第29話 追われる者
大地を癒すカズハの姿は神々しく美しい。
けれども微笑みながら想うのは皇帝のことだろうかと考えるだけで心が苦しい。
この国はすべてが限界だった。
新皇帝リョウメイを初めて見た時、先の皇帝とは違う頼りなさに不安を覚え、滅びの日が近いと感じていた。この世界で国が滅べば、後には何も残らない。人々が積み重ねてきた想いも歴史もすべて無になる。
〝華蝶の簪〟が言葉を発し、大地を癒す力がカズハにあると聞いても驚きはなかった。簪の伝説は父母から教えられていたし、異世界人は不思議な力を持っている者が多いとセイランに聞いていた。宴の帰り道で襲撃された時、剣を掲げるカズハは天から降り立った女神のように感じていた。
あの時助かった者たちは、敵味方関わらず、真の青月妃であるカズハに崇拝の念を抱いている。この旅に護衛として付き添っている者の多くは、あの光景を見ていた。カズハが白月妃と呼ばれることに疑問を持ち、皇帝と左大臣に強い不満を感じている。
セイランが特に強い不満を持つ兵士を選んで王宮から引き離したのは、おそらくは内乱を防ぐ為だろう。セイランはこの国の存続を第一の目的としている。「皇帝の命を受けて後宮から出た青月妃が国を救う」という物語を作ろうとしているのも、あの皇帝の下で国を存続させていく為だ。
地脈に接続できる場所の周囲は寂れた村や町が殆どだ。宿屋があれば泊まるが、野宿になることも多い。
馬車の中とはいえ、野宿はカズハに相当な負担を与えている。寝付けないというので少しだけ睡眠薬を飲ませた。
初秋の夜は寒い。床に敷物を厚く敷き、私の上衣をカズハの体に掛けると小さな体はすっぽりと衣の中に覆われる。
「……ユーエン、眠らないの?」
「カズハ様が眠ったら眠ります。おやすみなさい」
柔らかな頬を撫でると目を細めて擦り寄ってくる。私が男だという緊張感がないのだろう。
私が女装していることについて、カズハは何も理由を聞かない。無防備に接してくれるのは嬉しいが、男として全く意識されていないことに奇妙な焦りがある。
「……カズハ……」
そっと名前を呼ぶ。
「ん……ユーエン……なぁに?……」
とろりと眠りに落ちていく表情は艶めかしい。また口づけたいと思いながらも理由がない。気軽に抱き着いてくるカズハを抱きしめ返すことはできても、口づけはしてくれないから返せない。
カズハが完全に眠りについたことを確認してから馬車の外に出る。外から鍵を掛けた扉にセイランの護符を貼って護りを固めた。私が白月宮を空ける時にも、必ずこの護符を使って私以外の誰も侵入できないように結界を作っている。
これでは、まるで監禁だと思う。それでもカズハを誰にも渡したくない。夫である皇帝にも渡さない。そう思った途端に自分の思考が異常をきたしていることに気が付いた。カズハは皇帝の妻で、自分はカズハの侍女でしかない。
溜息を吐いた時、目の前の馬車からセイランが出てきた。二台の馬車のうち、昼は三人で一台に乗り、夜は一台をカズハと私、片方はセイランが使用している。兵士たちは周囲で野営だ。
「気が付いたか、ユーエン」
セイランの声は緊張を孕んでいる。何かあるのかと神経を研ぎ澄ました時、囲まれていることを理解した。
血の気が引いて行く。これは人間ではない。あの時と同じ――魔物だ。
セイランはすでに結界を張っていた。兵士たちは魔法のおかげで眠りについており、結界の外では夜の闇の中を騒がしく歩き回る音が聞こえる。
「数が多いな。私一人では難しい。……戦えるか?」
「はい」
戦うしかない。自分が恐怖に囚われれば、カズハが……食べられてしまう。
衣に隠した双剣を取り出し手にすると、セイランが剣に魔法を掛けた。剣に黄色の光が宿る。日々の隠れた鍛錬は欠かしてはいないが、実戦に緊張が走る。
「王宮から離れすぎたな。護符程度ではもう防げないか。……連中の狙いはお前だ、ユーエン」
「まさか、あの時も?」
「そうだ。お前の血が魔物を呼びよせる」
地面が崩れるような衝撃だった。村が壊滅したのは、自分のせいだったのか。
今から十二年前、私が十歳の時に生まれ育った村が、突然無数の魔物に襲われた。父母は私を戸棚に押し込み、絶対に動かないようにと命令して戸を閉めた。
暗闇の中で聞こえる悲鳴と怒号、そして謎の音。恐怖に震えながらも私は隙間から外を覗いた。
私が目にしたのは、母が黒い影の塊のような魔物に頭から食べられている光景だった。その横では別の魔物が父の脚を食べている。謎の音は、魔物が人の血肉を咀嚼する音だった。
助けなければと思いながらも、恐怖のあまりに動けなかった。ただ、父母が食べられていく光景を見ているしかなかった。
父と母を食べ終えた魔物たちは、しばらく周囲を探した後、私が隠れている戸棚には近づくこともなく去って行った。
翌朝、戸棚の中で気を失っている私をセイランが見つけて助けてくれた。私は両親が死ぬ光景を見た衝撃で自分の意思を失っており、カズハに会うまでは誰かに命令されなければ何もできない無気力状態に置かれていた。
「あの時お前が助かったのは、両親が残した命がけの護符のおかげだ」
村の神を代々祀っていた両親は戸棚に護符を貼り、同時に救助を求める狼煙を上げてくれていた。
父母が、村人が殺された理由が自分にある。崩れ落ちそうな心を無理矢理支える。今は思い出に立ち止まる時間は無い。自分の為にカズハが殺されることは絶対に避けたい。
結界を背にして双剣を構える。絶対にこの中には侵入させない。カズハには触れさせないと心に誓う。
黒くうごめく影たちは増え続け、その闇の濃さを深めていた。
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