第45話 心の痛み

 この国の冬は雪が深くなる。今年は降り始めが遅くて、まだ積もってはいない。

「ユーエン! 雪が積もる前に庭の掃除をするわよ!」

「え? あ、はい」

 月宮の小さな庭にも、落ち葉が積もる。二人で落ち葉と枯草を集めて、焚き火を起こす。


「元の世界では、ライターっていう道具で簡単に火をつけられたの」

 村ではマッチに似た道具があった。とても高価な物で、村長の家にしか置いていなかった。村人は火打石に似た道具で火をつけていた。


 帝都では赤い魔法石と紋様が彫られた金属を一度打ち合わせるだけで簡単に火がつく。何度も叩く火打石とは雲泥の差がある。


 私は胸元に入れていた袋の中から、手紙を出した。

「カズハ様、それは……」

「……うん。リョウメイからの手紙。持ってても嬉しいって思えなくなったの」

 誕生日に届けられた一言は、私の心を支えてくれていた。あの祝いの行進を見るまでは。 


「皇帝なんだから仕方ないって、何度も考えてる。子供をたくさん作って、血を残すっていうのも大事な仕事だっていうのも、頭では理解してるの」

 でも、感情が追い付かない。


 リョウメイは、私だけのリョウメイじゃなくなった。

 その現実が心に刺さる。

 心の中で大事にしてきたリョウメイとの思い出が、少しずつ色彩を失っていく。


「元の世界では一夫一妻が当たり前だったの。子供の頃から、いつか私だけを見てくれる人と結婚したいって思ってた。……後宮に入っても、リョウメイは私一人だけを好きでいてくれるって、思いあがってた。私が五人の月妃のうちの一人になったってこと、理解してなかった」


 〝華蝶の簪〟を贈ってくれたのだから私はずっとリョウメイの一番だと、自分の都合のいい解釈をしてきた。他の月妃がどんなに美人でも、どんなに優れていても、私が上だと無意識に考えていた。


 この胸の痛みは、皇帝の心を独り占めしていると思いあがっていた私への罰。


 静かに手紙を焚き火に放り込むと、あっという間に燃え尽きた。

 あんなに大事にしていたのに、手放す時はあっけなかった。


 白月妃の証である月長石ムーンストーンの腕輪が重い。腕輪を外そうとした時、ユーエンの優しい手が肩に回った。


「カズハ様」

 手巾で目元を拭かれて気が付いた。私の目から涙が零れている。

「あれ? 私……もう泣かないって決めたのに」

 止めようと思っても止まらない。溢れ続ける涙がユーエンの手巾を濡らしていく。


「まだ泣き足りないのでしょう。もっと泣いてもいいですよ」

「……ユーエン……」

 優しく微笑むユーエンの腕の中で、私は声を上げて泣き続けた。



 後宮に戻って十日も経たない内に、季節はすっかり冬になった。月宮の屋根は独特の形状で雪が積もらない。その替わりに島は雪に覆われている。池が全く凍っていないのは、緑に濁る何かのせいだと思う。


「おはようございます。カズハ様、少しだけ外に出てみませんか?」

 ユーエンはすっかり侍女に戻ってしまった。私が寝ている間に玄関から船着き場までの雪かきを終えたらしく、ほんのり頬が赤くて色っぽい。化粧をしなくなっても、色気があってうらやましい。


「雪かき手伝うって言ってるのに、今日も終わっちゃったの?」

 自分で深衣に着替えた後、ユーエンが用意してくれた綿入りの上着と毛皮の帽子を被る。靴も内側に毛皮が貼られていて温かい。


「カズハ様に雪かきなんてさせられません」

 ユーエンは薄い上着を羽織っただけで、大丈夫ですと笑う。


「もー。寒そうよ」

 ユーエンの腕に抱き着いて温めながら、相手が男だと気が付く。でも、寒そうだし離れるのもどうかとぐるぐると迷う。


 村の友人シャオハに会ってから、昔の癖が頻繁にでるようになった。元の世界でも女友達に抱き着いて、抱き着き返されるのは当たり前、手を繋いで歩くのも普通だった。ユーエンは女ではないと思いつつも、何故か止められない。


 小さな庭は白い雪に埋もれている。

「ここです」

 ユーエンが指し示した場所は、雪が少し掘られて穴が空いていた。


「あ! 春待華!」

 雪の中、透けるような白いキキョウに似た花が咲いていた。今まで見たことの無かった美しさに言葉を忘れる。


 春待華は摘まれて束ねられた姿より、こうして地面にしっかり根付いて咲いている方が綺麗だ。


「今まで咲いて無かったのに……もしかして?」

「はい。旅に出る前に種を撒きました」

「ありがとう!」

 嬉しくて首に抱き着いてから気が付いた。ユーエンは男だ。


 キスができそうな距離に顔が赤くなるのは止められない。ユーエンはにこにこと笑っていて、優しく背中に回る腕は温かい。


「……ホント、美人よねー」

 ドキドキするのはユーエンが美人だから。私は無理矢理納得する。


「花を摘みますか?」

「ううん。咲いている方が綺麗だもの」

 首に掛けた腕を解くと背中の腕も離れた。何故か少し名残惜しい。


「体が冷えますよ。戻りましょうか」

 微笑むユーエンは、やっぱり美人だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る