第5話青春の歓びと悲しみ
季節を問わず花が咲き乱れる花雑貨屋、A^me Fleur。
店主が暇を持て余す頃、適度に客が入り、いつもは花の香りが混ざらないそこは、今日は数種の花を外に残し、他は全て店内に下がらせていた。
CLOSE
扉に掛かっているプレートはここ最近、ずっとこのままだ。
「今回のお客さんは学生、と言ってたけど、大体の年齢層は中学生か高校生ぐらいッスね
学校へ行く頃合から皆で見守るッスよー」
そう言ってユーリは右手に針を持った。
針に通された糸の色は銀。
左手には白いハンカチ。
端には淡紅色のサテン生地がフリルとなってハンカチを美しく飾っていた。
『導け銀糸、鳥となり目となり我の元へ
願いの為に、対価の為に
彼の者の名は____
ユーリの
そこには、女性客に渡したサシェを装飾していた銀のソレだった。
ユーリが手に持っていた物は全て、女性客に渡したサシェと同じ物だった。
A^me Fleurにて店主カノンから、サシェを受け取った女性客は孤立していた。
女性客の名前は、
恋愛事情に対しては、鈍感と言えてしまうが、それ以外は普通と言える少女である。
芳乃の親友であった筈の
学校の校門をくぐる少し前から生徒の数が増えていくに連れて小さな声でこそり、こそりと囁く声が聞こえる。
芳乃にとってはいつも通りだと思いたい朝。
それでいて、落ち込んだ気分から周囲の反応に敏感になってしまう。
芳乃はこれから丸々一週間、それどころか下手するとこの先ずっと周囲の興味本位で不躾な視線に晒され続けるだろう。
興味本位で見つめる者や、悪ふざけのままに声を掛けようとする者等。
芳乃に対する、宜しくない噂が既に飛び交っていた。
芳乃は対等でありたかった。
花恋を友人、親友だと思っているし、思っていたからこそ、きちんと話がしたかったのだ。
その上で冷静さを欠くと言う事が最も混乱を呼ぶと言うことも知っていた。
だから、何かしら喧嘩してしまった時は、現在進行形で必ず芳乃が先に謝罪をしている。
けれど、花恋からの謝罪を滅多に聞くことは無かった。
芳乃は殆どの場合、一方的に悪者にされていた。
勿論、花恋は被害者であるかの様に振舞う。
そうして、いつの間にか二人の立場は、既に違う物となっていた。
朝霧 花恋の言い分は
「私を責めずに、芳乃がすぐに謝ったりなんかするから」
まるで言い訳の様な言い分で、芳乃を嘲笑し、貶めていた。
一方、御崎 芳乃は
「花恋が冷静さを失っても、私は花恋を売り言葉に買い言葉でも傷付けたくなんてないから。先に謝る事で、謝罪する事で花恋と相互理解を求めようと、ずっとしてる」
花恋を見下しも貶めもせず、今も気遣い続けている。
片方は状況を有利にした上で甘え、片方は
外側から見れば、それはあまりにも歪で当人同士で求めている関係性の違いが歴然としていた。
彼女たちの関係をもう少し冷静に見れたなら、誰もがおかしいと言うだろうに。
しかし、それ以上にそこまで関心を持つ者も、めんどくさい事に首を突っ込む者も居ないのは当たり前なのだ。
例え、彼女らの先人となる周囲の教師や、担任の教師ですらも。
御崎 芳乃は久しぶりに昼休みを一人で過ごしていた。
今までは花恋が居たが、今回の騒動で花恋は芳乃を避け、他の友人とクスクスと嫌な笑みを芳乃へ向けて楽しそうに昼休みを過ごしていた。
いつの間にか、芳乃に対する噂には尾ひれが付いていた。
二日目、事が起きたのは放課後だった。
芳乃はあからさまに嫌がらせをされたのだ。
花恋の、友人によって。
芳乃が下駄箱に着いた頃には、芳乃の下駄箱の前で数人がコソコソと何かをしていた。
花恋が直接手を出していない所が質が悪い、と言えるだろう。
芳乃が現在履いているのは室内用の内靴。
外には履いて行けない。
けれど、先程のコソコソとした動きを見るに、外履き用の運動靴を隠されたか、何かをされたのだろう。
下駄箱を覗くと案の定、芳乃の外履き用の運動靴が消えていた。
芳乃は、悔しさと悲しみを抱え内靴のまま学校から帰路に着いた。
『なんて幼稚な、小学生じゃあるまいし……』
何処かから声が聞こえた気がした。
三日目、朝の教室。
芳乃の机の上には、生臭い腐臭と落ちない何かと所々が焦げたボロボロの靴が置かれていた。
それが芳乃の物だと気付くのに、そう時間はかからなかった。
芳乃は花恋に声を掛けられずに居た。
何度も声を掛けようとはしているのだ。
けれど、花恋は芳乃を無視し続けている。
花恋の友人も、芳乃をあからさまに嫌っている。
花恋はどこまでも、芳乃を悪者にしているのだろう。
放課後、芳乃は声を掛けられた。
花恋の想い人から。
彼の名前は、
「土屋君」
「御崎は何も悪くない
強いて悪者を挙げるなら、俺や朝霧なのに」
唐突だった。
土屋の言葉に芳乃は戸惑う事しか出来ない。
「何故、それを私に言うの」
「朝霧と朝霧の周りの女子が俺の話を聞いてくれなくてな」
「花恋、土屋君の事が好きなんじゃなかったの……」
土屋が花恋と言葉を交わす度に、「土屋君が芳乃を庇っている」と解釈されていた。
土屋も流石に自分の行動が火に油を注ぐ行為だと理解したのか、早々に花恋と会話するのを諦めたらしい。
当事者同士、花恋とだけ意志の疎通が取れていない。
『これはこれは、対価が楽しみだね』
何処かで穏やかじゃない言葉が響く。
だがきっと、気の所為だろう。
四日目、状況は悪化していた。
芳乃は学校への登校を歓迎されず、教科書を隠され、放課後には花恋の友人から囲まれて何も言われぬままに腕を掴まれ、一方的に校舎裏へ連れてかれていた。
勿論、そこに花恋は居ない。
花恋にどういう事かと聞けるものなら――――
「友達が私の事を思ってしてくれたの」
などと瞳を潤ませてでも言うかもしれない。
だが、その場に花恋は居ない。
女子達の用件は分かりきっていた。
今までの事から、昨日土屋に声を掛けられた事も含め芳乃の行動へ対する悪態だろう。
ゴッ
壁に乱暴に押し付けられた衝撃で芳乃のセーターのポケットに入っていた桜草のサシェが足元に落ちる。
芳乃は覚悟していた。
女子達に何を言われても良いように。
何をされても泣かない様に。
パァンッッ
音と共に芳乃の顔が勢い良く横へ曲がり、後頭部が壁にぶつかる。
芳乃は耳鳴りと頭痛、そして平衡感覚も同時に失っていた。
衝撃の強さとあまりに手加減の欠片も無い強さだったので、芳乃が平手打ちをされたと気付いたのはずっと後だった。
「おいクソ女
あんた何でここに居んの?
迷惑なんですけどー」
「ねぇ、花恋に申し訳ないと思うなら登校してくんなよ」
芳乃は頭を抱える。
言われると覚悟していた言葉と、予想よりもずっと加減の無い暴力と痛み。
だが、芳乃は耳鳴りで前半の言葉が聞こえていない可能性もある。
当然、芳乃は何も答えない。
応えられないと言う方が正しいかもしれないが。
「土屋に媚びも売りやがってほんっとクズ過ぎんだけどー」
「おい、うちらの話聞いてんのかよ」
言葉と共に追い討ちの様に振り上げられる女子達の足。
最初とは違い、芳乃はその足をしっかりその目で見た。
最初は
脛を庇えば、腹。
足のつま先が容赦なく鳩尾を蹴った時には、芳乃の息が一瞬止まった。
苦しみに耐えきれずに咳と共に
負の連鎖が確実に芳乃を襲い、蝕んでいた。
この時、芳乃が力無く倒れた事で女子達もやり過ぎたと気付いたのか、蜘蛛の子を散らす様に逃げて行った。
とても見ていられる様な光景では無かった。
芳乃は差程長い間の拘束はされなかった。
芳乃は抵抗をしなかったのか、出来なかったのか。
芳乃は力無く倒れたままで、表情はよく見えない。
立ち上がる事すら困難になった芳乃は、息を切らせて壁に寄り掛かりながら立ち上がる。
芳乃の目元と頬は赤く腫れ、制服のシャツは靴の跡と膝の擦りむけたそこには痣が出来ていた。
制服が駄目にならなかっただけでもマシ、とは芳乃も思えなかった。
壁を伝って歩き出し、サシェを持つ芳乃。
ぽたり。
腫れた頬に涙が伝った。
『救急箱っ!』
何処かで聞き覚えのある声が聞こえた気がした。
五日目、週末。
状況は最悪。
昼休みには真ん中から裂かれた教科書がどんっ、と大胆にも数人の女子手ずから芳乃の背中に投げられた。
最早、周囲の目など何のそのという態度なのは何故だろうか。
そこには、クラス担任も居たと言うのに。
芳乃の顔には、眼帯と頬に大きな湿布が貼られている事から、一夜で腫れが引かなかった事と手当ては済んでいる事が分かる。
放課後、芳乃はやっとの思いで花恋の腕を掴んだ。
「きゃあっ!」
花恋の短いが甲高い悲鳴が騒がしかった教室内を打った。
騒がしかった教室が瞬時に静まり、クラス担任の教師も顔を歪める程だった。
明らかに芳乃が悪者の様な雰囲気と扱いだったが、芳乃は諦めない。
「話があるの。だから逃げないで」
芳乃の静かな声が教室内に響いた。
「逃げないで」と言う言葉は、敏感になりがちなこの雰囲気に置いて、花恋にとっては行動と思考が一瞬でも止まる程の強制力になった。
花恋はずっと続けていた様に、芳乃を悪者にして被害者面で友人を盾にして逃げる予定だったから。
教室内から芳乃と花恋と数人の女子以外の生徒が全員帰った頃。
土屋が教室に顔を出した。
土屋も花恋からのとばっちりを食らっている当事者なのだ。
土屋は、花恋と花恋の傍に居る数人の女子を睨み付ける。
味方が圧倒的に多い花恋はいつでも周囲に助けを求められる。
だからこそ、芳乃が声を大きく出した方が有利になるのは当然だった。
だから、芳乃は声を上げた。
少しでも届いて欲しくて。
初めて、親友だと思っていた花恋を責めた。
「私には何も話してくれてもいないのに察して欲しいなんて我儘よ!」
芳乃の言葉は勿論、一理あった。
けれど一理ある、だけだった。
花恋は傷付いた表情で傍に居る友人に涙を見せた。
たったそれだけ。
それだけなのに、花恋は声の大きさよりも味方の多さを利用して芳乃に相対していた。
花恋の周囲を巻き込んだ騒動は未だ、熱を孕んでいた。
『今にも雨が降りそうだね』
聞き覚えのある声が……
一体、何処から聞こえていると言うのだろう。
全て。
五日間、御崎芳乃が家を出て学校へ向かう所から家に着くまでの全てを桜草のサシェに装飾された銀糸の刺繍を通してA^meFleurの面々が見ていた。
「ユーリ、お客さんのお迎えに行ってくれるかな」
そう言ったカノンの表情はあまりにも穏やかで。
あんな光景を見ていたのが嘘の様だった。
「…………」
ユーリは悔しげな表情でカノンを見つめる。
ユーリは何度も、A^meFleurを飛び出して芳乃の元に駆け寄ろうとしていた。
カノンはそんなユーリを止めていた。
お客さんにどうやって説明するのか、と。
たったその一言で。
「傘とバスタオル用意して来るッス」
そう言って、ユーリは店の花々の奥に入っていき、暫くしてバスタオルと傘を二本持って足早に店を出て行った。
花に乞う者達 白猫のかぎしっぽ @leis
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