第30話 覚醒した血
闇に目が慣れてくると黒い異形がはっきりと見える。闇を凝縮したような漆黒の塊の中、血色の赤い口が笑っている。
「ユーエン、行くぞ!」
セイランの武器は美しい透かし模様が施された鉄扇だ。
「はい!」
黒い魔物たちの動きは鈍い。間を走り抜けながら剣で斬ると血を噴き出し、奇妙な叫び声を上げる。手ごたえがない。そう思ったのは間違いではなかった。
「……効かない?」
剣で斬った肉が、ずるずると音を立てて元に戻って行く。赤い血を流しながらも魔物は元に戻る。
「こちらもだ」
二人の周囲を完全に包囲された。背中合わせになって魔物から繰り出される無数の手を斬り捨てる。
このままでは二人とも死ぬ。それだけは絶対に避けなければ、カズハを護れない。
カズハだけでも護りたい。
強く願った瞬間、唐突に雷鳴が頭上で轟いた。
私は理解した。それだけだ。理由など何もない。ただ、理解した。
血が沸騰するような高揚感。力を欲するなら我を呼べと叫ぶ者が天にいる。
「来い!」
何の魔法陣も必要ない召喚。ただ、心の底から力を求めて呼ぶだけだ。
轟音を響かせながら雲一つない空から雷光と共に降りてきたのは剣神。これまで感じたことのない力が体に広がり馴染んでいく。
「ユーエン!?」
珍しく動揺するセイランに心配するなと微笑む。受け止めた力が体の隅々にまで伝わり、手にした双剣が赤い光を放って伸びた。この剣すらも私の体の一部。
自分の血の中に剣神に愛された女の血が眠っている。女と同じ赤銅色の髪を持つ私との邂逅に喜び震える剣神の力が、そのまま剣の力になる。
高揚感に笑みが零れる。護る者がいる私が負ける訳がない。剣神の心が私の心と重なり、溢れる力は無限と感じる。
「いくぞ!」
走り込んで魔物を斬る。赤い光を放つ剣で斬られた魔物は再生できない。黒い煙を上げながら腐っていく。
神の力が堕ちた神々を斬り捨てていく。そう、彼らは魔物ではなく堕ちた神々だ。祀られることなく、人々に忘れ去られて怒り、人を恨み、世界を恨む存在に成り果てた。
神に魔の力である魔法が効く訳がない。神に対抗できるのは、神の力でしかありえない。堕ちた神々は剣神の力を欲し、私の血を求める。強大な力を取り込み、この世界を壊すのが目的だ。
『人はすぐに我々を忘れてしまう。受けた恩恵を忘れ、それを当たり前のことのように、自分の力のように過信する』
『人は個ではない。慈しみ護ってきた我々との繋がりを忘れて、すぐに個になってしまう。我々は常に近くに存在している』
堕ちた神々の想いが大気を震わせる。神々は人を愛していた。愛していたからこそ、忘れ去られていくことを恐れ、怒りに身を沈めた。
「人を愛しているのに、貴方たちは人の命を奪うのか! この世界を滅ぼすのか! 私の父母は神々を祀り崇めていた! 心から貴方たちを慕う者も殺す理由はあるのか!」
私の叫びに、黒い影が怯んだ。
大気に満ちていた怒りが薄らいでいく。それでも私への攻撃の手は止まない。鋭い爪を持った黒い手が剣を奪おうと伸び、私の脚を捕らえようとうごめく。
剣に触れた手は浄化されて蒸発し、斬られた体は崩れ去っていく。圧倒的な剣神の力に何の技巧も無くただ向かって来る姿は、まるで神々の自死のように思えた。
堕ちた神々は自らの消滅を望んでいるのかもしれない。世界と共に自滅を願っているのかもしれない。
「だからと言って、我々を道連れにするな!」
怒りが力に変わっていく。カズハと、カズハが生きるこの世界を護りたい。
長い間斬り続け、最後の一柱を斬ると同時に夜が明けた。日の光が浄化するように、すべての影を消していく。私の体の傷も血も、跡かたもなく消えていく。
「……想像以上の力だな」
血塗れのセイランが苦笑しながら近づいてきた。私に古い血の力が眠っていることは知っていたと言う。
「お前の力を理解したか?」
「はい」
私はあの黒い影が魔物ではなく、堕ちた神であることをセイランに説明した。
「……魔物ではなかったのか。魔法が効かない訳だ」
セイランが溜息を吐く。これまでセイランが神々を退けることに成功していたのは、神力を持っていた皇帝の護符の力だった。
「いつかまた、遭遇するかもしれないな」
「不吉なことをおっしゃらないで下さい」
私は剣神に別れを告げ、元に戻った双剣を隠してカズハが眠る馬車へと戻った。
馬車の中、短い仮眠の中で甘い果実のような匂いと温かさに包まれていた。
「おはよう、ユーエン」
「!」
目を開くと至近距離でカズハが微笑んでいた。その細い腕が私を抱きしめている。
「寒そうだったから。大丈夫?」
「……少し寒いです」
本当は温かい。というより熱い。腹の底から湧き上がる衝動を抑え込む。
「風邪? 今日はここで休む?」
「休む訳には参りません。……もう少しだけ温めて頂けますか」
願うとさらに抱きしめられた。完全に無防備なカズハに苦笑してしまう。
「恥ずかしいから目を閉じて」
自分は美人じゃないからとカズハは言うが、可愛くて仕方ない。
「とても可愛らしいですよ」
「ありがと」
いつもなら、皇帝もそう言ってくれていたと苦笑するカズハが、ただ微笑む。
この旅に出てから皇帝の名前がカズハの口から出てこない。白月宮では毎日皇帝の名前を口にして思い出を語り、皇帝への想いを口にしていた。
変化のない狭い鳥かごの中では、皇帝のことを考えるしかなかったということだろうか。広い世界に出れば、他のことに目を向けられる。旅を続ければ、忘れることもできるのではないかと期待に胸が膨らむ。
このまま、カズハを連れ去りたい。
甘い匂いと温かさに包まれながら、私は目を閉じた。
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