応接室

「本日は弊社へご足労いただき、誠にありがとうございます。」

「……いえ。」

 高そうなスーツとネクタイに身をつつんだ中年の男が、顔に満面の笑みを浮かべながら、机の上に名刺を置き、俺の方へと差し出した。

「私、フューチャー・フーズ・カンパニーの桜庭と申します。主に食品開発に伴う治験に関する統括管理を担当しております。」

 名刺をもらうのは始めてだ。なんかマナーとかあったような気もするが、とりあえずそれを自分のそばに引き寄せ、

「……どうも。相川誠太です。」

とだけ、なんとか返した。家族と話すこともほとんどないのに、ましてや初対面の他人と会話するなんて、高校生以来かもしれない。いや、不登校になる前だって、誰かと会話していただろうか?……まあ、だからといって別に緊張しているわけでもないし、話を聞きに来ただけだし、どうってことはないのだが。

「相川誠彦さまのご子息であられますよね。お父様には、大変お世話になっております。」

「……はあ。」

「本日は、弊社が募集しております治験にご興味をお持ちいただけたとのことで、大変有り難く思っております。」

「ま、まあ、ちょっと話を聞いてみようかな、と思ったぐらいで……。実際、チラシ、見ましたけど、結構、その、怪しいというか……1000万って……。」

 まずはあくまで話を聞くだけだ。その上で、受けるかどうかは俺が判断する。これは譲れない。そう思って、口を開いたが、普段使い慣れていない喉からは、想定していたよりも弱々しい声しか出なかった。

「もちろんです。ご説明文書には記載されていないことも多々ございますので、本日はそれをすべて私の方からご説明させていただきまして、その上で、ご協力の可否をご判断いただければと考えております。」

そう言って、桜庭はにっこりと笑う。

「まずは、開発中の弊社の新製品についてですが……」

「それ、チラシには、具体的には何も書かれていなかったですよね……?」

「はい。誠に申し訳ないのですが、開発中の製品の情報というのは、機密性が非常に高いものでして。実際にこうしてご説明させていただく際に、ご本人様のご身分を確認させていただております。万一、競合企業の耳に入ることがあっては、これまでの苦労が水の泡となってしまいますので。」

「……俺、名乗っただけで特に身分確認とかされてないですけど。」

ふと、湧いた疑問をそのまま口に出す。

「相川様は、お父様からご紹介をいただいておりますので、省略させていただきました。」

「あ、そうなんですか……。」

 どうやらこの会社の親父への信頼は厚いらしい。一体どういう関係なんだろう。俺が高校生の頃は、確か普通にサラリーマンをしていたはずだが、親父が具体的にどんな会社でどんな仕事をしてきたのか、今どんな立場で働いているのか、全く知る由もない。まあ、とっくの昔に成長しきったバカ息子ひとりを養え、コネで仕事を持ってこれるくらいのポジションにはいるんだろう。

「弊社の新製品は、これまでの食品の概念を覆す、まったく新しい次元のものとなっております。」

「はあ……?」

なんだか話がSF染みてきた。

「女性の社会進出が進み、生涯独身率が上がり、少子高齢化が進む……。そんな時代を私たちは生きておりますわけですが、そうした傾向は今後さらに強まっていくと考えて、まず間違いはないでしょう。そうした状況下で、人間の生活の中で非常に大きな割合を占める食事に対する概念も近い将来変わっていくのでは、いやむしろ変わっていくべきである、と私共は考えているのです。」

しかも、むちゃくちゃ抽象的だ。

「あー、具体的にはどう変わるんですか?」

「現状、一番厄介な家事は、バランスの良い三度の食事を考え、用意することです。いわゆる食事には、何らかの料理が必要ですし、栄養バランスを考えるとなると、冷凍食品やファーストフードを頻繁に利用することには心理的な抵抗があると予想されますからね。そうした中で、もしも、より健康になること、手軽に適切な分だけの栄養を摂取できることが担保された食品が開発されたら?人々はこぞって買い求めるはず!我々はそう考えているんですよ。」

「要するに……カロリーメイトの進化系、みたいなことですか?」

「ははは。面白い例えですね。まあ、近からずも遠からず、といったところでしょうか。我々の製品はそれよりはかなり進歩していて、体へ悪影響を及ぼすことはないどころか、より健康へと導きます。かつ、満腹中枢を刺激するホルモンを作用させる効果もあるので、食べ過ぎることもなく、理想の体型に食事だけで近づけることもできます。」

 本当にそんなものが世に出回ったら、ものすごい人気が出るだろう。……むちゃくちゃ怪しすぎるが。なんだか雑誌の後ろの方についてる、健康食品の広告を読んでいるような気分だ。

「それを……毎日食べるんですか?」

疑う気持ちが声に現れていたのだろう。桜庭は、

「お気持ちはよく分かります。まるで雑誌の後ろの方についてる、怪しげな健康食品の広告文句のようですよね。」

と苦笑した。思っていたことを言い当てられて、俺は思わず俯いてしまったが、桜庭はまるで気にしていないかのように、話を続ける。

「そこが我々としても一番のネックなのです。いかにして、我々に商品の安全性、及びその効果を信じていただくか。そのための手段の一つとして、今回の治験があるのです。」

「……商品を毎日食べても大丈夫、っていうデータを取って、動かぬ証拠として見せる、ってことですか。」

「正しくは、大丈夫どころか、より健康になる、というデータですね!」

「……なるほど。」

 理屈は分かった。人々の購買意欲を誘うために、人体に害を及ばすことはなく、むしろメリットしかない製品であると証明しなければならない、ということか。

「もちろん、治験者の方々の不安は理解できます。また、治験の性質上、説明文書にも記載させていただきましたが、主に身体的な行動制限をさせていただかなければなりません。具体的には、治験期間中、弊社がご用意いたします個室に住んでいただき、原則として、外出や、社外の人間とのやり取りは電話やメールも含めて禁止させていただいております。その上で、私どもが提供する食品を摂取いただき、定期的に身体データ取得のための検査を受けていただきます。また、起床・就寝時間も、こちらで設定させていただきます。こうしたご負担を考慮いたしまして、最長で一年間、治験にご協力いただけた場合には、治験期間終了後、1000万円、負担軽減費としてお渡しさせていただきます。」

「一年間……!」

 想像よりも、かなり長い。それだけの期間、与えられたものだけを食べて、ひとり部屋の中で過ごす……。

「もちろん、すぐにご決断いただける内容ではないと思いますので……」

「あの。」

桜庭を遮って、俺は尋ねた。

「部屋では、ゲームは、できるんですかね……?」

「ゲーム、ですか。」

桜庭は少しだけ目を瞬かせたが、すぐに元どおりの笑顔に戻り、

「ええ。お部屋の中では、ご自由にお過ごしいただけますので。テレビ、パソコン、ゲーム機といった家電製品はすべて新しいものを取り揃えておりますし、すべてご自由にご活用いただけます。他にもご入用のものがございましたら、できる限り対応させていただいております。」

「それなら……オンラインゲームもできます?」

「オンラインゲームですか……。オンラインゲームについては、大変申し訳ないのですが、こちらで新しく作成したアカウントをご利用いただく、という条件をご承諾いただいた場合のみ、ご利用いただくことが可能です。」

「え!?自分のアカウントを使えないんですか!?」

「オンラインゲームは外部の人間とのコンタクトが可能となりますので、会話の内容等を監督するためにも、弊社作成のアカウントをお使いいただいているんです。」

「……そうですか。」

 正直家にいたところでどうせ自分の部屋に引きこもっているだけだ。この会社からあてがわれる一室で引きこもろうが、家で引きこもろうが、大差はない。ただ、自分のアカウントを使えない、というのは正直痛い。それに……

「もし……治験をしていて、健康被害が生じたら……その……」

俺の言いたいことを察したのか、

「治験期間中は、弊社の優秀なメディカルスタッフたちがつぶさに健康状況を管理させていただきますので、ご心配いただくようなことにはまずなり得ない、というのが弊社の大前提の立場ではあります。しかしながら、万が一、ご心配なさっているような事態が発生した場合には、治験期間終了後、弊社を訴えられても致し方ないことかとは理解しております。」

と桜庭が遮るように言った。

「……つまり治験の契約内容に、健康被害について一切の責任を負わない、とか訴える権利を放棄する、とかそういった文言は……」

「一切ございません。」

 これは予想外だ。リスクヘッジという名の逃げ道を作っておくことは、企業にとって、最重要事項なはずなのに。

「弊社は、困難な時代を生きる人々の暮らしを、より安全で豊かなものにする、という理念に基づいて日々努力しております。製品の安全性には確かな自信を持っていますし、治験者の方々に、ご安心いただき、心からご納得いただいた上で、治験にご協力いただくことは、弊社の信頼性を高めるためにも、何より重要なことなのです。」

 そう静かにそう言い切った桜庭の顔を見つめながら、(まあ、また一からキャラを育てるのも悪くないか。)と俺は心の中で呟いた。

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