第50話 皇帝の夢

 窓の一つに灯りが点いた。そっと覗くと、何の家具もないがらんとした広い板張りの部屋に侍女のクリーム色の服を着たリョウメイと、ふんわりとした服を着たイーミンが立っている。


「椅子はないのかな。イーミンを冷たい床には座らせられないよ」

 久しぶりに聞くリョウメイの優しい言葉が胸に痛い。

「座るつもりはありませんのよ」

 イーミンの声はとげとげしく冷たい。以前に聞いた声と印象が違いすぎて驚く。


「えっと……安産祈願の道士はどこにいるのかな?」

「すぐに参ります。リョウメイ様はここに立っていて下さい」

 イーミンがそう言って、リョウメイから離れて壁際へと向かう。立ったまま周囲を見回す仕草は落ち着かない時の癖。本当にリョウメイは昔と変わっていないと、妙な安堵の気持ちと胸の痛みが混ざり合う。


 突然、リョウメイの首元で白い光がばちりと音を立てた。

「な、何だ!?」

 首元に手をやって、リョウメイが慌てている。イーミンは壁の方を向いてリョウメイに背を向けたまま。


「愚か者でも、やはり皇帝の血は侮れないな。護りの光は無意識か」

 奥の扉から姿を見せたのは金茶色の短髪に緑の瞳。黒い服を着た兵隊長のレイシンだった。イーミンが駆け寄っていく。


「レイシン!」

 片腕でイーミンを抱き止めたレイシンの手に、魔法のように三節棍が現れた。

「……そっちに行って目を閉じていろ。胎の子に悪い」

「はい」

 レイシンの言葉にイーミンが従う。


「何だ? どういうことだ? イーミン!」

 イーミンの方へ行こうとしたリョウメイが白い光の膜に阻まれた。


「何だこれは?」

「皇帝の血を引き、皇帝の座にいながら己の力を知らぬのか。真の皇帝なら知っている筈だ。自らの血に眠る力を」

 レイシンの声がリョウメイを責めているように聞こえる。


「イーミン!」

 叫びながらリョウメイがイーミンの方へ手を伸ばしている。その必死な声と姿が私の心を冷ややかにさせていく。


「わたくしの名を呼ばないで頂戴! 汚らわしい!」

 壁の方を向いていたイーミンが振り返って叫んだ。


「わたくしは、ずっとお前のことが嫌いだったのよ。肩に触れられるのも嫌だったの」

 イーミンの青い瞳は蔑むようにリョウメイを捉えている。


「わたくしが宿しているのは、お前の子ではなくレイシンの子。お前の相手をしていたのは、レイシンの幻影術で私に化けていた侍女よ」

 

 イーミンの告白に衝撃で頭が真っ白になった。


「……こちらを向くなと言っただろう」

「でも、どうしても言っておきたかったのです。この男がわたくしに愛されていると勘違いしたまま死んで、冥府に降りた時に付きまとわれるのは嫌ですもの」

 

 艶やかに微笑むイーミンには、レイシンさえ戸惑う強さがあった。


「もういいだろう。あちらを向け。……最期は一撃で仕留めてやる」

 三節棍が一本の棒になり、槍のような刃が現れた。向けられているのは立ち尽くすリョウメイの胸。両者の間には五メートル程の距離がある。それでもレイシンなら一瞬で胸を貫いてしまうだろう。


 助けないと。強く願った瞬間青い光が煌めき、金属がぶつかり合う音がして私たちは部屋の中にいた。

 リョウメイを背に庇ったユーエンは双剣でレイシンの槍を受け止めている。


「まさか……結界を破ったのか?」

 レイシンの信じられないという言葉を合図に、ユーエンとの戦いが始まった。有効距離の短い双剣と長い槍が交差する。


 槍を避けながら、距離を詰めて剣を振るうユーエンに対し、レイシンは槍を三節棍に戻して近距離で応戦し始めた。


 戦う二人に対して私は何もできない。リョウメイは這うようにして部屋の片隅に逃げ、頭を抱えて座り込んでいる。


「触れるな!」

 突然レイシンが叫んで、セイランが壁に叩きつけられた。おそらくセイランはイーミンに近づこうとしていたのだろう。私が駆け寄ってセイランを助け起こす間も、ユーエンとレイシンの激しい戦いは続いている。


「……油断しました。確保しようとしたのですが」

 セイランの口の端からは血が流れていて、治癒の術を施すとお礼を言われた。


「レイシンにも皇帝の血が流れているの?」

 思い出した。帝都で出会った時、レイシンは〝華蝶の簪〟を「青い簪」と言った。 

「そのようですね。白い光は神力によるものです」

 

 レイシンの三節棍の一本が砕け散り、二人が距離を取った。レイシンはイーミンを背に庇い、ユーエンは私とセイランを背に庇う。


「リョウメイを殺してどうするつもりだったの!?」

 私はレイシンに向かって聞いた。部下にも気遣いのできる優しい人だと思っていた。時には笑わせてくれた楽しい人だった。


「……以前、国母になろうとした女官長の話をしたでしょう。先帝の子を身籠り、皇帝の暗殺を計画した女官長は死刑になりました。公式記録では胎の中にいた子供も死んでいたとされていますが、実は男の双子だったのです。片方が死に、片方は生きていた」

 先程まで尊大だったレイシンの口調が、以前と同じ丁寧なものになったことに戸惑う。


「墓掘りによって助けられた皇帝の子は、帝都の片隅で血を繋ぎ、いつか皇帝になるという夢も受け継いできました。貴族でもない平民の暮らしの中で、私は身体を鍛えて兵士になり、兵隊長に登り詰めた。平民の兵士としてはこれが限界です。戦で功績を上げて官位をあげようとしても戦はない。後は世継ぎのいない貴族の娘に取り入って結婚するしかなかった」


「貴女を迎えに行った際、本物の〝華蝶の簪〟を見た時に体が震えました。同時に私は自分の中に眠っていた皇帝の力、この国を導く力が私の血にはあると自覚しました。その時私は思いついたのです。皇帝の月妃を魅了術に掛け、私の子を皇帝にすると」


「貴女自身の力も手に入れたいと思って近づきましたが、私の魅了術は弾かれました」

 旅の途中、レイシンの緑の瞳の奥に青い光が見えたことを思い出した。あれが魅了術だったのだろうか。


「王宮へ戻った私は月妃を魅了術で操り、子を成しました。皇帝の血を持つ者がいない今、皇帝が死ねば世継ぎとして生まれることになる」


「まだ男の子だとはわからないでしょ?」

「……わかるのですよ。間違いなく皇帝の血が受け継がれたと」


「先代皇帝にもそんな力はなかった」

 セイランが口にすると、レイシンが視線だけを動かした。空気がずしりと重くなった気がする。

「私の力は歴代の皇帝を凌ぐ。私の血が正統であることの証左だ。魔術師風情が口出しするな」

 セイランに対するレイシンの口調は重々しい。


「どうして自分が皇帝になろうとしなかったの?」

 私の問いにレイシンは迷うように瞳を動かす。

「……平民が皇帝になることは困難です。それはあの男が王宮に来てから嫌と言う程見せられました。月妃であり、左大臣の娘の胎を通せば、生まれながらの貴族と同等になります」

 レイシンの答えに血の気が引いた。イーミンが好きだというのではないのか。


「女を何だと思ってるの! 自分の都合の良い子供を産む道具じゃないのよ!」 

「レイシンを責めないで! わたくしが望んだのよ!」  

 壁際にいたイーミンが走り寄ってきた。レイシンが構えていた三節棍を下げ、かたわらに立ったイーミンの肩を抱く。


 強い風がレイシンから吹いてきた。風は嵐のように部屋を暴れ回り、床に白い光で描かれていく図形が、セイランが使う移動魔法に酷似していることに気が付いた。


「イーミン! そんなヤツに着いていく気なの!? 操られてたのよ!? 女を道具としか思ってない男よ!?」

 強い風に抗い、私は叫んだ。女を利用する男に着いていっても不幸になるだけだと思う。吹き飛ばされそうになった体をユーエンが抱き止めてくれた。


「……それでも構いません。わたくしは……十五歳の時から、いつかレイシンと共に歩むと決めていたのです」

 イーミンはとても綺麗な表情で微笑み、レイシンは緑の瞳を一瞬伏せた。


「忘れるな。私は諦めない」

 重い口調の一言を残して、レイシンとイーミンは白い光に包まれて姿を消した。


 風はぴたりと止んだ。窓の格子は折れ、壁や床の木があちこち剥がれ落ちている。

「……人を殺そうとした悪いヤツなのに何でついて行っちゃったんだろ」

 本当は判っている。イーミンはレイシンを心から愛していた。レイシンに操られていてもいいと覚悟をしていた。


「……嘘だ……イーミン……」

 項垂れたまま床に座り込むリョウメイを見ても、声を掛けようとは思えなかった。いろいろ聞きたいこと、話したいことがあったのに、頭の中は真っ白で言葉が出てこない。


「カズハ様、帰りましょうか」

 ユーエンの問いに頷くことしか、今の私には出来なかった。 

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