第46話 牛車の行き先
イーミンが懐妊してから酒宴は開かれなくなった。月妃が身籠ると他の月宮を訪れるはずの皇帝は未だに青月宮で夜を過ごしているらしい。
雪を含んだ暗い雲に空が覆われていても、リョウメイを待つことをやめた私は割と明るい毎日を過ごしている。
「あったかーい」
町の屋台で蒸したての甘いお饅頭を買って、歩きながら口にする。手のひらよりも大きくて、ふかふかの茶色のあんまんのような形。
「ユーエンも食べる?」
抱えた紙袋の中から新しいお饅頭を出そうとすると、口に咥えたお饅頭を取り上げられた。
「カズハ様、行儀が悪いですよ」
そう笑いながら、私が食べていたお饅頭にかじりつく。
「ユーエンだって行儀が悪いじゃない。一口頂戴」
「私の食べ掛けですよ」
「平気よ。今更じゃない。あーん」
二人でかじり合いながら、一つのお饅頭を食べる。屋台で買ってすぐに食べるのはこの世界でも普通のことらしい。あちこちでいろんな物を歩きながら食べている人たちがいる。
ユーエンと遊びに来たのは屋台が並ぶ帝都の一角。色違いの庶民の服を着て、町を歩くと目立たない。〝華蝶の簪〟は月宮に置いて出ようと思ったのに、持っていた方がいいとユーエンに言われたので鞄に入れている。
雑踏の騒がしさが心地いい。静かすぎる後宮よりも、人が生活する音が聞こえる方が安心できる。
「町に出るのに、兵隊長のレイシンに声掛けなくてよかったの?」
「私一人でもカズハ様をお護りできますよ」
いざとなれば剣神を呼ぶとユーエンが微笑む。神様を呼ばなくてもユーエンの剣技と私の浄化の力があれば、大抵のことは切り抜けられると思う。
「晩御飯、何しよっか」
「今日は食べて帰ってもいいのではないですか?」
「うーん。お昼に食べた麺が重かったから、夜はさらっと軽い物がいいかなって思うの」
帝都の食堂で頼んだ料理は割と美味しかったけれど、油がたっぷり使われていて重すぎた。
「お湯漬けはどうです? 魚を買って焼けばいいでしょう」
「そうね。魚買って帰りましょ」
市場で塩漬け魚を買って、読み物屋と呼ばれる店で地方のニュースや噂が印刷された冊子を買う。地方新聞の簡易版のような物で、紙なのに銅貨一枚で買えてしまう安さ。村との格差を再確認しながら、ざっと見出しを確認する。
「むむむ。青月妃の話は、まだ書かれてるのね」
私は帝都に戻ってきているのに、奇跡を起こした青月妃が様々な怪異を解決しているという作り話が後を絶たない。
「大衆向け娯楽小説って感じ」
記事の最後は『~という噂である』とかなんとかで締めくくられているので、抗議しようとも思えない。……全部の話で青月妃は美人と描写されているので、悪い気はしないというのは秘密。
一方で、身籠っている青月妃の経過は順調という話も載っていて、不思議な感じもする。
「これじゃあ、青月妃が何人もいるみたいね」
肩をすくめて、冊子を畳んで鞄に入れる。ちゃんと読むのは帰ってからにしよう。
帝都の識字率は割と高く、本屋も存在している。後宮で見るような達筆の人が書き写した本は法外なお値段がついていて、荒い字で印刷された本は庶民でも買えるお値段。
「あ、牛車だー」
牛車は貴族の乗り物。長距離や時間を短縮したい時には馬車で、時間がある時には牛車に乗る。黒い格子窓が優雅で、全体的に落ち着いた色合い。
「京都で見た牛車とは全然違うのよね。やっぱ中華風って感じ」
町では普通の光景らしく誰も気に留めない。牛車の中は薄暗く外からはよく見えない。失礼だと思いつつもちらちらと視線を送る。
「え?」
「カズハ様、どうしました?」
「嘘。……イーミン?」
反対側の窓から入った一瞬の光で見えたのは、銀髪に青い瞳のイーミンの顔。
「身籠った月妃が外に出るのは、実家での出産以外にあり得ませんが……」
「でも、まだ生まれる時期じゃないでしょ?」
「はい。そう聞いております」
ゆっくりと進む牛車は、歩いてでも追いかけることができる。ユーエンと私は、距離を取りながら牛車を追跡した。
「何か、小説みたいでどきどきするわね。この先に事件が待ち構えている!」
「カズハ様、読み物の影響を受けすぎですよ」
苦笑するユーエンもちゃんと気配を消している。
しばらくすると牛車は落ち着いた佇まいの屋敷へと入って行った。門が閉ざされてしまったので、これ以上は進めない。
「ここは……誰の屋敷でしょうか」
「左大臣の別邸とかじゃないの?」
「いえ。貴族の屋敷や別邸は建築に申請が必要ですので、すべて把握しております。……見た所、新しい屋敷のようですね」
「貴族じゃなく、商人とかお金持ちが建てたとか?」
「はい。そうなります」
一時間近く待ってみても、屋敷の中は静かで誰も出てくる気配がない。
「セイランに聞いて調べてみましょう」
私は後ろ髪を引かれながらも、その場を後にした。
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