第42話 皇帝の血

 帰りの道中、地方貴族の屋敷や首長の家に招待されることが多くなった。後宮から出て奇跡を起こしている青月妃の噂は国中へ広がり、時には馬車の隊列に向かって、道端で叩頭する人も現れる。


 今日の宿は地方貴族の屋敷。貴族と言っても官位はそれ程高くなく、さほど裕福とは思えない。貴族といえば宴に参加する着飾った男たちしか見ていないので意外に感じる。


「当主のロウケイです」

 出迎えてくれたのは金髪に青い瞳の十五歳の男の子。父と長男が流行り病で死に、自分が当主になったと微笑む。


「領地に奇跡を起こして下さりありがとうございます。あの日は奇跡の知らせを受け取ったのが遅くお礼を言うこともできませんでした」

「あ、いいんです。行きは急いでいたので泊まる時間もなかったですし」

 少年が叩頭しようとするのを止めて、笑顔で返す。


 一度に三十名以上の客をもてなす為か、使用人だけでなく、近隣の住民と思われる人たちも慌ただしい。恐縮するばかりのロウケイに案内される中、金髪に青い瞳の十歳くらいの男の子が駆け寄ってきた。


「貴女が青月妃様ですか! 奇跡を起こして下さりありがとうございます! これで皆が無事に冬を越すことができます!」

 私に握手を求めようとした男の子をロウケイが素早く抱き止めた。

「リキョウ、青月妃様に失礼ですよ。まずは名を名乗りなさい。……行儀作法が身に付いておらず、申し訳ありません。どうか失礼をお許し下さい」


 十五歳の当主の物静かな振る舞いに感嘆しつつ、しっかりとした挨拶をする男の子が八歳と聞いて驚く。自分が八歳の時、私はこんな挨拶をできただろうか。


「綺麗な青い蝶ですね」

 リキョウが私の髪に挿した簪を見て笑う。

「リキョウ! 失礼ですよ!」

「……確認を致しますが、ロウケイ殿、貴方はこの簪が何色に見えますか?」

 ずっと微笑みを浮かべて黙っていたセイランが口を開いた。金茶色の瞳は鋭く、真剣な表情。


「あの……青色に見えますが、それが何か?」

「ご自分たちの出自について、何か聞いておられますか?」

「……いいえ」

 ロウケイが不安な表情を見せ、リキョウを護るように背中に隠す。


「御母堂はどこにおられますか?」

 セイランの尋問のような質問は続き、兄弟たちの表情が困惑で硬くなっていく。

「セイラン! 何なの? セイランの方が失礼よ?」

「カズハ様、これは重要なことです。……カズハ様も私も、この簪は紫色にしか見えない。ユーエンもでしょう?」

「はい」

 セイランは近くにいた護衛の兵士たちと、出迎えに出ていた使用人たちにも確認した。


「……私には青にしか見えません」

「怖がらなくてもいいのよ。大丈夫。私が味方になるから」

 怯えるロウケイとリキョウの手を握る。当主と言えども震える手はまだ子供。


 寝込んでいるという母親に会いたいと、セイランはさらに失礼な要求をした。

「何が聞きたいの? どうしてもっていうのなら、私が聞いてくる」

 具合の悪い時、異性に顔を見られたくはないだろう。

「……このお二人の出自を」

 セイランの金茶色の瞳が期待に満ち溢れている。理由が全く思いつかない私は、ユーエンと一緒に首をかしげるしかできなかった。 



 母親の寝室は、屋敷の奥にあった。廊下の窓には雨戸がしっかりと降ろされ、日中だというのに魔法灯がぼんやりと辺りを照らしている。


「母上、青月妃様がいらっしゃいました」

 そっとロウケイが扉を開く。先回りしていた使用人が知らせたのか、顔を青くした母親が寝台で半身を起こしていた。青みがかった銀髪に水色の瞳。兄弟とは異なる色彩だから、二人は父親から色を受け継いだのだろう。


「大変申し訳ございません。病の為、立つこともままならず」

 深く頭を下げる姿は弱々しい。そして私には黒いホコリのような影が体を包んでいるのが見えていた。部屋のあちこちにも黒い影が蠢いている。


「ごめんなさい!」

 迷わず駆け寄って浄化の力で黒いホコリを払う。二、三度手で払うと黒いホコリは床へと落ちて消えていく。

「窓を開けて! 日の光を入れたいの」

 母親を抱きしめながら叫ぶと、真っ先に動いたのは被り布をしたユーエンだった。雨戸が開き、日光が黒いホコリを焼いていく。


「病気の時は暗くて静かな場所にいたくなるものだけど、日光に当たるのも必要よ。暗いのは夜だけでいいのよ」

 黒いホコリはきっと皆には見えていない。私はもっともらしい言葉を紡ぐ。


 窓を開くと、冷やりとした秋の爽やかな風が部屋を抜けていく。残った黒いホコリも風に乗って出て行ってしまうと母親の顔色があきらかに良くなり、体が軽くなったと表情も明るくなった。


「青月妃様、ありがとうございます」

 母親を抱きしめていた腕を解いて兄弟に譲り、私は寝台の枕元に用意された椅子に座る。

「セ……宰相が、ロウケイとリキョウの出自を聞きたいって言ってるの」

 私が質問すると、母親の表情が変わった。

「いつかこの日が来るのではないかと恐れておりました」

 背筋を伸ばした母親はセイランの同席を求め、語り出した。


 ――昔、領内一の美人と言われた女性が侍女として王宮へと召し上げられた。そこで皇帝に手を付けられたものの、月妃になることもできず、他の侍女たちに虐げられて逃げ戻って来た。

 失意の底に沈む女性を見初めたこの家の当主が結婚し、そのお腹にいた子供を自分の子として育てて血を繋いできたと言う。


「ロウケイとリキョウは、皇帝の男系の血を受け継いでいるってこと?」

「はい」

 母親の水色の瞳は静謐でありながら、どこか覚悟のような強い光を宿している。


「皇帝の血を継ぐ男子は〝華蝶の簪〟の力を青い光として捉えます。この簪が青く見える者は次代の皇帝になる資格がある」

 セイランはずっと皇帝の男系の血を引く者を探していたと説明する。


「現皇帝リョウメイ様には皇子がおられない。皇子がお生まれになるまでになるかもしれませんが、どちらかお一人皇子として王宮へお入り下さい」


「ちょっと! そんなこと勝手に決めていいの? リョウメイに確認しないと!」

「血を繋ぎ、国を存続させるという点で、皇帝陛下個人の意思は認められません。帝都にいる貴族たちが持っていた皇帝の血は消え去りました。将来に備える為に予備が必要なのです」

「予備って……」

 私にはセイランの言葉が全く理解できないのに、兄弟も母親も頷く。


「後日、迎えに参ります。それまでにどちらが王宮に入るか決めておいて下さい」

 そう言って微笑むセイランは、どこか安堵した雰囲気を漂わせていた。



 屋敷内の大広間で歓迎の宴が開かれた。王宮とは比べ物にならないけれど、心づくしの料理が並んで、兵士たちも村の味が懐かしいと喜んでいた。


 深夜になる前に宴も終わり、私たちは客室へと案内された。ユーエンが淹れてくれたお茶を飲みながら、セイランと話す。

「皇帝って大変っていうか、人権ってないのね」

「皇帝とは地上世界を統べよと天命を受けた者ですからね。神の代理ですから人ではないのです」

「それにしても……ん?」


 扉を叩く小さな音とリキョウだと名乗る声が聞こえて、ユーエンが警戒しながら扉を開けた。

「あ、あの。青月妃様、僕が帝都に行きます」

「兄上とお話されましたか?」

 セイランの声が優しい。いいえとリキョウが答える。兄には当主の役目があり、自分しかいないと言う。


「王宮には本がいっぱいあるのでしょう? 学者様もいらっしゃると聞きました。僕はいろんなことを学びたいんです」

 リキョウの青い瞳が涙で潤んでいる。自分なりに理由を作って、自分を納得させようとしているのだと思う。八歳で家族と別れるのは寂しいだろう。握りしめた小さな手が震えていて、そっと手を包むとリキョウの目から涙が零れた。


「王宮の書物庫には一生かかっても読み切れない程の本があります。学者も国中だけでなく、外国からでも呼ぶことができますよ」

 春になったら迎えに来ますと、セイランはこれまで見たこともない優しい笑顔でリキョウと約束していた。

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