9 騙す気なら、昨日の時点でとんずらしてるさ


「おいおい。昨日、待望の花嫁を娶った若者の顔とは思えねぇ仏頂面だな」


 からかい混じりの道玄どうげんの声に、榮晋は不機嫌さを隠さず、卓の向かいに座る道士服を着た三十過ぎの男を睨みつけた。


 慶川けいせんの街でも一、二を争う高級酒楼の一室。


 すっぽんの出汁で煮た粥、鴨の汁物、胡桃くるみと鶏肉の炒め物、鰻の卵とじ、青菜を添えた豚の焼肉……と、朝食とは思えぬほど、卓の上には精がつく料理が数多く並べられている。


 それらに遠慮なくはしを伸ばし、舌鼓を打つ道玄に、榮晋は眉を寄せて口を開いた。


「道玄。頼むから、今さら「あの話は嘘だった」などと言ってくれるなよ?」


 もしそんなことを言い出したら、ただではおかないと決意している榮晋の心中を読んだかのように、道玄は「はんっ!」と逆に挑むように鼻を鳴らした。

 精悍な顔の下半分を覆う無精ひげが盛大な息に揺れる。


「もしだます気なら、昨日の時点でとんずらしてるさ。のこのこと、朝っぱらからここまで来るかよ」


「……その通りだな」


 もっともな言い分に、榮晋は吐息し、右手の箸を卓に置く。


 食べたほうがいい、食べるべきだと頭ではわかっているのだが、どうにも食欲がわかない。


「しっかし……」


 道玄が困り顔でがしがしと頭を掻く。無精ひげを剃れば意外と整っているだろう顔に浮かんでいるのは、苦り切った表情だ。


「ちょっとした気晴らし程度になればと話しただけなんだが、まさか、本当に探し出して娶っちまうとはなぁ……。さすがに、そこまでするとは予想してなかったぜ」


 道玄のひげ面には後悔が色濃くにじんでいる。


 もともと、香淑の存在を榮晋に伝えたのは、道玄だ。


「知ってるか、旦那。三人の夫を次々と変死させた『夫君殺しの女狐』って噂されている未亡人がいるんだってよ。妖怪に取り憑かれてるのか、はたまた妖怪が本人に成り代わって化けてるのはわかんねぇが……。しかも、噂が流れると同時に、それまで栄えていた家が一気に没落しかかってるときてる。こりゃあ興味深いと思わねぇか?」

 と。


 渋い顔で、手酌で酒をついでいる道玄に、榮晋はとりなすように言う。


「万が一、花嫁が期待外れであったとしても、お前を責める気などないから安心――」


ちげぇよ!」


 だんっ! と道玄が打ちつけるように酒杯を卓に置く。


「オレの心配をして言ってんじゃねぇ! 噂が本当だったらどうする気だよ! 取り殺され――」


「それこそ、わたしの願いだ」


 榮晋は、冷ややかに道玄の声を遮る。


 己の口のに、笑みが浮かぶのを感じる。

 息を飲んだ道玄に、榮晋は艶やかに微笑んだ。


「わたしを自由にしてくれるのなら、探し出し、娶った甲斐があるというものだ。望みを叶えるためならば、丹家の財産をすべてなげうってもかまわんぞ? どうせ、あの世まで金は持っていけんしな」


 淡々と告げる榮晋を見つめていた道玄が、無言で酒をつぎ、酒杯を呷る。


「そこまで追い詰められてたとはな……。くそっ、オレとしたことが、見誤ったぜ……っ」


 がしがしと髪を掻き乱しながら、後悔の言葉を吐く道玄に、榮晋は苦笑する。


「そう言ってくれるな。お前には深く感謝しているのだぞ? お前に教えてもらったおかげで、わたしにも張り合いができたのだ。嫁取りを決めてからというもの、今か今かと毎日、待ちわびていた。こんな晴れやかな気持ちを再び味わえるとは、少し前までは想像もしなかったぞ?」


「その顔だよ、その顔っ!」


 突然、道玄が卓の向こうから勢いよく指を突きつける。


「腹の底が読めねぇ仮面みたいな涼しい顔をしてるかと思えば、突拍子もないことを前触れもなくしやがって……っ! オレはお前をむざむざ死なせていいなんざ思ってねえぞっ!」


 ぱちくり、と榮晋は目をしばたたかせる。


 次いで唇に浮かんだのは、明らかに先ほどのとは違う、柔らかな笑みだった。


「お前は、いい男だな」


「はっ! わかりきったことを言っても、何も出ねぇよ!」


 道玄が鼻を鳴らす。が、その耳の先はうっすらと赤い。

 心に押し寄せた感嘆を、榮晋は素直に口にする。


「お前のその心意気は嬉しい。まぶしいほどにな。だが……」


 榮晋は一つ吐息して、真っ直ぐに道玄を見つめる。


「わたしは、丹家がかつて交わした盟約――いや、今や『呪い』だな。これを終わらせることができるのなら、この方法でもよいと思っている」


 静かに、だが決然と言い切ると、道玄が呑まれたように口をつぐんだ。


「……犬っころや、ばーさんは納得してるのかよ?」


 ささやかな抵抗に、榮晋は苦笑を洩らす。


「晴喜には伝えておらん。泣いて反対するに違いないからな。呂萩は……納得はしていないかもしれんな。だが、「説得」は受け入れてくれた。何にせよ、丹家の現当主はわたしだ。そのわたしが決めたのだから、何も問題はあるまい。ただ……」


「何だ?」


 顔をしかめた榮晋に、道玄が続きを促す。


「そもそも、花嫁が『当たり』かどうかが、わからぬ。女狐と呼ばれるだけあって、本性を隠すのがなかなか巧みなようでな。化けの皮を剥がしてやろうと思ったが、うまくいかなかった……」


 昨夜の香淑とのやりとりを思い返すと、己の失態に胸に苦い思いがわき起こる。

 顔をしかめてこぼすと、道玄が狼狽うろたえた声を上げた。


「おいっ!? 初夜早々、花嫁にナニをしたんだよっ!?」


「何もしておらん。ただ、問い詰めたが、涙ではぐらかされただけだ」

「泣かせた!? 何してんだよ、ったく……!」


 道玄の責める響きに、思わずぎゅっと眉根が寄る。


「女狐の手練手管に決まっている。が、お前の意見も聞いてみたくてな。それで、朝から訪ねたのだ」


「……いったい何をしでかしたのか、とりあえず話してみろよ」


 呆れ混じりに吐息した道玄に、榮晋は昨夜の出来事をかいつまんで説明する。


 『夫君殺しの女狐』という御大層な噂とは裏腹に、現れた花嫁は控えめで、しとやかそうな女人だったこと。婚礼の場で、花嫁がひどく怯えていたこと。


 侮蔑し、怒らせて化けの皮を剥いでやるつもりが、逆に、言うつもりなど欠片もなかった本心を告げてしまったこと――。


「……あれは、幻術か何かに惑わされたのか……?」


 榮晋はいぶかしげに呟く。

 今、思い返しても、昨夜の自分がどうしても理解できない。


 香淑を娶った本当の理由を、馬鹿正直に明かす気など、欠片もなかった。


 ただ、涙を流す香淑を見た途端、自分でも理解できぬ感情が頭の奥を支配して――気がつけば、激情をぶつけていた。


 あれを幻術に惑わされたと言わず、なんと言うのだろう。


「思いがけず美人だった花嫁に舞い上がって、うっかり口にしちまったんじゃねぇのかい?」


 からかい混じりの声に、道玄のにやついた顔を睨みつける。


女の容貌などに惑わされるものか」


「わりぃわりぃ」

 まったく悪いとは思ってなさそうな口調で道玄が詫びる。


「まあ、三日にあげずに妖女を抱いてりゃなぁ……。多少の美人にゃ、心動かされまい」


「代わってほしければ、今すぐにでも代わってやるぞ?」


 道玄がおどけた仕草で肩をすくめる。


「そいつぁ魅力的なお誘いだが、遠慮しとくよ。オレの男ぶりに惚れられちゃあかなわんからな」


生臭道士なまぐさどうしめ」


 人を食った返事に、榮晋はようやく頬を緩める。


 ふだんから軽口を叩いてばかりだが、道玄にはどうにも憎めないところがある。いつの間にか相手の心にするりと入り込むような、不思議なおおらかさが。


 加えて、榮晋は道玄の道士としての力量も信頼している。もし、香淑の話をしたのが道玄の以外の者だったら、一顧だにしていなかっただろう。


「……お前の力をもってしても、なんともならんという答えは、変わらぬままか?」

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