第34話 赤い宿屋
ひと月余りを皆と過ごしていて気が付いたのは、背が高い女性は本当に不美人と思われているということだった。
侍女の被り物をしていないから綺麗な顔を晒しているというのに、兵士たちはユーエンを気にも留めない。一方で私と目が合うと顔を赤くするのは、よからぬ想像をしているからだろう。
町や村を歩いていても、誰も全く気にも留めないのだから不思議。元の世界だったら、絶対に振り向くレベルの綺麗な顔なのに。
「ううううう。何かしら、物凄く理不尽だと思うの」
今日のユーエンも美人。私と色違いの服を着ているのに色っぽさがにじみ出ている。
「……あれ? ユーエン、化粧はしないの?」
白粉も頬紅も、淡い口紅すら引いていない。
「化粧をすると顔を洗うのが大変なので」
貴重な水が大量に必要だからとユーエンが笑う。
「じゃ、私も化粧無しでいいかな」
「ダメです。化粧は女性の肌を守る為でもあります。私は男ですから問題ありませんが」
「えー」
私が口を尖らせて抗議する間に、さっと軽い化粧が施される。
「今日も可愛らしいですよ。カズハ様」
翡翠の瞳を細めるユーエンの笑顔が男に見えて、どきりと胸が高鳴った。
その日は割と大きめの村の宿屋に泊まることになった。いつもと違って、昼過ぎという早い時間に宿屋に入る。村の宿屋というと素朴すぎる建物が多かったのに、この宿屋は帝都の宿屋に引けを取らない木で出来ている。屋根には帝都と変わらない赤っぽい瓦。全体的に赤い建物は、周囲の素朴な家と対称的。
従業員は赤系のひらひらとした儒裙を着用している美女ばかり。そわそわと落ち着かない兵士の方を見ないようにして、部屋へと案内を受けた。
先導する女性は、砂色の髪を軽く結い上げた青い瞳の美女。しゃなりしゃなりと腰を揺らすような歩き方が艶っぽい。衣装の裾がふわふわと揺れる光景が綺麗。
室内は木で整えられていて、窓には美しいデザインの格子に透ける薄絹が張られた障子。高そうな美術品が並ぶ中、金魚の絵が描かれた屏風が目を引く。
部屋の設備の説明を受けた後、お茶を淹れるという申し出をセイランが断って退出を促す。閉じた扉に耳を寄せて外をレイシンが伺い、少ししてセイランに向かって頷いた。
「監視はないようですね」
レイシンの行動は、扉の外に誰かがいないかどうか確かめる為だったらしい。念のためと異物検査をされた花茶を飲みながら、部屋を見回す。
「何か今まで泊まった宿屋と全然雰囲気が違うわねー」
「娼館ですから」
セイランにさらりと告げられた言葉にむせると、一緒に花茶を飲んでいたレイシンとユーエンが目を泳がせる。
「は? 何でそんな所に泊まるわけ?」
「兵にも娯楽が必要ですよ」
これまでも順番に休みを取らせていたらしい。私とユーエンが泊まるこの部屋が最上級の客室。他には大小の個室が五十以上あって、一度に全員が休むことができる。
「……個室が五十って……女の人が五十人以上いるってこと?」
女性がたくさんいるという雰囲気はない。人の声もしないし、妙に静か。
「一晩ずっとということではないでしょうからね」
いろいろと想像するのはやめた。娼婦は元の世界で最古の職業だと思い出した。
「庭の散歩していいかしら」
昼過ぎなので、まだ明るい。窓の外の美しく整えられた庭が興味を引く。レイシンとユーエンが護衛につくという条件で外に出ることを許可された。
秋だというのに、庭は初夏の雰囲気に包まれている。あきらかに人工物ではない。瑞々しい緑色は、今まで見てきた秋の風景とは明らかに違う。
「え? これって、夏にしか見たこと無い花よ」
「そうですね。こちらの花もです」
レイシンも首を捻る。
「よく手入れされてるってことかな?」
あれやこれやとレイシンと話しながら小道を歩いていると、池が広がっていた。後宮を思い出してちくりと心が痛む。この旅が終わればまたあの池に建つ白月宮に戻らなければと思うと心が重くなる。
後宮の池と違って水は澄んでいて、綺麗な金魚が泳いでいる。ひらひらと揺れる尾びれは、従業員の美女の衣装を連想させた。
「あ、そうか。金魚をイメージしてるのか」
今更気が付くなんて遅い。自分で突っ込みを入れながら、池の中を覗き込むと沢山の金魚が寄って来た。
「ごめんなさい。餌とか持ってないの」
美しい金魚たちが興奮するように尾びれで水面を叩いている。何か期待をさせてしまった。金魚相手といえども申し訳ない。もう少し見ていたいと思いつつも、手ぶらの罪悪感でそそくさと池から離れる。
「後程、店の者に餌を分けてもらえないか聞いて参ります」
「あ、いいのいいの。餌やりの時間もあるだろうし、量も決まってるだろうし。素人が横から手を出してもいいことないもの」
美しく手入れされた庭の金魚なら、きっと管理もきちんとしているだろう。
唐突に女性の笑い声が後ろから聞こえた。振り向こうとした私の腰を抱きかかえるようにして、レイシンが茂みへと身を隠す。
一瞬のことで驚き過ぎて声を上げることもできなかった。ついてきたユーエンが珍しく不機嫌な表情を浮かべている。
茂みに入ってからレイシンとユーエンの気配が消えた。両隣にいるのに、人がいる感じがしない。不思議な感覚。
歩いてきたのは白い布が入った大きな籠を抱えた二人の女性だった。褪せた赤色の服は素朴な物で、案内してくれた美女とは雰囲気が異なっている。
「ねぇ、今日泊まる女の子見たぁ?」
「見た見た。可愛い子だったわ。小っちゃくて柔らかそうで、とーっても美味しそうよね。楽しみだわ」
たった一言でドン引き。背筋がぞくりとする。隣で隠れるレイシンの顔が赤くなり、口を引き結ぶユーエンの耳も赤い。何を想像しているのかは深く追求してはいけないと思う。
「侍女の方は不細工よね。どうする?」
「そうねぇ。何だか硬そうだし、不味そうよねぇ。でも、まぁ、女だからぁ、美味しいかもしれないわよぉ」
「侍女の味を試してみるのはゲテモノ好きの大姉様にお譲りするとして、女の子は争奪戦になりそうよね」
「んー。あの侍女、大姉様の好みともずれてそうなのよねぇ。やっぱ女の子よぉ。柔らかな肉の味を想像するだけで、胸が期待に高鳴るわぁ」
艶っぽいというより粘着質に聞こえる声に、盛大に怯む。
二人の女性の声が通り過ぎて行き、私は長い息を吐いて茂みから抜け出た。続いて出てきたユーエンとレイシンの顔が赤いし、二人の挙動が落ち着かない。
「今までで、最大の身の危険を感じるんだけど……」
背筋が本気で寒い。後宮での危機よりもリアルに感じる。
「カズハ様、私が必ずお護りしますっ!」
私の手を握りしめながらユーエンが叫び、レイシンが目を泳がせながら頷いていた。
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