第32話 静かな夜

 赤と緑の月が夜空に輝いている。何故か地上に降り注ぐのは小さな白い月の光だけ。不思議な光景だといつも思う。


 夕食後の宿屋の裏庭で、セイランに扇の扱い方を習う私をユーエンとレイシンが見守っている。


「体内に光が巡っていると想像して下さい」

 セイランが扇での戦闘の基本だと言うのは、まるで舞うような動作。扇を右手に軽く持ち、水が流れるような動きを要求される。


 セイランの武器が鉄で出来た扇だと初めて知った。花の透かし彫りがされた優美な鉄扇は、信じられないくらいに重い。それを片手で普通の扇のように扱うのだから凄いと思う。


 自分の命くらいは護れないと貴族の後ろ盾のない雇われ宰相はやっていられないとセイランは笑う。きっと、いつも命を狙われているのだろう。私も自分の命くらいは護れるようになりたい。


 重心は下に。それでいて足さばきは軽やかに。矛盾するとも思える指示を実現させるために必死でイメージしながら動く。


 〝華蝶の簪〟なら良いアドバイスをくれそうな気がするけど、レイシンが近くにいるからか沈黙している。簪が人語を使うことは、ユーエンとセイラン、私の三人だけの秘密。


「ユーエンよりも優雅さが足りませんね、カズハ様」

 扇で口元を隠して笑うセイランは意地が悪くてムカつく。でも、何故かカッコよくてどきりとする。


「うるさいわね。黙って見てなさいよ」

 子供の頃、毎年家族と一緒に近所の神社で見ていた巫女神楽を思い出しながら動作を追う。小さな頃は友達と真似をして遊んでいた。


 巫女さんたちが持っていたのは五色のリボンのような布が付けられた神楽鈴。記憶をたどると体が覚えていた。


 体の中を白い光が巡り、閉じた扇に光が灯る。ゆっくりと手を伸ばし、地面を滑るように足を進める。鈴を鳴らすように空を叩くと、鈴の音色さえ聞こえるように思い出す。


 もう子供の頃には戻れないし、元の世界にも戻れない。私はこの世界で、リョウメイを支えて共に生きていくと決めている。


 リョウメイに会いたい。この国の地脈を癒し、奇跡を起こし続ければ左大臣も私の存在を認めるしかなくなるだろう。便利な道具だと思われてもいい。皇帝の為に必要な人間だと認識されるだけでもいい。


 懐かしい記憶の中で蘇る鈴の音は美しく澄んでいる。リョウメイと、そしてユーエンにも聞かせたい。私が育った国の素晴らしい文化を見てもらいたい。


 近所の神社に伝わっていた巫女神楽は、大きく円を描くように回り、そして逆に回って元の位置に戻る。一連の舞を終え、深く息を吐く。吸い込む空気が清々しい。


「あれ? どうしたの?」

 セイランもユーエンもレイシンも呆然という表情で私を見つめていた。


「……今の舞は何なのですか?」

「何って、近所の神社で見た神楽舞よ。正確な動きじゃないけど」

 子供の遊びだし、ちゃんと習った訳ではないから覚えていない所は適当に補った。


「何か変だった?」

「今の舞で場が浄化されました。結界が出来たと言っていい程です。……これは、習うより慣れろということでしょうか。いろいろ試してみましょう」

 金茶色の瞳を煌めかせるセイランが、増々胡散臭い笑顔を見せた。



「絶対、明日筋肉痛よー!」

 レバーを手動で上下に何度も動かすとお湯が出てくるという、とても不便なシャワーで体を流した後、薄い布が敷かれた寝台に倒れ込む。セイランのシゴキともいえるレッスンは、深夜になってユーエンが止めるまで続いた。


「ううっ。柔らかいベッドがー、ふかふかのお布団が懐かしいー」

 木で出来た寝台に薄い布。これがこの国の標準。後宮以外で分厚い布団なんて見たことがない。


「あれ? もう上がってきたの? もっとゆっくりしてもいいって言っても、シャワーじゃ無理かー」

 私と入れ替わりにシャワー室へ入ったユーエンは、白い夜着を着ていた。軽く結い上げた赤銅色の髪が、滴るような色気を醸し出している。


「少し体をほぐしましょう。このままでは明日動けなくなりますよ」

 寝台に倒れた私の脚をユーエンが掴んで揉む。

「あいたたたた。ううっ。痛いけど気持ちいいー」

 少し強めの力で脚や腕を揉まれる。ユーエンの手もみがあまりにも気持ち良くてされるがまま。


「……背中もよろしいですか?」

「あ、よろしくー」

 背中や首、肩や腰の辺りを揉まれると、さらに気持ちいい。全身がほぐれてくると、急激に眠くなってきた。


「このまま、眠って頂いてもかまいませんよ」

「ん……あ、絶対一緒に寝てね。朝起きたら床で寝てるとか嫌よ」

 そう言っておかないと、ユーエンはあるじと同じ寝台では眠れないと床で寝てしまう。宿屋の部屋には、基本的に寝台が一つしか用意されていない。


「わかりました。後で一緒に眠らせていただきます」

 苦笑するユーエンに向かって微笑んで、私は眠りに落ちた。

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