第31話 青月妃の扇

 五箇所の地脈を癒した後、馬車は次の目的地へと向かっている。青々とした小麦畑が広がる光景がどこか物悲しい。


 突然鋭い笛が鳴り響き、馬車の周囲が緊張感に包まれた。ユーエンとセイランの表情も鋭く引き締まる。

「何?」

「馬車に近づく者がいるという合図です」

 窓の鎧戸を降ろしたユーエンが深衣の下の剣に片手を掛けている。


 息を殺して備えていると短い笛の音が独特のリズムで数回響き、ゆっくりと馬車が止まった。

「味方のようですね」

 セイランの安堵の声と同時に、馬車の戸を叩く音。


「兵隊長が合流しました」

 外から告げられた言葉に頭を傾げる。レイシンが何をしに来たのだろう。

「……わかりました。今、出ます」

 そう言いながらもセイランの指先には黄色い魔力光が微かに煌めく。警戒しているのだろう。


 馬車の扉が開かれ、明るい外の日差しに目を細める。鋭い眼差しのユーエンに護られながら外に出るとレイシンが跪いていた。


「うっわ!」

 驚き過ぎて女らしくない悲鳴を上げてしまった。セイランが噴き出し、周囲にいた兵士たちも笑いをこらえている。物凄く恥ずかしくて、眉尻を下げて苦笑するユーエンの服の裾を掴んでしまう。


「何かありましたか、レイシン」

 笑いで震える声でセイランが問う。

「お届け物です」

 脇に抱えていた箱をレイシンが捧げるように差し出す。黒に近い紺色で塗られた細長い箱は青い紐で結ばれていて、セイランの表情が一変した。


「……持ち出しの許可が下りるとは思っていませんでした」

「皇帝陛下直々の命により許可されました」


 セイランが開けた箱の中には、美しい花の透かし彫りが施された少し大きめの木の扇。白檀とは異なるジャスミンのような香りがふわりと漂う。


「初代青月妃が愛用していた扇です。カズハ様、貴女も戦いたいとおっしゃっていたでしょう? 素人がいきなり剣を振り回すのは難しいですが、これなら持ち歩けますしね」

 セイランに両手で手渡された扇は軽い。


「これが武器? 物凄く軽いんだけど」

 あまりにも頼りない重量感に、正直な感想が口から飛び出た。中華街で売っている白檀の扇よりも軽いかもしれない。


「軽い?」

 レイシンが驚きの声を上げた。

「すっごい軽いわよ。ほら」

 指先でつまんで軽く振ると、レイシンとセイランが息を飲む。


「……私には、剣よりも重く感じました」

「私もですよ。やはり青月妃の為の扇ということでしょうか」


「そうなの? ユーエン、どう?」

 隣にいるユーエンに手渡すと、重いという返事と共に戻って来た。


「後で扇での戦い方をお教えいたしましょう」

 セイランが優雅に微笑む顔が胡散臭い。扇でどうやって戦うのか疑問に思いながらも私は頷いた。



 道中、町の食堂で、少し遅めのお昼ご飯を食べることになった。流石に全員は無理なので二件のお店に分けての食事。


 いつも別室で食べるかと聞かれるけれど、手間を掛けるのが申し訳なくて一緒の部屋で食べる。テーブルだけは分けられていて、ユーエンとセイランと私という組み合わせが多い。今はメンバーにレイシンが加わっている。


 大皿に盛られたシュウマイや水餃子、揚げた魚や肉、茹でられた野菜と麺類が並ぶ。村では見たこともなかった豪華な料理は、この町では普通と聞いて驚く。帝都との格差は仕方ないと思っていたけれど、町と村との格差もかなり酷い。


 農産物を作る村人がこういったメニューを作ることがないのは、調味料の問題というよりも、知る機会がないということなのかもしれない。私が住んでいた村から町に買い出しに行くことは年に数回程度で、町の食堂に入ったことはなかった。


「え? レイシンもしばらく同行するの? 仕事は? ……あ、セイラン、それ取って」

 セイランが私の皿に揚げ肉団子を入れる姿を見てレイシンが目を丸くしている。


「茶麺を頂けますか」

 セイランの求めに応じて、大皿から小さな椀に茶を練り込んだ麺を取り分ける。セイランも箸はあまり使わず匙をよく使う。匙で麺を大皿から取るのは結構大変なので、箸が使える私が密かに役立っている。ついでにユーエンにも茶麺を取り分ける。


「どしたの?」

「……いえ、その……青月妃様が料理の取り分けをするとは、意外なお姿と……」

「そう? 食べてる時くらい上下関係なしでいいでしょ? めんどくさいし」

 私よりも年上ばかりなのに、自分が一番上の立場というのは物凄く居たたまれない。だからわざと砕けた感じで皆には接している。最初は引いていた兵士たちも、今では普通に接してくれるようになった。


「あ、それから、カズハでいいわよ」

 青月妃と呼ばれると胸がちくりと痛む。私が真の青月妃という自負はあっても、実際の立場は白月妃。


「そ、それは……」

 戸惑うレイシンの表情が可愛く見える。短く切られた金茶色の髪、緑の瞳。よくよく見れば、ほんの少しリョウメイに似ているかもしれない。


 レイシンは休暇を申請してここに来たと説明する。ここ数年、ほとんど休みを取っていなかったので認められたらしい。


「まぁ、護衛が増えていいでしょう」

 セイランが同行することを認め、レイシンが旅の仲間に加わった。

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