『オーダーは探偵に』完結後ショートストーリー「クリスマスの金平糖」〈2〉
2
商業施設の中庭に電飾でつくられた巨大なクリスマスツリーがある。そのまわりには、たくさんのプレゼントと並んで等身大のくるみ割り人形が飾られている。
モッズコートの中年男性はそこにいた。
「やはりこちらでしたか」
悠貴が声をかけると、男性が振り返った。美久と悠貴を見て顔をしかめる。
「またか。おかしな奴らだな、こんなおっさんを構って何が楽しい?」
「どちらかというと僕も巻き込まれてるんですが」
悠貴は肩を竦め、ライトアップされたくるみ割り人形に歩み寄った。
「『くるみ割り人形』といえばチャイコフスキーの作曲があまりに有名ですね。バレエを知らない人でも耳にしたことのある名曲揃いだ。欧米ではクリスマスの定番の演目でもあります。イヴにくるみ割り人形をもらった少女が夢の中を冒険し、〈金平糖の精〉となって王子と躍る――夢に溢れたクリスマスの物語は、家族で観に行く定番だとか」
「だから十一年前のチケットの持ち主が俺の子どものだと当たりがついたか」
ええ、と悠貴は品良く微笑み、リボンを解いたギフト用の箱を差し出した。
「こちらをどうぞ。お探しの金平糖です」
男性は目を見張り、箱を覗き込んだ。
悠貴が蓋を開けると、ピンクや黄色の美しいパステルカラーの菓子が現れた。
どれも金平糖よりも遥かに大きく、突起がない。つるりとした楕円形だ。
「…………金平糖じゃないじゃないか」
「ドラジェやコンフェッティという、アーモンドに砂糖をコーティングした縁起物の菓子です。『くるみ割り人形』に登場するのは正しくは〈金平糖の精〉ではなく、このドラジェなんです。日本では馴染みのない菓子なので意訳されたんでしょう。〈糖衣の妖精〉や〈ドラジェの精〉より、〈金平糖の精〉のほうが可愛らしい響きがありますから定着したんでしょう」
「たしかに糖衣じゃ、なんのことかわからんな」
男性は喉で笑い、パステルカラーの菓子を眺めた。険しかった表情が緩み、懐かしそうに目を細める。
「さっき君たちが言ったことは全部当たってるよ。招待券は娘からだ。今、バレエ団の裏方で働いてる。観に来てほしいとチケットを送ってきた」
そう呟いて、男性は肩を竦めた。
「離婚したんだ、大昔にな。ありきたりな話だ、仕事一筋で家庭を顧みなかった」
唯一の出かけた思い出が親子三人で見た『くるみ割り人形』だったという。
「バレエなんて俺には縁がないもんだが、娘にねだられて仕方なくな。娘は……〈金平糖の精〉の踊りに大喜びだった。あの時の感動が忘れられなくて、やっとバレエ団のスタッフになったんだそうだ。俺は……親らしいことは何もしてやれなかった。だからせめて祝いの一つでも持って行こうと思ったんだが……」
どこを探してもクリスマスの金平糖は見つけられなかった。当然だ、そんな菓子は存在しないのだから。
もともと会いに行くか迷っていたのだろう。思い出の菓子を手にできなかったことで男性は娘を訪ねる勇気まで失ってしまった。
その幻のような菓子が今、目の前にある。
しかし男性は菓子箱を受け取ろうとしなかった。
美久は口を開いた。
「あの、娘さんはバレエ団で働かれてるんですよね。それなら『くるみ割り人形』以外の招待券でも、憧れの仕事に就けたことは伝えられたと思うんです。だけどこの公演のチケットにした……それも自分が大切にしてた十一年前のチケットを一緒に送るなんて、すごく特別なことだと思います」
それに、と美久は胸の中で呟いた。
先ほど悠貴が教えてくれた話が耳に蘇る。
「バレエの『くるみ割り人形』は女の子が夢の中で大人になる、成長のお話だって聞きました。大人の女性になって〈金平糖の精〉のダンスを踊るんだって。娘さんは成長した自分を見てほしくて待ってるはずです。あなたもそう感じたから、娘さんが大好きだった〈金平糖の精〉のお菓子を一所懸命探していたんですよね」
男性の瞳が揺れた。迷っているのが手に取るようにわかる。しかし、その眼差しは悲しげにうつむいた。
「でももう遅いだろ。開演時刻を過ぎちまった」
「間に合いますよ」
答えたのは悠貴だ。
「〈金平糖の精〉と王子のダンスは二幕からです。それにこの金平糖――ドラジェは祝いの菓子です。結婚式や子どもの誕生、洗礼式などにも贈られる幸せを願うもの。あなたがお嬢さんに贈るのに今日ほど相応しい日はないのでは?」
男性はしばらく悠貴を見つめ、ふっと目元を和らげた。
菓子箱を受け取り、ポケットから財布を出す。代金を払おうとしたのだろう。悠貴はそれを手で制した。
「クリスマスですから。その気持ちは僕ではなく、他の方を幸せにするために使ってください」
男性は目を白黒させ、「参ったな」と笑った。それから美久と悠貴に深々と頭を下げると、クリスマスの金平糖を手に駅へ駆け出した。その足取りは軽い。
男性の姿が見えなくなるまで見送ると、悠貴が隣の美久に言った。
「で、お前はさっきから何をニヤついてるんだ?」
「悠貴君、かっこいいなって」
素直に答えると、悠貴の眼差しが冷たくなった。
「お前……そんなこと地球は丸いと同レベルで自明だろ」
「いきなり俺様!?」
「フン、だいたいお前がすぐお節介を焼くからこういうことになるんだ。もっと自分のトラブル体質を認識して自重しろ、毎回毎回どこからともなく事件を呼び寄せて」
つんけんとして言われたが、美久は頬が緩むのを抑えられなかった。
そんなこと言って、悠貴君、絶対見捨てたりしないんだよね。
面倒だ、とこぼしながら困っている人を放っておかない。助けを求めれば全力で助けてくれる。口が悪くて素直ではないが、誰よりも優しい。
その時、悠貴がくしゃみをした。
都心とはいえ、吹きさらしの中庭は底冷えがする。乾燥した空気はイルミネーションの美しさを引き立てるが、じっとしていると寒さが身に堪えた。
屋内は暑いくらいなので油断していた。コートを開けていた悠貴は寒風のせいで耳の先が赤くなっている。
美久はふと子どもの頃のことを思い出し、小さく笑った。
冬の日に外で遊んでて、よく耳が真っ赤になったっけ。
「知ってる? こうすると暖かいんだよ」
悠貴の前に立ち、つま先立ちになる。子どもの頃友だちにしたように悠貴の両耳を手ですっぽりと包む。イヤーカフみたいで驚くほど暖かいのだ。
「あったかいで――」
得意げに言いかけて、はっとした。
ごく至近距離に端整な顔立ちがある。
冷静に考えれば、悠貴の顔を両手で挟み、見上げる体勢だ。うかつにも、とんでもなく積極的な行動を取ってしまった。
冷や汗をかいて固まる美久に悠貴は無表情に言った。
「お前、そういう無防備なところ気をつけろ」
「ごめん、気をつけます……」
「まあ、俺は好都合だが」
不意に抱き寄せられ、美久の心臓はどきっと大きく鳴った。
線が細いように見えて悠貴は華奢ではない。長くしなやかな腕は力強く、硬い胸板は自分とは違う異性のそれだ。
どきどきと胸が早鐘を打つ。吐息が触れそうな距離で悠貴と視線が絡む。恥ずかしくて目を離そうと思うのに、黒い瞳に魅入られて動けない。
ついに耐えきれなくなり、美久は悠貴の胸にぽすっと顔を埋めた。
だめ、心臓が持たない! 本当もう気をつけよう……!
反省を噛みしめて悠貴の腕の中に大人しく収まる。そうしていると自分の鼓動と同じくらい悠貴の鼓動も速いように思われた。
上目遣いに窺うと、悠貴は困ったように目線を外した。平然としているようで目を合わせようとしない。
……なんだ、悠貴君も私と一緒だったんだ。
そうわかると、心がくすぐったくなる。
美久は微笑んだ。
「ありがとう、悠貴君。クリスマスの金平糖の謎を解いてくれて」
「やっといつもの顔に戻ったな」
悠貴が風で乱れた美久の髪を優しく梳き、頬に触れた。
眼鏡の奥のその瞳が自分以外を映していないと気づいた時、美久はキャンディショップで感じた心細さが消えるのを感じた。どれだけ人の注目を集めようと、悠貴の目にはそんなものは映らないのだ。
それは美久も同じだ。世界中で悠貴よりすてきな人はいない。
「映画の日程、決め直すか」
「そうだね、お店のシフトも確認しないと」
悠貴が抱擁を解き、美久の手に指を絡ませる。
二人は微笑み、クリスマスの光に彩られた街へ歩き出した。
FIN
================================
メディアワークス文庫『オーダーは探偵に』シリーズ全13巻、大好評発売中!
オーダーは探偵に 近江泉美/メディアワークス文庫 @mwbunko
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。オーダーは探偵にの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます