『オーダーは探偵に』完結記念/書き下ろしSS

『オーダーは探偵に』完結後ショートストーリー「クリスマスの金平糖」〈1〉

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本SSは、本編完結後の物語です。

是非、8月25日発売の完結巻

『オーダーは探偵に 珈琲エメラルドは謎解きの薫りに包まれて』

を読了後にお楽しみください。


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      1


 天井に煌めく星のオーナメント。ソリを引くトナカイの群れ。六本木の大型商業施設はクリスマス一色に染まり、ショーウィンドウが往来する人の目を楽しませる。

 なかでも女子大生の小野寺美久の目を引いたのは、今年できたばかりのキャンディショップだ。

 パステルカラーの店内は色も形も様々な飴で溢れている。ポップな色使いのドロップキャンディにスノーマンやツリーの形をしたロリポップ。小瓶に詰まったキャンディは宝石みたいだ。

 美久は目を輝かせ、隣にいる高校生を見上げた。


「きれいだね、悠貴君」

「そうだな」


 上倉悠貴はそっけなく言い、スマートフォンの時計を見た。


「映画の開場まであと三十分か。大きな買い物はまだするなよ、劇場で邪魔だ」


 わかった、と美久は頬を緩めた。

 何を隠そう、キャンディショップに行こうと言い出したのは悠貴だ。美久がこの店の話をしたのを覚えていて映画の前に連れてきてくれたのだ。それに。

 買い物は「まだ」するなって、あとで寄るってくれるって意味だ。

 ともすれば誤解されそうな言い回しも美久には正確に伝わっていた。

 だけど、ちょっと失敗だったかな、とちらりと悠貴の横顔を窺う。

 柔らかな黒髪に柔和に整った顔立ち。眼鏡の奥の目は理知的で、夜空のような深い漆黒をしている。背はすらりと高く、神様が丁寧に作りすぎたとしか思えない端麗な容姿は王子様という言葉がぴったりだ。

 人目を引く悠貴だが、女性客ばかりのキャンディショップではいつも以上に視線を集めている。スマートフォンを握りしめ、今にも声をかけてきそうな女性も少なくない。

 美久にとっても見慣れた光景だが、数日前に付き合い始めてからというもの、こうした場面に出くわすたびに、そわそわして心細くなる自分がいる。

 おかしいな……こんなの、いつものことなのに。

 それに目立つという意味では別の客も注目を集めていた。

「だから金平糖だ」

 

レジから大声が響く。店員が困惑気味に返した。


「申し訳ありません、金平糖は期間限定でして、七夕やお正月でしたらご用意があるのですが……」

「そんなわけない、あるだろクリスマス限定のが!」


 五十代半ばだろうか。モッズコートに着古したボトム姿の男性が語気を強くする。

 男性の後ろでレジを待つ親子連れが顔を見合わせ、半歩後ろに下がった。

 これからどこかに出かけるのか、女の子と母親は華やかな装いだ。面倒に巻き込まれたくないのがありありと伝わってくる。


「もういいっ」


 周囲の空気に気づいてか、男性は吐き捨てて店を出て行った。

 店内は少しずつ賑わいを取り戻し、商品を選ぶ明るい声に彩られた。

 美久はショーウィンドウ側の棚を見に行こうとして、床に落ちているものに気づいた。

 長封筒だ。拾うと、封はされておらず、チケットが入っていた。

 コンビニなどで発券したのか、黒い印字で『新国立劇場帝国バレエ団 くるみ割り人形』とある。半券は切られていない。それもそのはずだ。

 チケットの日付は今日。開演は十八時――およそ五十分後だ。

 美久はぎょっとして周囲を見まわした。しかし誰が落としたかわからない。


「どうした?」

「悠貴君! これ見て、今日これからの。いつから落ちてたんだろう……!」

「長くて二、三分前だな。これだけ人がいて封筒に踏まれた跡がない。店員が巡回してるし、長時間の見落としはないだろ。総合カウンターか店員に渡せ。そのうち落とし主が取りに来る」

「それだと間に合わないかも。ほら、開演の時間」

「五十分後に新国立劇場か。最寄り駅は新宿の隣の初台だったな。電車にしろ車にしろ、ぎりぎり間に合うかどうかだな」

「チケットに名前書いてないかな」


 封筒からチケットを出し、詳細を確認する。

 S席のチケットが二枚。氏名は印字されていない。片方の紙の色が微妙に異なるのはジュニア料金だからだろう。


「バレエを観に行くのは大人と子ども……親子かな?」

「なるほど。だったら本人を捕まえたほうが早い」

「えっ、誰がチケット落としたかわかるの?」


 尋ねてから美久は心当たりに気づいた。


「ひょっとしてさっきの親子連れ? お母さんと小学生くらいの女の子」


 レジに並んでいた母子は華やかな装いだった。バレエを見に行くところだったのかもしれない。


「店内にはいない。出るぞ」


 記憶力の良い悠貴は親子の特徴がしっかり頭に入っているようだ。

 キャンディショップを出ると、駅とタクシー乗り場を示した案内板が左の通路を指していた。

 美久がそちらへ向うとすると、悠貴が呼び止めた。


「そっちじゃない、こっちだ」

「だけど駅はあっちだよ。開演まで時間ないし、チケットを落としたことに気づかないで劇場に向かってるんじゃない?」

「いや、近くにいる」


 断言して悠貴は颯爽と歩き出した。

 ショーウィンドウの並ぶ通路を少し進むと、店頭にサンタクロースと兵隊のくるみ割り人形を飾ったスイーツショップが見えた。

 悠貴がそちらへ足を向けたので、美久は顔をしかめた。


「悠貴君……いくらチケットの演目が『くるみ割り人形』だからって、くるみ割り人形の置物があるお店には――」

「いた」

「えっ、いるの!」


 驚いて店内を覗くと、ケーキやマカロンが並ぶディスプレイの前に親子連れの姿はなかった。

 代わりに、見覚えのある背恰好の人がいる。


「ここにも金平糖がないのか、どうなってるんだ」


 悪態をつきながら出てきたのは、モッズコートに着古したボトム姿の男性だ。

 悠貴は美久の手から長封筒を取ると、店から出てきた男性に差し出した。


「チケット、落とされましたよ」


 男性は面食らった様子で悠貴を見、長封筒に目を向けた。ああ、と呟いて腕を伸ばしかけ、その手がぴたりと止まる。


「……いや、俺のじゃない。他の奴が落としたんだろ」

「そんなはずはないと思いますが」

「違うと言ってるんだ!」


 男性の剣幕に美久は悠貴に囁いた。


「ほ、本当に違うんじゃない? チケット二枚あるし、一枚はジュニアだよ」


 悠貴は呆れた顔になった。封筒を開き、美久の鼻先にチケットを突きつける。


「日付をよく見ろ。一枚は今日のこれからの公演だが、もう一枚は違う」

「え? ――――あっ」


 二枚のチケットの日付は同じだ。しかし曜日が違う。

 よく見れば西暦が異なっていた。


「ジュニアのほうのチケットは十一年前のもの。紙が焼けて色が違うだろ」

「本当だ……」


 一枚目が今日だったので、同じ日付の二枚目も当然今日だと思ってしまった。

 紙の色が違うのもジュニア料金だからではなく、色焼けだったのだ。

 悠貴は正面に向き直り、男性の手に目線をやった。


「やはり手荒れがひどいようですね」

「……それが何だ」

「この封筒、わずかに機械油がついているんです。それですぐあなたのことを思い出しました。キャンディショップでお見かけした時、手が荒れているのが気になったものですから。日常的に手を洗う回数が多い仕事に就かれていますよね? たとえば、あなたの爪の間に残る機械油のような強固な汚れを落とすために」


 男性の顔色がさっと変わり、隠すようにコートのポケットに手をつっこんだ。


「このチケットはあなたのものだ。お子さんが招待してくれたものでは?」

「お子さんって、どうしてそんなことまでわかるの?」


 美久はびっくりしたが、悠貴は落ち着き払っていた。


「チケットの隅に発券場所の情報があるだろ。通常は発券端末が置かれたコンビニの支店名やチケットカウンター名が入るが、その情報がない。代わりにプロモーション会社の社名が入ってる。このチケットは男性が予約して端末から出したものじゃない。関係者向けの招待券だ」

「……あっ!」

「一方、ジュニアチケットは十一年前のものに関わらず、保存状態が極めて良い。半券のないチケットをこんなふうに取っておくのは、思い入れのある人物だろう。ジュニアチケットの対象は十五歳以下。――十一年前、この人が未成年だったように見えるか?」


 悠貴が目線でモッズコートの男性を示す。

 どう見ても五十歳は過ぎている。十年引いても立派な成人だ。ということは。


「そっか、ジュニアチケットを使った人は他にいるんだね」

「そういうことだ。その人物の現在の年齢は、最大で三十六歳。当時、小学校低学年と仮定しても十七歳前後になる。いずれにしても働ける年齢だ。その人は高額の招待券と後生大事にしてきた昔のチケットをわざわざ同封し、この人に送った。様々なケースが考えられるが、この場合は親子だろう。――そうですね?」


 美久は感嘆の息を漏らした。

 やっぱり、悠貴君はすごい。

 同じものを見ているのに、悠貴の目は多くを捉える。そして、その鋭い観察眼は物に対してだけ発揮されるわけではない。

 悠貴はチケットを封筒に戻し、再び男性に差し出した。


「今なら間に合います。少なくともあなたはこのチケットを送った人物に会いたいと思っていたはずです」


 男性は強張った顔で封筒を睨んだ。

 膠着状態が続くかに思われた時、男性が悠貴の手から封筒を毟り取り、肩をいからせて去っていった。

 美久はほっとして胸をなで下ろした。


「チケット、やっぱりあの人のだったんだね」

「あの様子じゃ劇場に行きそうにないがな」

「そういえばあの男の人、最初はチケットを受け取ろうとしなかったよね。それなのにどうして悠貴君はチケットをくれた人に会いたがってるって思ったの?」

「ああ、金平糖を探してたからだ。あれは――」


 悠貴の説明に美久は息を呑んだ。


「事情はわからないが、背中を押してくれる『何か』が必要だったんだろうな」


 そう結ぶのを聞いて、切なくなった。

 男性の半生を知るよしはない。だが男性の行動がその想いを如実に語っている。その心情を思うと美久は胸が締めつけられた。

 その時、悠貴の盛大な溜息が聞こえた。


「探しに行くぞ。クリスマスの金平糖」

「……え? 私たちもそろそろ映画の時間じゃない?」

「そんな顔で俺の隣に座るつもりか?」


 悠貴が目線で八の字になった美久の眉を示す。

 初めて悠貴と二人で映画を見るのだ。昨日から楽しみでよく眠れなかった。その気持ちは今も変わらないが……別のことに気を取られている自分がいる。


「映画は別の日でも見られるだろ」

「だけど……あの人を追いかけても間に合わないかも。バレエだってもうすぐ始まっちゃうんだよ。あの人がどこに行ったかだってわからないのに――」

「俺を誰だと思っている?」


 ぴしゃりと悠貴が遮った。

 あまりに堂々と言ってのけるので、美久は虚を衝かれた。しかしその顔はすぐに笑顔に変わった。

 そうだ、悠貴君は頭がいいだけの高校生じゃない。

〝エメラルドには探偵がいる〟

〝どんな探し物も必ず見つけ、不可解な謎もたちどころに解いてしまう。警察でさえお忍びで協力を仰ぐ、魔法使いのような凄腕の探偵がいる――〟

 そんな、まことしやかに語られる都市伝説のような探偵がいる。

 その〈エメラルドの探偵〉こそが、上倉悠貴なのだ。


「さっさと片付けるぞ」


 悠貴に呼びかけに美久は大きくうなずいた。


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