リビング

「ありがとうございました。」

 桜庭は、机の上に差し出された10cm程度厚い布袋を見つめた。年老いた父親は唇を噛み締め、母親はぽつんと置かれた袋をみることも、桜庭と視線をあわせることもなく、俯いて静かに肩を震わせている。

(まったく、実に典型的なパターンだな。)

桜庭は心の中で呟いてから、

「ご子息のおかげで、弊社といたしましても、大変貴重なデータを取得することができました。ご契約、誠にありがとうございました。」

そう言って、袋に手を伸ばした。中に押し込まれていた札束をゆっくりと数えて、傍の黒いビジネスバッグの中にしまう。

「1000万円、確かに頂戴いたしました。少々事務的なお話となってしまい、大変恐縮なのですが、今後についてお話しさせていただきます。ご子息をお預かりしてから3日後に、失踪届をご提出いただいているかと存じますので、約6年後には死亡が認められるかと思います。ご子息に関する事後対応につきましては、ご契約いただきました通り、弊社の方で適切に対処いたしますので、ご安心ください。」

「その……息子は……、息子は、苦しまずに……」

「それは確実に保証いたします。その点につきましては、本契約を結んでいただく上での最重要項目であると、弊社も深く認識しておりますので。その場に立ち会っておりました私が、責任をもって断言いたします。ご子息は、何も分からないまま、まさに眠るような最期でした。」

 絞り出すような声で問いかけてきた母親は、その答えにさらに激しく肩を震わせ、父親は一言、

「……一目。一目、息子に会うことは叶いませんか。」

と呟くように言った。

「大変申し訳ありません。」

わずかな期待が込められたその言葉を、有無を言わせぬ口調で桜庭は押しとどめる。その答えに、父親は視線をそらし、小さく頷いた。

「本当に……本当に他に方法はなかったのかしら……?もっと私たちがあの子に真剣に向き合っていれば、もしかしたら……!」

「……これで良かったんだ。」

「でも。」

「話し合いなら何度もしただろう!だが、あいつは全く聞き入れようとはしなかった!毎日毎日パソコンに向かって部屋にこもりきりで。自分をひたすら哀れむばかりで、なにひとつ、まともに行動しようともしない!親に金をせびって、渋れば暴力まで振るう始末だったじゃないか……!私たちだって、近いうちに死ぬんだ。そうなったらあいつはどうする!?……最後の最後で、ようやくあいつは人様の役に立てたんだ。だから、これで良かったんだよ!……良かったんだ。」

 眼前で繰り広げられる老夫婦のやり取りを諌めるかのように、桜庭は神妙な面持ちで話しかけた。

「あいにく私には子供がおりませんので、お気持ちはお察しいたします、とは申せません。しかしながら、お二人のご決断は責められるようなことではなく、むしろ現代社会においては全く珍しいものではないのです。なにしろ弊社といたしましても・・・

治験候補者については、全く困っておりませんもので。」


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近い将来 わたなべ すぐる @watta-boo

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