連続犬猫誘拐犯捕物帖

武石勝義

連続犬猫誘拐犯捕物帖

「よーし、ポチ。今日はこの公園でかけっこだ!」


 小学校低学年らしい少年が、傍らで千切れんばかりに尻尾を振る、柴犬と思しき子犬に声を掛ける。一人と一匹は、この近所の散歩の定番コースである公園内を、元気よく走り出す。

休日の昼下がり、心地よい日差しの下で繰り広げられる、西暦2050年代を迎えても変わることのない、平和な光景だ。


「あそこの桜の木に着いたら、おやつにコレやるぞ!」


 そう言って少年がズボンのポケットから取り出したのは、スティック状のソーセージ。そんなものを犬に与えて良いものかは不明だが、少なくとも子犬にとってはご馳走に当たるらしい。彼の言葉を理解したのかどうか、子犬は少年の前に出て、素晴らしいスピードで園内の道を駆けていく。

 そのまま少年が指し示した桜の木にたどり着き、足を止めて後ろを振り返った子犬に、ぬっと覆いかぶさる影があった。

 痩せ細った身体に血色の悪い顔のその女は、傷み切った長い髪を揺らしながら、目ばかりぎらぎらと狂気を孕んでいる。彼女は引き攣ったような笑みを浮かべながら、おもむろに子犬を抱き上げる。


「ポチ!」


 遅れてきた少年の叫び声などまるで意に介さずに、女はわんわんと吠える子犬を傍らの電動アシスト付きママチャリの前籠に放り込み、手製の蓋を乱暴に閉じると、自身もママチャリに跨ってその場から走り出した。


「ポチ! ポチを返せよ!」


 少年の涙声の訴えを振り切って、籠の中の子犬の悲しそうな鳴き声も耳に入らない様子で、女はひたすらママチャリのペダルを漕ぐ。電動アシストの威力を最大限に設定して、傍若無人なスピードで疾走するママチャリを慌てて避けた人々は、「肉食は悪よ!」と叫ぶ女の甲高い声を耳にした。


「ソーセージを食べさせるなんて、動物虐待よ! わんちゃんにも、素敵なヴィーガンフードを食べさせてあげるべきなのよおおお!」


 爆走するママチャリに乗り、千々に乱れる長い髪を棚引かせながら公園を飛び出して、アジトに向かう道すがら本人にしかわからない崇高な理念を唱え続ける彼女は、やがて背後に彼女を追う者の気配を感じ取る。


「そこの女! 貴様、最近多発している犬猫誘拐犯だな、止まれ!」


 ママチャリを追うのは、最新式の警察自転車だった。偶然にも公園沿いの道路を自転車で巡回中だった警官が、少年の訴えを聞きつけて追いかけてきたのだ。最新式だけあって、ハンドルの上には赤い回転灯が点滅し、サイレン音まで響かせている。


「まさか、この爆速ママチャリ号に追いつくなんて、ありえないいいい!」


 常にスピードが求められる女が駆る爆速ママチャリ号は、違法改造をふんだんに施して、最高時速50キロを誇る。警察の鈍重な自転車など何度も振り切ってきた、頼れる相棒だ。

 だが頻発する犬猫誘拐事件に、警察もついに対策に乗り出していた。一見したところ、回転灯とサイレン音しか追加されていないと思われる最新式自転車の、真の威力は別にあった。


「加速そおおおちいいい!」


 わざわざ警官が吠える必要はないのだが、彼が思わずそう叫びたくなるのも無理はない。ハンドルの横に装着された赤いボタンを押せば、その自転車は恐るべき勢いでスピードを増し、ついに爆走ママチャリ号を視界に捉えたのである。その特殊性からコントロールの習得に修練を求められる最新式警察自転車が、今まさに本領を発揮していた。


「しゃらくさい!」


 対する女もまた、こと逃亡に関しては百戦錬磨だった。加速装置の力を借りて、今まさに警官の自転車が彼女の横に並ぼうとするその瞬間、彼女は絶妙のハンドル捌きを見せる。子犬の鳴き声が止まない中、爆走ママチャリ号は常識ではありえない角度の鋭角ターンをやってのけたのだ。


「なにいいい!」


 彼女の超絶ターンについていくことが出来ず、警官は驚愕の声を上げながら、そのまま自転車ごと直進方向へと走り去っていく。その後ろ姿を見送って、凶相を増すかのごとくほくそ笑んでから、女は再びペダルをこぎ出した。彼女のアジトはもう、目と鼻の先だ。


「さあ、おうちに帰って、ヴィーガンフードを食べましょう。ヴィーガンフードこそは、あらゆる生命の根源を成す、それはそれは素敵な食べ物なのよ……」


 蓋を去れた籠の中から、相変わらず子犬はキャンキャンと鳴き続けている。彼女の耳にはその鳴き声も、ヴィーガンフードを待望する嬉しい悲鳴にしか聞こえない。警官を振り切って、今や余裕をもって走り出すママチャリから漏れる、哀れな子犬の鳴き声。

 その鳴き声が、真の飼い主の耳に届いたのは、神の気まぐれによる仕業だろうか。


「ポチ?」


 鳴き声を耳にして足を止めたのは、女が乗るママチャリの前をちょうど横切ろうとしていた、これもママチャリに乗った中年の女性だった。毎日耳にしている馴染みの声を聴いて、籠の中に閉じ込められた子犬の鳴き声が激しさを増す。


「ちっ、こんなところで!」


 目の前の中年女性が子犬の飼い主であることを悟って、女は舌打ちしながらペダルを踏み込んだ。だが中年女性もまた、女の態度と子犬の鳴き声から、瞬時に事態を把握していた。


「あんた、もしかして連続犬猫誘拐犯ね! うちのポチを返しなさい!」

「やかましい、どけ、ババア!」


 中年女性が自らのママチャリを前に出して道を塞ごうとしたが、女の機敏な動きはそれを上回っていた。またも披露された巧みなハンドル捌きによって、爆走ママチャリ号は中年女性のママチャリの鼻先をかすめていく。「待ちなさい!」という中年女性の叫び声も虚しく、爆走ママチャリ号はそのまま颯爽と走り去る――


「待ちなさいって言ってるでしょ!」


 中年女性の怒声とほとんど同じタイミングだった。今まさに加速しようとする爆走ママチャリ号の、ほんの三十センチほど前に投擲されたのは、蓋の開いたプラスチック製のボトルだった。だが問題なのはそのボトルではない。ボトルの口から辺り一面に巻き散らされた液体、やけにてらてらとした粘性の高そうな液体の上を、爆走ママチャリ号の銀輪が走る。

 次の瞬間、女は爆走ママチャリ号と共に派手な音を立てて地面に打ちつけられていた。


「ポチ!」


 転倒したはずみに籠の蓋が開き、子犬はそこから見事に自力で脱出して、なんなく地面に降り立った。そのまま中年女性の足元に駆け寄り、激しく尻尾を振りながら彼女に抱き上げられる。


「良かった! 怖かったわね、変な女につかまっちゃって。もう大丈夫よ」


 路面にしたたかに身体を打ちつけた女は、立ち上がることもできず激痛に喘ぎながら、感動の再会を果たした一人と一匹をただ眺めているだけであった。


 やがてその場にようやく追いついた警官の手によって、女はついに逮捕された。なんでもヴィーガンにはまったこの女は、周囲の人間に相手されないことに業を煮やし、ついに犬猫にヴィーガンフードを押しつけるという凶行を繰り返していたのだという。


「まあ、なんて恐ろしい。うちのポチも危ないところだったんですね」


 子犬を抱きながら口元を手で押さえる中年女性に、警官は改めて礼を言った。


「おかげで無事逮捕することが出来ました。警察としても感謝の念に堪えません。ちなみに後学のためにお聞きしたいのですが、あの女のママチャリを転倒させたあの液体、あれはいったい何ですか?」


 警官の純粋な好奇心に基づく質問に対して、中年女性は「あら、あら」と何度も言い淀みながら、やがて顔を真っ赤にしながら小さな声で答えた。


「……ション、です」

「え? なにションですって?」

「ローションです。その、試しに使ってみようかって」


 そこまで言って、中年女性は羞恥に耐え切れずに思わず両手で顔を隠す。そのはずみで子犬が地面に投げ出されて、「キャン!」と抗議の声を上げた。


(了)

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