第35話 注文の多い風呂
和やかに見える夕食の席で、私は完全に緊張していた。私たちは部屋で、兵士たちは大広間で宴会をしていて、窓の外から賑やかな声や音楽が聞こえてくる。
円卓に並べられた宮廷料理にも劣らない美しい料理の数々は、ユーエンによって丁寧に検査され、何の薬も入っていないことを確認されていても箸がすすまない。
「三人とも、先程からどうしたんですか?」
セイランに聞かれても答えるのは迷う。私だけでなくユーエンとレイシンの行動もぎこちない。
「何でもないわよ。あははははは」
完全に棒読み状態になるのは仕方ないと思う。夜が近づくにつれ、昼間に聞いた声が脳内で鮮明にリピート再生されている。
襲われるかもしれない。女性たちに。
何とも言えない危機感がひしひしと押し寄せてくる。いつも通りにユーエンが私と一緒に寝てくれて、扉の外でレイシンが不寝番をしてくれると約束しているけれど、部屋の中に秘密の通路や仕掛けがあったら終わり。
食後のお茶を飲んでいると、扉が叩かれて美女が現れた。
「大浴場にご案内致します」
温泉かけ流しと聞いて心が揺らぐ。後宮を出てからお湯につかるお風呂には入っていない。シャワーや体を拭くだけでは汚れも疲れも取れない気がしていた。
「あ、あの、他の人は?」
「お客様はまだいらっしゃいません」
「いえ、その、従業員の方は?」
「従業員はお客様と浴場でご一緒することはございません」
「ぜ、絶対いない?」
「はい」
微笑む美女に嘘はないと思う。
「い、行きますっ!」
「カズハ様っ!?」
ユーエンが悲鳴を上げ、レイシンが鼻を手で押える。
「私は自分の部屋に戻ります」
そう言ってお茶を飲むセイランを残して、私はユーエンとレイシンと大浴場へと向かった。
飴色の磨かれた廊下を歩いて、大浴場にたどり着いた。入り口が二つの扉に分かれている。
「こちらが男性の入り口、こちらが女性の入り口です」
「じゃ、レイシン、後でねー」
混浴じゃなくてほっとした。何かあったら呼んで下さいと言うレイシンと別れて扉を開く。
女性が案内はここまでですと微笑んで、廊下を戻って行った。
「設備とか説明しないんだ。ちょっと不親切じゃない?」
「そうですね。不思議な気がします」
扉の中は脱衣室。竹で作られた棚に、籠が置かれている。
「何か普通よね」
着替えを置いて服を脱ぎ、白っぽい布で出来た湯着に袖を通す。この国でお風呂に入る時には、筒袖の浴衣のような湯着を着る。白月宮でも用意されていたけど、面倒なので着ることはなかった。
「よし、出来た。そっち見ても大丈夫?」
「はい。大丈夫です」
「一緒にお風呂に入るって初めてよね」
何気ない一言でユーエンの顔が赤くなる。
「あ、あの、これは護衛で……」
「わかってる。大丈夫よ」
ユーエンが私の髪を軽く結い上げた。独特な形のピン一本で留めるのだから凄い技術。念のため、ビニールポーチに扇を入れてきた。〝華蝶の簪〟も中に入れて浴場への扉を開いた。
強烈な薬草の匂いと白い湯気が立ち込める浴場は、黒い石で出来た広い浴槽。
「凄い豪華ー」
浴槽からはお湯が溢れ続けて、床をお湯が流れている。
「ん?」
湯気の中、浴槽に浸かる人影が見える。レイシンだ。
「は? 結局混浴?」
「そのようですね」
苦笑するユーエンと一緒に、浴槽へ近づく。この国のお風呂はお湯に入る前に体を洗ったりせず、お湯の中で体を洗う。いつもは無視して体を洗ってから入るけれど、二人の前で全裸になることはできないので、そのままお湯につかる。ビニールポーチは壁の段差に置く。
「はー。やっぱお湯につかると疲れが取れる気がするー」
薬草の匂いが気になるものの、何か薬効のある入浴剤なのだろう。
ざぶざぶと音を立てながら、レイシンが近づいてきた。白い夜着が濡れて、精悍な筋肉の存在が透けて見える。
「ちょ。何で近づいてくるのよ!」
一応胸を腕で隠しておく。全部透けてはいないけど、念の為。
「近くでなければ護衛になりません」
「何かキャラ変わってない? 飲んでるの?」
妙に明るい笑顔のレイシンに問いかけても、飲んでいないと返ってくる。三年ぶりのお風呂と聞いて内心引く。この国の人間はお湯に浸からないし、そもそも体を定期的に洗う習慣が無い。土や泥で汚れたらシャワーで落とすだけ。村では産湯の後、一度もお湯に浸かったことのない人も結構いた。そんな人々にお風呂に入ってもらうのは大変だったと思い出す。
「ま、いいか」
肩まで浸かって力を抜いて、お湯を両手ですくう。
「何か不思議な匂いよねー。何ていうか出汁みたい」
落ち着いて匂いを嗅ぐと、脂のない中華風香草スープ。そんな匂いでも味見をしようとは思わない。
「初めて嗅ぐ……いえ、厨房で嗅いだことのある匂いのようですね」
ユーエンも出汁の匂いと思ったようで、透明なお湯を手ですくっている。
「煮込まれてるみたいね」
少し熱めのお湯が気持ちいい。くだらない会話を交わし、湯船から出たり入ったりを繰り返す。
「えーっと、部屋にも浴室あったわよね?」
広い浴室を確認しても、石けん類もなければ蛇口もシャワーもない。体にはハーブの匂いが染みついている気がするのに、普通のお湯が無いから流せない。
「はい。ありました。戻って体を洗いましょう」
ユーエンも体についた匂いが気になるらしい。
お風呂を十分堪能した後、大問題が発生した。脱衣場への扉が開かない。レイシンも試してみたけどびくともしない。男性の脱衣場の扉も開かない。
「あちらに扉がありますが……」
『出口』と札が下がった扉を開くと白い廊下が続いていた。
「行くしかないみたいね」
タオルもないので、床を盛大に濡らしながら進むと、廊下の真ん中に置かれた机の上、籠に入った新しい湯着。
『こちらの湯着にお着替え下さい』
壁に貼られた紙の指示に従って、湯着を替える。本来は、お風呂から上がった後、湯着を何度も着替えて体の水を吸い取るらしい。
「もしかして、白月宮の更衣場所に沢山湯着が置いてあるのって、そういう理由?」
いつも使わないので全然気が付かなかった。新しい湯着が水を吸って、二度三度と替えるとすっきりした。
また白い廊下を歩くと、扉が現れた。その横には籠が置かれた机。
『武器や装飾品は、こちらに入れて下さい』
貼り紙の指示は無視することにすると三人の意見は一致。
「なーんか、元の世界の童話を思い出すのよねー」
武器を手放せ。貼り紙の指示で、記憶から浮かび上がってきた。
「何だかなー。次にバターが置かれてたら、笑うしかないわよ」
扉の先は白い三十畳くらいの部屋。壁には大きな鏡、中央に置かれた茶色い壺には貼り紙。
『お肌に良い油です。体に塗って下さい』
「何これ……ごま油?」
透明な油からは、あきらかにごまの匂いがする。
「お肌に良いって言われても……匂いが気になるからパス! ……何してんの?」
上半身裸になったレイシンがせっせと体に油を塗り込んでいる。
「どこの世界も筋肉バカって存在するのねっ!」
油でてっかてかになったレイシンが、鏡の前で鍛えられた筋肉の存在を示すように上半身裸でポーズを取っている。筋肉を誇示したくなるのは、万国共通らしい。
「ちょ。レイシン、ごま臭いから近づかないで!」
「臭いですか? いい匂いですよ。ほら」
「無駄にポーズを取らない! 行くわよ!」
次の扉を開けると、部屋の真ん中に大きな白い壺が置かれていた。
『これが最期です。体によくすり込んで下さい。お疲れさまでした』
壺の中の白い粉末はしっとりとしていて……粗塩にしか見えない。舐めて確認する気にはなれない。
「最後じゃなくて『最期』? ……ちょ! やっぱ私たち食べられちゃうんじゃない!」
私の悲鳴を聞いたレイシンとユーエンが顔を赤くする。何を想像したのかぴんと来た。
「ちがーう! マジで食べるってことよ!」
振り向くと入って来た扉は消えている。外に出るには、目の前の扉を開くしかない。
「……この先、人間を食べる化け物がいるわよ。これまでの指示は、美味しく食べる為の下ごしらえ」
私が呟くと、ユーエンとレイシンの表情が引き締まった。ポーチから出した簪を髪に挿し、扇を手にする。ユーエンとレイシンは手ぶら。
「……開けますよ」
鋭い表情のユーエンが扉を素早く開いた。
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