第38話 たちこめる瘴気

「……誰も餌をやらなくなったら、この金魚たちどうなるの?」

「池の奥には藻がありますし、羽虫もいますから大丈夫だと思います」

 ユーエンの実家にも池があって、餌を与えたこともないのに魚が沢山いたと笑う。最近、ユーエンは自分のことを話してくれるようになった。


 馬車の中から黄色い光が見えたと思ったら、セイランが扉を開けて出てきた。

「……あー、綺麗にお掃除してしまったんですね。私も参加したかった」

 建物が消え去った草原を見回しながら溜息を吐く美形の姿は、無駄に神々しい。


「レイシンが王宮に戻った? 何故です?」

 人食い金魚の力を奪って池に戻したことよりも、セイランが興味を持ったのは急に帰ってしまったレイシンのことだった。


「理由は何も聞いてないの」

「ふーん。失恋でもしましたか」

「は?」

「嘘ですよ。……少し試したいことがあったのですが、また次の機会にしましょう」


 唐突に私は思いついた。もしかしたらレイシンはユーエンが好きだったのだろうか。

「レイシンって、ユーエンが男だったからショックだったのかな?」

「カズハ様、私は男に興味はありません!」

 悲鳴のような声を上げて私の両手を握りしめるユーエンは、やっぱり美人だった。 



 あちこちの町や村を回る中、〝華蝶の簪〟とセイランが瘴気が発生していると言う。

「瘴気って何?」

「流行り病を呼ぶ悪い空気のことです」

「え? 収束したんじゃなかったの?」

 前回の流行り病が収束したのは、先代皇帝が自分の寿命と引き換えの儀式をしたからだとセイランが告白した。


「自分が助からないなら、残った命と引き換えにと考えたようです」

 止められなかったとぽつりと呟くセイランは寂し気な瞳をしている。


「また流行り病が発生するってこと?」

「おそらく。通常、瘴気は地脈の力に封じられて表には出てきません。地脈の力が弱まったのが理由でしょう」


 この世界では流行り病が始まる前に瘴気が発生する。瘴気が町や村を覆い、人々が流行り病に倒れる。

「これは推測でしかありませんが、貴女がいた村が全員助かったのは、貴女の浄化の力を核にして、清掃され清浄に整えられた場が瘴気を寄せ付けない結界を形作っていたのだと思います」


 セイランの言葉で私の思いは複雑。清潔にすることを心がけたのは間違いではなかったのは良いけれど、私がいたから防げたということは、私がいなくなった村は同じ対策では流行り病を防げないということ。


「二度と流行り病を発生させないように、地脈を整えればいいのですよ。貴女が地脈を安定させた後、皇帝が祭祀をきちんと行えば、村も国も護れます」

「そうね。そうして護るのが皇帝の務めね」

 村とリョウメイに対する色々な思いが心の中で渦巻く。王宮に戻ったセイランにリョウメイのことを聞いてみたけれど、相変わらず宴を続けているらしい。


 何故、贅沢な宴を続けているのか。宴で貴族たちの心を掴もうと思っているのかもしれない。でも、そんな単純なことで掌握できるものじゃないっていうのは、政治なんてよくわからない私にもわかる。


 基礎的な教育の重要性。元の世界では考えた事が無かった。リョウメイの考えが足りないとは思いたくない。何か理由があるのだと信じたい。


 他の人のことは考えても仕方ない。私は私が出来る最善を尽くすだけだと前を向くことにした。



 セイランにいろいろと教えてもらう中で、私にも空気の淀みのような違和感がわかるようになってきた。瘴気が濃い場所では、はちみつの中を歩いているような気持ち悪さがある。


「うわー。何か濃い方に向かってるー」

 馬車の窓を開けて顔を出すと薄暗い空気が見えるような気がして背筋が寒くなる。ふるりと震えると、そっとユーエンが上着を肩に掛けてくれた。


『ここも弱り切っておるな』

 気のせいか、何度も大地の癒しの儀式を繰り返すうちに簪の覇気が無くなっていくような気がする。

「大丈夫?」

『ああ。蓄えた力は有限なのでな。休めば元に戻るので心配するな』

 自分の心配をするなんて不思議な女だと簪が笑う。


「こう、一気にばーんと浄化とかできないの?」

『無茶を言うな。ある程度の力を持つ数名の命を犠牲にすればできるかもしれぬが、失敗する可能性も高い』

「あー、そんな賭けは嫌だわ。何でもコツコツ地道に積み上げるのが確実な道ってことね」


 秋は深まり、風が冷たくなっていく。

「地脈点は、あと幾つあるの?」

『残りは五……いや、六箇所だ』

「あ、それだけなんだ。終わりが見えてきたじゃない」

 雪が深くなる冬になったら、野営は難しくなると考えていた所。


「早く終わらせましょ」

 リョウメイに会いたいけれど後宮には戻りたくないという複雑な気持ちを抱えながら、私は笑顔を作った。

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