第51話 訪れを告げる使者
冬の青い空に赤い月と緑の月が輝いていて、小さな太陽はどこか弱々しく見える。
気落ちしたリョウメイはセイランに促されて、何とか新年の祭祀をこなした。青月妃イーミンの替わりに私が月妃の祭祀を行い、形を整えることができた。
「新しい年になったのに、なーんかすっきりしないー」
後宮だけでなく王宮の空気も重い。
「カズハ様、お茶はいかがですか?」
テーブルの上には二人分のお茶と旅の間に買ったお菓子。色とりどりの干した果実には砂糖がまぶされていて宝石のように光を反射する。お祝いの時にだけ食べるという大きな月餅に似たお菓子がケーキのように切り分けられてナッツ入りのピンク色の餡が見える。
レイシンとイーミンが姿を消してから、王宮は騒動になった。
青月妃でありながら皇帝を殺そうとしたことは死罪に相当する。本人は姿を消しているから替わりに一番近い親族、親である左大臣が罰を受けるのが習わしだったのに、リョウメイが罪を軽減した。
ただし左大臣と一族郎党、主だった官位に就いていた者たちは一斉に職を失い、領地の殆どを召し上げられた。過剰に困窮しない程度の絶妙な匙加減はセイランの案。
「レイシンってリョウメイを殺した後、どうするつもりだったのかな」
「……推測でしかありませんが、皇帝位の
兵隊長の執務室も居室も綺麗に片づけられていて、誰にも告げずに姿を消したのだから、戻ったとしても何かあったのかと詮索されるだろう。
「計画の当初は、自分の子を皇帝に据えようと動いていたのかもしれませんが、皇帝陛下を殺して二人で逃げることにしたのではないかと思っています」
「……私も、そんな気がしてた」
レイシンもイーミンが好きだったのだと思う。月妃を魅了の術で操ったと言ってはいたけど、とても大事に扱っていた。
「諦めないって言ってたけど、どうするんだろ」
「この国のどこかで子を育て、皇帝になる夢を子孫へと繋ぐのかもしれません」
先祖から押し付けられた長い悪夢のような話だと思う。レイシンは元凶である皇帝を殺すことで、代々受け継いできた夢から逃れようとしていたのかもしれない。
「そんなの諦めて、イーミンと仲良く暮らしたらいいのに。レイシンなら、どこでも仕事はありそうだし」
リョウメイはレイシンとイーミンの捜索を皇帝の正式な命令で禁止した。それはイーミンを殺したくないという理由だとセイランに聞いた。だから二人は自由に生きていける。
ふと思いついて、セイランから手付金としてもらったお金の残りを数えるとかなりの額が残っていた。錦の袋の中身は金の粒がぎっしり詰まっている。砂金の価値はよくわからない。
ここから、出て行こうかと迷う。
リョウメイはイーミンを抱いてはいなかった。でも、侍女をイーミンだと騙されて抱いていた。私の心は醜くて、他の女を抱いたかもしれないことが……気持ち悪い。
リョウメイは私よりもイーミンを好きになっていたのだろう。名前を呼びながら必死に手を伸ばしていた姿を見せられては、もうリョウメイが好きだとは言えないし、思えない。
リョウメイの為、国の為と思って頑張ってきた結果、私が目にしたのはリョウメイの心変わり。溜息しか出てこない。
「カズハ様?」
「……町で料理屋とか庶民向けの小さな店を開くのって、いくらぐらいかかるかわかる?」
「それは……その砂金の半分もあれば立派な店が開けます」
「帝都でなく、他の町ならもっと安い?」
「はい。六分の一、それ以下で店が買えます」
異世界料理の本の巻末には、ご丁寧に『商用利用可能』という一文が書かれていた。小説でよくある異世界トリップの定番は日本食無双。ユーエンも美味しいと言ってくれているから、どこかの町で小さな料理屋を開くことも可能かもしれない。我ながら、甘い計画だとは思う。
セイランに相談してみようかと思いついた。旅の間のことを思い出して考えてみると後宮から出ることを遠回しに勧めてくれていたような気がする。
「ここから出るのであれば、私も行きます」
ユーエンの真剣な声に驚いて顔を見ると、翡翠色の目が私を真っすぐに見つめていた。
「どうして? 私がここから出たら、お妃じゃなくなるのよ? ユーエンは侍女と間諜の仕事があるでしょ?」
優しい侍女の顔ではないユーエンがそこにいた。旅の間、そして戻ってきてから何度も見た男の顔に胸の鼓動が跳ね上がる。今、何を言うのが正解なのかわからない。
長い沈黙の後、ユーエンが口を開いた。
「私は、貴女のことが好きです。貴女がずっと皇帝を想っているのは知っています。でも、もしもここから出て行くのなら、私が皇帝の替わりに貴女を護ります」
「ユーエン……それは…………私が頼りなさそうだから?」
想像もしていなかった言葉に私は驚いた。独りで出て行こうとする私を憐れんでいるのだろうか。
「違います。本当に好きなんです。ずっと貴女だけを見てきました。これからも、そばで見ていたい」
そっと手を握られて胸が高鳴る。骨ばった手は働き者の手で、剣を握る手で。私はいつもこの手に護られてきた。
近すぎる距離に、今更ながらうろたえる。真剣な目が私の心を掴んでいるような気がして、鼓動が跳ね上がる。
旅の途中から時折沸き上がった感情の正体を、私はようやく自覚した。
私はいつの間にかユーエンも好きになっていた。リョウメイの妻でありながら、ユーエンにときめく自分を感じていた。気のせいだと、ユーエンが美人だからドキドキするのだと、何度も自分の感情を打ち消していた。
他の女と子供を作ったリョウメイに裏切られたと思っていたけれど、私自身も裏切っていた。離れていても、何があっても思い続けることができる。そんなのは、綺麗な物語の中だけで。私の心は綺麗でも何でもなかった。
「これからも侍女としてお仕えするということでかまいません。給金は自分で稼ぎます。何の心配もいりません」
「ユーエン、私……」
皇帝の妻のまま、自分の気持ちを伝えていい訳がない。伝えるなら離縁してからでないと。
突然、来客を知らせる鈴が鳴った。ユーエンが慌てて出迎える。
小舟に乗って来たのは、三人の着飾った老齢の侍女。
「今夜、皇帝のお渡りがございます。何事も過不足なくご用意されますよう」
使者の言葉が、静かに響き渡った。
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