人して日本仏教における一大勢力である、比叡山へ出かけて行く。

 いずれ挑むならば、人間どもが、果敢はかもなきわが身に比して、これを不動と伏し拝む大伽藍をば、嘴先にて砕き毀ち、ああと嘆き惑う人どもを、呵呵かかと笑うてくれようという、叛天の魔道らしい、不敵の自信である。……


 比叡山。日本の天狗は、現地の者にその名や性質を知られ過ぎているからということで、身を隠し、様子を見守る役に就いた。

 さて智羅永寿は、路にて手先を結んだかと思うと、変化変容の術を用い、見る間に容貌魁偉、目つきはかなまりの如く、背は黒き影を負うような、何とも恐ろしい老法師に化けおおせ、あたかも仏舎利を嘲笑う態で、山の途中に苔むした、石の卒塔婆へと足をかけ、ぬう、と立った。

 何も知らず山道を通り来る坊主どもを待ち伏せ、片端から邪術の爪牙にかけ、玩弄し、嬲り堕としてくれようと言うのである。

 ちょうど頃おい良く、天台座主の余慶律師という僧が、輿に乗せられて道をやって来た。

 隠れて見ていた日本天狗は、震旦天狗がさてどのような術を見せるものか、どのような手練手管で憎き坊主を遊び転がすものか……と、口端を笑い歪めながら見ていた。


 ところが、である。


 予想に反して、余慶の輿は、まるで遮られることなく、道を過ぎて行くではないか。

 初めは何かの策かとも思ったが、見つめていても、晴天下に目立った異変なく、坊さんは、すっかり涼しい顔のままなのである。

 さすがに訝しく思い、よくよく見れば、如何にしたことか。そもそも、卒塔婆のところにあった老法師の姿が消えている。

 どういうわけであるのか――。

 結局、余慶はそのままのんびりと過ぎて行ってしまった。

 それを空しく見送ってから、日本天狗は、天に地に、震旦天狗の姿を探した。

 すると、何と、南の谷に――頭隠して尻隠さずの態で隠れているではないか。近づいて尋ねる日本天狗。


 日本天狗「……いや、あの、何してるの」

 智羅永寿「今の、何」

 日本天狗「は?」

 智羅永寿「今の。誰。何なの」

 日本天狗「誰ってキミ、話した通り、天台の坊さんだよ。祈祷しに山から下って来てたの」

 智羅永寿「天台の坊さん」

 日本天狗「そうだよ。あれ、かなり偉い坊さんだから、化かされてどんだけ恥かくもんかと思って楽しみにしてたのに」

 智羅永寿「いや、聞いてないもん、あんなの」

 日本天狗「は?」

 智羅永寿「そりゃあさ、おれも思ったよ。ああ偉そうな奴だなァ、こりゃいじめがいがあるぞって。……でもさ、出て行こうとしたら、炎じゃん」

 日本天狗「ホノオ?」

 智羅永寿「炎だよ炎。ファイヤーだよ。いつの間にかさ、坊さんが炎のカタマリになってるじゃん。輿の上で炎上坊主じゃん」

 日本天狗「……」

 智羅永寿「おれ、火は苦手なんだよ。冗談じゃないよ。マジでびっくりしたわ。のこのこ出て行って燃やされちゃあ堪らんし、とりあえず、スルーしないと。特に、羽根とか燃えたらどうするのって話だよ」

 日本天狗「……」

 智羅永寿「そういう危うき事を考慮してさ、ひとまずは様子を見て、あれがどういうものかとか、ホントに熱いのかとか、キミにも見えてるのかとか、どの程度なら近づいても大丈夫なのかとか、敵方はこっちのことに気がついていないかとか、そういう総合的な情報を収集してから……」

 日本天狗「……あのさ」

 智羅永寿「え、何」

 日本天狗「そりゃあないわ」

 智羅永寿「……」

 日本天狗「御国から沢山檄文もあったし、宣伝も貰ったし、いわば鳴り物入りで来たわけだよね? キミって天狗は」

 智羅永寿「……」

 日本天狗「海の向こうの震旦からわざわざ、ホネのある坊さんどこだ、って。

 だからこそ己もキミに敬意を払って、じゃあ、堕落させて愉しい坊さん誰かなーとか、滅茶苦茶にした時に映えるお寺はどこかなーとか、誠心誠意プランニングしたわけじゃない」

 智羅永寿「……」

 日本天狗「それをさ、いざ始まったらいきなり坊さんの御輿にビビっちゃうって何なの。何だよファイヤーって。知らないよそんなの」

 智羅永寿「……」

 日本天狗「やり直し」

 智羅永寿「え?」

 日本天狗「やり直しだよ。己はもう一回、隠れるからさ。卒塔婆の処へ行ってよ。出来る」

 智羅永寿「えーっと」

 日本天狗「出来る?」

 智羅永寿「あ、いや、うん。出来る出来る。当然じゃん。て言うか、あれだね。君の言うとおりだね。己、ちょっと慎重すぎたわ。うん。ビビってるって言うか、慎重さがちょっと勝ってた。安全性を追求する方向になってた。いやほらここ異国だし、万が一考えて行動しないと、キミにも迷惑かかるし。やっぱりそういうこと考えていると、理性が勝っちゃうと言うか」

 日本天狗「じゃあもう一回」


 天狗二匹は、また同じ配置についた。

 そうすると今度は、石の卒塔婆のところへ、尋禅という坊さんが通りがかった。

 どうなることかと日本天狗が見ていると、今度は、坊さんの輿の前に居た、髪の毛の縮れた童子が、行く先に居た老法師(智羅永寿)にいきなり襲いかかり、杖でさんざんに打ち払った。老法師は頭を抱えて逃げだし、坊さんの輿は今度もまた無事に石の卒塔婆を過ぎて行った。

 その後、まったく同じように、逃げ出した老法師のところへ近づいた日本天狗が、ねえ、何してるの、阿房なの、暗愚なの、と罵ると、智羅永寿は言った。


 智羅永寿「いや、無理。マジで無理。無茶無謀。あの子ども、メッチャ怖い。しかも、メッチャ速い。己の羽根の打つより速い。ヤバイ」

 日本天狗「……」

 智羅永寿「マジヤバイって。平然と人の頭カチ割ろうとして来るし。なに。何なのあれ」

 日本天狗「……兎も角、なんとか我慢して、次の人に頑張って取り憑こう。な。エラそうなこと言って、海越えてはるばるこの国まで来て、それで、ただ観光行ってきましたーで終わったら、キミ個人と言うより、震旦の天狗の面目、丸潰れだよ」


 こうして三度目の正直とばかりに次の坊主を待ち構えた天狗たちであったが、次に麓から登って来た横川の慈恵僧正に、今度は大丈夫そうだと近づいたところまではいいけれど、よくよく見れば童子を二、三十人も引き連れているではないか。搾りだした決意はどこへやら、老法師は踵を返し、またもや姿が見えなくなってしまった。日本天狗は二の句も告げず呆れるばかり。

 しかし、今度は童子どもの警戒心がやたらと強く、悪い奴がいるといけないから……とあちこちを虱潰しにした挙げ句、あっさり智羅永寿を見つけてしまった。

 恐れおののいた日本天狗は隠れ場所から見守るしかなく、その目の前で老法師は、お白州に引きずり出され、囲まれてめちゃくちゃに踏み蹴られ始める。

 痛みの余り耳を劈く悲鳴を上げるも、童子どもにはまるで気にされず、蹴鞠で遊ぶように八方より蹴られながら、「お前は何だ。何だお前は。言え。言え」と問い詰められ、たまらずに「震旦から来た天狗です」と白状する。


「初めの余慶さんは火界の呪を充分に誦しておられたか、私からは萬国吃驚人間炎上御輿にしか見えず、次に渡られた尋禅さんは不動の真言を読んでおられたらしく、恐ろしい制多迦童子が鉄の杖を持って憑き従っていて、いずれもどうしようもありません。貴方様はと言えば、先のお二方のように荒々しい真言を誦しておられたわけではないのでつい安心して、近くまで来たらこの始末です」


 慈恵僧正は聞いているのかいないのか、ただお山の空ばかりを見ていたが、代わりに童子たちが、ふうん、そういうことならまあ、そこまで重たい罪でもなし、今回だけは勘弁してやるか……と話し合い、倒れ臥した老法師の腰を一人一足ずつ念入りに踏み砕いてから去っていったので、智羅永寿の腰はめちゃめちゃになってしまった。

 慈恵と童子集団が過ぎてから、日本天狗が隠れ場所の谷底から這い出して来る。


 日本天狗「あの……」

 智羅永寿「しずかにして。腰に響く」

 日本天狗「……」

 智羅永寿「己も悪かったよ。でもさ。君がさ。君が、楽勝だっておだててさ、あんな坊さんたちに次々会わせるから。己の腰、見てよ。ほら、懇切丁寧に、すっかり粉々にされちゃったよ」


 震旦の大天狗、智羅永寿は、静かに泣いていた。

 日本天狗は、もはや何も言えず、ただただ、ため息をついた。


 結局、お土産を持たせてもらって、智羅永寿はお国に帰ることとなった。

 出発する前に、日本天狗は、智羅永寿を具して、北山の鵜の原というところへ行って、粉々にされた腰のために湯治をさせてやることにした。

 日本に来てから酷い目にしか遭わなかった智羅永寿であったが、温泉は具合がよかったらしく、痛めた腰を労わりながら、嬉しそうに湯を使うのであった。

 さて、この湯治の場へ、北山へ木を伐りに来ていた京の男が、おやこんなところに湯屋がある、と思って、入って来た。

 見れば、湯には二人の老法師が仲良く並んで浸かって居て、木こりの方を見ながら、「これ何」「木こり」などと言っている。

 そうして何より、湯屋が獣臭い。物凄く獣臭い。とても風呂どころじゃない。

 木こりは鼻を抓み、ほうほうの態で逃げだした。


 後日、この日本天狗の方が近郊の人に天狗憑きをして、かくかくしかじか、酷い骨折り損だった云々と愚痴を語るのを聞き、居合わせた京のきこりが、ハハアなるほどあの時の湯の、と合点して、震旦の天狗と日本仏教の決戦を、のちのちまでも語り伝えたと言う。




 出典:『今昔物語集』巻第二十・本朝付仏法第二

「震旦の天狗智羅永寿、此の朝に渡れる語」より

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