個室
「それでは相川様には、本日の昼食より治験期間を開始いただき、ちょうど一年後の朝食をもって、期間終了とさせていただきます。」
「……はい。」
「こちらが本日お召し上がりいただく昼食になります。今後もお食事は、毎食お部屋までお持ちいたしますので。」
女性スタッフから差し出された皿の上には、一見すると小さな丸いパンのような形をしたものが乗っている。
「……見た目は……案外普通なんですね。」
量的にはかなり不安があるが。
「相川様にご協力いただく予定の製品は3種類ございまして、2つ目、3つ目はより機能的な形態をしたものとなっております。2つ目はより小ぶりな棒状タイプ、3つ目はカプセルタイプですね。4ヶ月ごとにそれぞれお試しいただく予定です。」
「カ、カプセルですか……。」
「ご安心ください。治験段階ではありますが、いずれの製品も安全性については、絶対的な自信をもっております!」
そう静かに微笑まれる。まるで抱いている不安を見透かされたようで、居心地が悪い。俺は黙って、皿の上のパンのようなものを口に運んだ。特に変な味もしないが、格別うまいというわけでもない。ただ、食べ終わった後、不思議と食べ足りない、という気にはならなかった。
「それでは、また夕食の際に伺わせていただきます。その他、検査などでお呼びすることもあるかと思いますが、それ以外の時間はこの部屋の中で、ご自由にお過ごしください。就寝時刻は、午後23時、起床時刻は午前7時となりますので、そちらは厳守いただきますよう、お願いいたします。」
それだけ言うと、女性スタッフは一礼し、空になった皿を持って、部屋から出て行った。
改めて、与えられた個室を見回す。部屋はいたって普通のワンルーム程度の広さだ。ベッドやテレビ、パソコン、ゲーム機、机にソファーといった生活に必要なものは一通り揃っている。桜庭の言っていた通りだ。俺は早速、パソコンを立ち上げる。オンラインゲームをするには支障がないだけのスペックはありそうだ。
「あとは座椅子があれば、意外と快適に過ごせるかもな……。」
この生活を一年続けて1000万。そう考えて、無意識に笑っている自分に気づく。
どうせならこの一年、思い切り引きこもってやろうではないか。
それからの生活は本当に単調で、一年間は想像していたよりもずっとあっという間だった。
個室での毎日は、実家で引きこもっていた時と、ほとんど変わらない。むしろ、肩身の狭い思いをせずに済む点、生活用品の品質が上がった点において、快適になったくらいだ。強いて言えば、起床・就寝時間を守ること、検査や食事などでゲームを中断させられることにはイライラしたりもしたが、あらかじめ分かっていたことではあるし、あまり問題ではなかった。肝心のいわゆる新時代の食品たちにも、思いがけないほど、すぐに慣れた。確かにこれは便利だ。食事を楽しみではなく、生きるために必要な栄養補給として捉えるなら、こんなに楽なことはないだろう。カプセルタイプにいたっては、1日三回服用すればそれで終わりだ。お腹が空くこともないから、食べ過ぎることもない。水と一緒に飲む必要もなく、ただ摘んで飲み込むだけ。結局、定期的に行われた検査結果からみても、良くなりこそすれ、俺の健康に支障は見当たらなかったようだし、体感的にも全く問題ない。近い将来、この製品が市場に出回ったら、本当に食品業界の勢力図をひっくり返して覇権を握るかもな、と思うくらいにはよくできていた。
「今日の朝で、ついに終わりか……。」
この一年間、毎日してきたように、午前7時に起き、あと30分後には運ばれてくるであろうカプセルを待ちながら、俺は呟いた。
1000万だ。1000万が手に入るのだ。一年前までの俺とは違う。新しい自分になれるのだ。
もらった金を何に使おう。中古の安いアパートを買ってもいい。ここでのストレスフリーな暮らしを満喫した今、年老いた両親の待つ実家の一室へ戻るのは、嫌だ。
もしくは焦らずに、投資にでも回した方がいいのだろうか。専門学校に通って、資格を取るのも悪くない。勉強は好きではないが、コンピューター系の資格ならなんとかなるかもしれない。
未来へと膨らむ希望に、俺は次第にそわそわしてきた。この希望は昔の俺が抱いていた、なんの根拠もないやつとは違う。全く、違うのだ。
気づけば俺は、いつものオンラインゲームを立ち上げていた。ここにきて、一から育てなおしたキャラクターを操作する。人が集まっていそうな場所へと向かって、チャット画面に文字を打った。
「……これくらいなら、まあ大丈夫だろ。」
【別にマウント取りたいわけじゃないけど、近い将来、俺は生まれ変わる予定!www】
俺の打ったコメントに、周りの暇そうな奴らが食いつく。適当なこと言ってんな、とか、妄想にしては抽象的、とか、中学生乙w、なんてものまで。
俺はそれらの文字を笑いながら見つめる。俺はこいつらとは違う。いや、正確には、違う存在にこれからなるのか。
そう考えると、これまでずっと俺の唯一の救いだったゲームに対する熱意が、自分でも驚くほどにスッと引いていくのが、わかった。
こんな暇つぶしにしかならないようなものに、俺はこれまでの人生のほとんどの時間を費やしていたのか。
【まあ、信じられないならそれで良き。たぶん、もうここには来ないし。てかリアルが忙しくて来れなくなるかもwww】
煽るようなコメントに、さらに煽るようなコメントがついていく。ぼーっとそれらを見ていたら、ノックの音が聞こえて、俺はパソコンを閉じた。
「どうぞ。」
「おはようございます。」
入ってきたのは桜庭だった。いつものカプセルが乗った皿を持っている。
「桜庭さん……お久しぶりです。」
「お久しぶりです。ついにこの日がやってきましたね。」
「思っていたよりも、あっという間でした。生活もかなり、快適でしたし。」
「それは良かった。健康状態も良好で問題はない、と聞いております。相川様のご協力のおかげで、大変貴重なデータが取得できました。」
「いえ……。」
桜庭は皿を俺の前に差し出して、言った。
「こちらが最後のお食事となります。どうぞ。」
「あ、はい。」
4ヶ月間毎日見てきたそれを、なぜか俺は一瞬だけ、取るのをためらった。
なぜだろう。これを飲めば、1000万手に入れ、堂々と外の社会へ戻ることができるのだ。何一つ、ためらうことはない。
俺は、カプセルを摘むと、口に含んだ。
「ご協力、ありがとうございました。これで契約期間は終了です。」
桜庭は満面の笑みを浮かべる。これで終わりか。なんだか、あっけないような気もする。最後に検さなどはおこなわないのだろうか?
「あれ、でも……さい後に検さ……と、か……は……。」
「なんですか?」
「あ……の……けん、さ……。」
おかしいな、うまく口がまわらない。えみをたもったまま、ききかえしてくる、さくらばのかおが、だんだんと、ゆがんで…………
***
桜庭は目の前の男がその場に倒れ込むのを静かに見守った。フューチャー・フーズ・カンパニー自慢の製品たちがしっかりと機能したのか、一年前よりも健康的になった体がぴくりとも動かなくなるのを待ってから、おもむろに胸ポケットに入れていた携帯電話を取り出す。
「俺だ。メディカルスタッフを頼むよ。105号室、期間終了だ。」
待っている間手持ち無沙汰になって、なんとなく、部屋を見渡す。担当していたスタッフからは、オンラインゲームばかりしていて、あまり手間はかからなかったと聞いていた。パソコンの前に無造作に置かれた座椅子だけが、やけに使い込まれていて、この部屋にあるものの中で、唯一生活感を醸し出している。
「お疲れ様です。」
入ってきたメディカルスタッフが、桜庭に声をかけてから、横たわる相川の側へとしゃがみこむ。
「ああ、お疲れ。」
「ふむ。ちゃんと死んでますね。問題ないです。」
「そうか。じゃああとはよろしく頼むよ。……俺は俺で、行かなきゃいけないところがあるんでね。」
それだけ言うと桜庭は、つい5分前に入ってきたドアから、静かに出て行った。
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