第47話 奇跡への報酬
牛車を追いかけてから、三日が過ぎ去っていた。他の月妃のことは気にしないでおこうと思いつつも、一瞬だけ見た幸せに包まれたイーミンの表情が目に焼き付いている。
ユーエンにお願いして帝都の詳細地図をセイランから借りてきてもらった。碁盤の目のように大きな通りが交差していて、一番奥まった場所に王宮が広がっている。
後宮の広大な池は、初代皇帝が召喚した神様と共に降りてきた龍の為の飲み水で、池が枯れるとこの国の地脈も枯れるという隠された伝承がある。
「龍の飲み水なのに、池が濁ってるのはいいのかしら?」
「本当に飲む訳ではありませんから。大事なのは水の気配だそうです」
「そっかー。池の水、全部抜いて入れ替える! とかやってみたいと思ってたのよねー」
「それは……いろんなものが出てきそうですね」
「うわ。人骨とかありそう。怖ーっ」
緑に濁る池の底。何が沈んでいても不思議はない。
指で地図を辿っていく。
「気のせいかもしれないけど……牛車の中のイーミン、あの祝いの行進の時より嬉しそうな笑顔だったの」
夢見る乙女のような。あの一瞬を写真に撮っておけば、そんなタイトルをつけても違和感が無い。
「牛車の中には誰もいなかったのでしょう?」
「たぶん」
牛を牽く人も二人しかいなかった。牛車の時には少なくても十人はいないと、牛が暴れた時に対処できないので、少なすぎるらしい。
突然、床に黄色い光で魔法陣が描かれていく。この図形は旅の間に何度も見たので慌てることはない。
魔法陣から姿を見せたのは、白緑色の髪をたなびかせて金茶色の瞳を輝かせるセイラン。渋い灰水色に紺色で縁取られた深衣は、旅では着ていなかったから宰相の執務服なのだろう。
「男が後宮に入るってどうなの?」
私は抗議の声を上げる。着替えの途中だったらどうするつもりなのか。
「おや。その隣にもいるでしょう?」
セイランの意地悪な笑みにどきりとする。
「旅の疲れは取れましたか?」
「まだちょっと残ってるみたい」
神経が昂って眠れないので、ユーエンに睡眠薬を少しだけもらっている。
帝都に戻って来た時のパレードは、青月妃イーミンの懐妊をお祝いするお披露目行進だった。安静にという周囲の説得は聞き入れられずに実行されたとセイランが苦笑する。
「あの……」
もしかしたらリョウメイの子供ではないのではと聞いてみたい。何か理由があるのだと思いたい。
「貴女には酷な話ですが、子を儲けて血を残すのは皇帝の仕事の一つでもあります。それが我慢できないのなら、離縁して後宮から出るしかありません」
セイランの言葉はもっともだし、私も良くわかっている。……頭ではわかっていても、心の違和感は拭えない。
「報告を受けた件ですが、あの屋敷は外国の商人が建てたということになっています。工事を急がせて、たった半年で作らせたそうです」
あの規模の屋敷なら一年はたっぷりかかるとユーエンが説明を加える。ユーエンは歩きながら大体の大きさを測っていた。
「報告を受けてから見張りをつけていますが、不思議なことに誰の出入りもありませんし、夜も火が灯らない。周囲への聞き込みによると、秋になった頃から牛車は五日に一度やってきて、深夜から早朝に出ていくそうです」
「後宮から月妃が出るのって、許可取ったりとかはないの?」
「ありませんよ。貴女も自由に出入りしているでしょう?」
記録も一切残されていないとセイランが苦笑する。
「皇帝陛下が正式に許可されてしまいましたからね。それを盾にされれば、侍女や侍従、官吏が行き先を詮索することは難しいでしょう。他の月妃も頻繁に外に出ているようですし、後宮という制度自体が意味をなさなくなってしまいそうですね」
「……まさかリョウメイは後宮を壊そうとしているの?」
どきりと胸が高鳴る。これまでの事は、やっぱり何か考えがあってのことだったのだろうか。
「それはわかりません。何しろ宰相である私には一切の相談もなく、左大臣によってすべて取りまとめられている状況ですから」
皇帝の印は皇帝しか捺せないので、リョウメイは決裁する際に書類を見ているはずだとセイランは言う。
「ただ、内容を理解されているかはわかりません」
セイランは、リョウメイのことになると冷ややかな目をすることに気が付いた。
「リョウメイのこと、良く思ってないの?」
「酒宴に掛かっていた費用を仮計算しましたが、莫大な金額になります。さらには月妃たちの贅沢を親族まで含めて際限なく認めていらっしゃるのです。何かお考えがあったとしても、民の為の蓄えを食いつぶすようでは困ります。……せめて、どんな目的があるのか教えて頂ければいいのですが」
溜息を吐くセイランの言葉は正論過ぎて、リョウメイを擁護できない。
どんな目的があるのか。一言でも教えてくれたら、私も何か出来る事を考えるのに。
「魔術師なんでしょ? リョウメイがいる部屋に瞬間移動とかできないの?」
「代々の皇帝の力で結界が張られています。皇帝が自分の意思で私を呼ばなければ侵入はできません。それだけでなく、左大臣一派が強力な護符を貼っているので、なかなか動けません」
護符は秋ごろから貼られるようになったらしい。
「そうそう。これを渡すのを忘れていました。今回の報酬です。貴女が起こした奇跡の代金には足りませんが、王宮の金庫の鍵はまだ左大臣の手にありますので、これが精一杯です」
手のひらに乗せられた錦の豪華な袋はずしりと重い。何かと聞くと、砂金だと答えが返ってきた。
「こんなの受け取れない……」
「私が保管していたら、左大臣に取り上げられてしまうだけです」
パレードの日、セイランが先に帰ったのは宰相室の金庫をこじ開けられようとしていたからだと苦笑する。
金庫には王宮で働く人々の一年分の給金と日々の消耗品を納入する者たちへの代金が入っていた。開けられる前に戻ったので事なきを得た。
「この国を救った貴女への報酬としては極端に少額です。貴女自身の為に使って下さい」
自由に使っていい。セイランは私に念押しして、姿を消した。
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