ヘビロテ

@araki

第1話

 病室の扉を引き開ける。部屋の奥、変わらぬその場所に日向はいた。

「やあ。また来たよ」

 ベッドの近くに置かれたスツールに僕は腰を下ろす。できる限りにこやかな笑顔を、そう心がけているつもりだが、上手く出来ているだろうか。

 彼女を悲しませるわけにはいかない。たとえ自己満足だとしても。

「………」

 日向はこちらを見ることはなく、ずっと窓の外を眺めている。特に代わり映えのない景色。あまり面白みがあるとは思えないが、彼女にとってはそれが何よりの幸せなのかもしれない。

 視線を横へ向ける。備え付けの棚の上にはフルーツバスケットが置かれていた。よりどりみどりの果実の中から、僕はリンゴを手に取った。

「今回はこれにしようか」

 引き出しから簡易式の包丁を取り出し、皮を剥き始める。刃に沿って回すにつれ、するすると赤い皮が剥がれていく。我ながら慣れたものだ。これまで数え切れないほど剥いてきた。やはり絆創膏の数が物を言うらしい。

 やがて裸になった実を手の内で八つ切りにする。そのうちの一つに爪楊枝を刺し、日向に差し出した。

「剝けたよ」

 日向がゆっくりとこちらに顔を向ける。均整のとれた顔立ちだ。表情が抜け落ちているのが残念だが、無い物ねだりはするべきではない。

 ――この時自体、奇跡みたいなものだしね。

「さあ、口を開けて」

 日向がわずかに口を開ける。小鳥のような口許へ先の一切れを近づけると、彼女は泡雪を食むようにそれを口の中へ含んだ。

「おいしい?」

「………」

 尋ねてから数秒の後、日向がゆっくりと頷く。その様子に僕は思わず微笑みを浮かべた。

「っ!」

 急に日向が胸を押さえて苦しみだした。苦渋の表情が顔いっぱいに広がる。ただ事ではないことは明らかだった。

 ――時間か。

 僕はため息をつき、腰を上げる。最後にナースコールのボタンを押すと、そのまま病室を後にした。

 東へ、廊下をまっすぐ進む。主治医と看護師とすれ違ったが、僕は特に気に留めず歩を進めた。

 やがて突き当たりを曲がり、そこで立ち止まる。周囲に誰もいないことを確認すると、胸元から一つの懐中時計を取り出した。

 古びた懐中時計。あちこちが錆びている。恐らく唯一の物。これだけが正しく時間を把握していることになるのだろう。

 ――どうでもいい。

 竜頭をひねる。それだけで事はすんだ。

 そのまま元来た道を引き返す。そうして先と同じ病室へとたどり着く。

 扉を引き開ければ、

「………」

 今までと変わらず、窓の外を眺める日向がいた。

 ――これでいい。

 僕は口にする。幾度となく繰り返した、その言葉を。

「やあ、また来たよ」

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