第28話 大地の癒し
途中の町で一泊して、早朝に宿を出た。セイランはもう少しゆっくりしてもいいと言うけれど、私の心は急いている。一刻も早くこの国を救って、リョウメイに近づきたい。
昼すぎになって周囲の景色が緑一色になった。一面の緑は
村では畑に毎日水を撒いていた。私の提案で畑の近くまで水路を掘ってからは、川から水を運ぶことはなくなり、水を撒く作業が楽になった。
誰でも思いつくだろうと思うこと、私が常識と思っていたことは、きちんとした教育の上に成り立っているものだった。
「ここは……嘆願書によると実が全く入っていないらしい」
手帳を確認しながら、セイランが教えてくれた。この一帯は国一番の米の産地。少し離れた場所にある小麦の産地でも同じことが起きている。米と小麦、どちらも国民の主食で毎日の生活に欠かせない。
『これは酷いな。土地の力が弱り切っておる』
「そのようですね。どこが地脈点か教えて頂けますか?」
『ふむ。この先に丘があるだろう。その中央だ』
「わかりました。ありがとうございます」
窓の外を眺めながら〝華蝶の簪〟とセイランが話しているのをぼんやりと聞いていて、はたと気が付いた。
「あれ? セイランも声が聞こえるの?」
「はい」
『こやつは魔術師だ。我らの声を聞くのは得意だろうて』
魔術師。本当にそんな存在がいるなんて知らなかった。村にいる時には異世界なのに魔法とは無縁な世界だと思い込んでいた。
「何ができるの?」
「その期待の眼差しで見るのは止めて下さい。奇術師でも見世物師でもありませんよ」
「なーんだ。つまらなーい」
セイランが心底嫌そうな顔をしても美形のままで残念。もっと情けない顔をして欲しい。
この世界には、無から有を生み出す奇跡の力である神力と、精霊や魔法を行使する力である魔力の二つの力がある。
初代皇帝は強大な神力を持ち、初代青月妃と共にこの
「この土地に神はいませんでした。神がいないので、初代の皇帝が
神を祀り先祖を祀って、この国は八百年続いてきた。ところが数代前の皇帝から、神を祀る儀式が滞るようになり、ついには忘れ去られた儀式もあった。
招聘しておきながら見向きもしない皇帝たちに、神が愛想を尽かし始めていた。
「様々な意味で、この国は限界を迎えているのです。皇帝や貴族は神と民を忘れて贅沢をするのみ。民も神や先祖への信仰を忘れている。先代の皇帝はそのことを憂い、初代皇帝の巻物から古代の祭祀を復活し、この国が作った歴史ではない過去の正確な記録を集めていました」
その手伝いを乞われたのが先代皇帝の唯一の親友、魔術師セイランだった。
古い儀式や歴史を復活させることは無駄だと反対する貴族たちを抑える為に宰相になって十年。
道半ばで流行り病に倒れた先代の皇帝の遺志を継ぎ、宰相を続けている。淡々と話すセイランの金茶色の瞳は、少し寂し気な影を落としていた。
馬車で行けるぎりぎりの場所で降りたものの、簪が示した丘までかなりの距離があった。抱き上げるか背負って私を運ぶと主張するユーエンの申し出を断って、替わりに手を繋いで黙々と歩く。
草が枯れ、土が露出した丘の周囲は、青々とした緑の稲が風に吹かれて波立っている。稲の間で作業している人々は近くの村の農民で、実が入っていなくても諦めきれずに雑草を抜いていると言う。収穫が望めないとわかっていても、仕事をする姿は寂しい。
丘の上でセイランが自分の髪を数本引き抜いた。白緑色の絹糸のようで美しく、美形は髪まで完璧なのかと内心うらやましい。
「カズハ様、ここで立って動かないで下さい」
棒立ちの私の周りを、セイランが呪文を唱えながら歩く。時折ふわりと髪が落とされて土に模様が描かれる。
「これって、魔法陣?」
私を中心に、複雑な紋様が描かれた。凄い。本物の魔法。
「そうです。踏まないで下さいね」
セイランが懐から出した護符には複雑な文字が描かれている。
「うわ! 中華っぽい! キョンシーとか呼び出すの?」
大昔の映画で見たことがある黄色の紙に赤い文字。期待に胸が膨らむ。中華風の衣装や建物は沢山見てきたのに、道士やキョンシーはまだ見ていない。
「キョンシーが存在していたのは初代皇帝ウージェンの時代までです」
死体が消えてしまうこの世界で、塩や油漬けにして無理矢理保存した死体を操って使役する魔道士がいた、と魔法陣を歩いて踏みながらセイランが語る。踏まれた魔法陣の一部が黄色く光る。
「初代の皇帝と青月妃が魔導士たちを制圧し、死体を使うことを止めさせました」
未熟な術で制御が外れたキョンシーが村や町を襲うこともあり、人々は夜間に外出することができなかったらしい。
「初代の二人って凄い人たちだったのね」
「……どこの国でも、初代は神話のような始まりですよ」
セイランが苦笑する。
「え? 創作なの?」
「そうかもしれないし、そうでないかもしれない。ただ、初代皇帝の神力は今でも王宮を包んでいます。後宮でもその力は毎日使っているでしょう?」
華舟のことかと思いついた。確かに不思議な力。
「本人以外、誰も確認しようがないのです。多くの人が信じる物語が真実になる。それはいつの時代も変わりません」
セイランが立ち止まり、私と三メートル程離れて向かい合う。
護符を挟んだ指が空気を斬るように複雑に動く。気合の一声と同時にセイランが持つ護符が白い炎を上げて消え去り、踏んだ魔法陣にゆらゆらと白い炎が立ち上って、私を囲む。
「地脈と接続しました。ここからはカズハ様の力が頼りです」
「はい」
セイランの金茶色の目が真剣さを帯びているのを見て、私は気持ちを引き締めた。失敗はできない。深く息を吸って静かに吐いて心を整える。おへそに力を静かに集めていくイメージで繰り返す。この呼吸法はユーエンが教えてくれた。
簪を抜くと手の中で剣に変化した。紫水晶の柄にほのかに透ける両刃の刀身。中華街で見た演武で使っていた剣に似ている。
地面に深く刺し、柄に両手を乗せる。目を閉じると乾いた大地を感じることができた。飢える大地の波動が剣を伝わり、私の力を寄越せと要求している。
波が何度も押し寄せて、私の心を叩く。心を開けと要求されても、開いてはいけないと簪に言われている。大地の声に心を開くと、私の全てが奪われてしまう。
自然と笑みが零れる。
私の心はリョウメイの物。だから誰にも渡さない。
手のひらから、少しずつ力を注ぐと刀身が白い光で輝く。私の力が伝わると、大地の飢えが急速に癒されていくのを感じる。
人々が自然の恵みに感謝することが力になると大地が囁く。いただきますと食事の前に言葉にするだけでも、大気に振動が伝わり大地を潤す。この国の人々は、そういった感謝の言葉すら忘れてしまったと大地が嘆く。
心の中、様々な光景が浮かんでは消える。神がいなかった頃、この国は岩と土だけの荒れ果てた土地だった。神を招聘した初代皇帝と初代青月妃は、自ら鍬を持って土地を耕した。
初代皇帝は金髪に青い瞳の男性、初代青月妃は黒髪黒目。まるでリョウメイと私のようだと思う。
今では広大な王宮も、最初は池の傍に建つ、つつましやかな家だった。集まった人々が皇帝の為にと笑顔で増築を繰り返していく。王宮の周囲は、笑顔の絶えない場所だった。その笑顔は国中へと広がる。
人々が皇帝と妃を真似て土地を耕すと荒れていた大地は緑に覆われ、豊かな実りを手にすることができた。
初代皇帝と初代青月妃の幸せな一生は、私の理想に重なっていく。大好きな人と手を取り合って、支え合いたい。
大地が力の受け取りを止めた。溢れた白い光が魔法陣を中心にして地面に広がり、駆け抜けていく光景が目を閉じているのに見える。
「カズハ様、もう大丈夫です」
目を開くとユーエンが微笑んでいる。添えられた手が温かくて、どきりと胸が高鳴った。
「ユーエン……」
鼓動が早くなる理由がわからない。……きっと優しく微笑む翡翠の瞳が綺麗だから。
剣が簪に戻り、ユーエンが私の髪に挿してくれた。
「……素晴らしい力ですね」
丘の周囲の光景は一変していた。青々としていた稲が、黄金色に変化して実りをつけて頭を垂れている。農作業をしていた農民たちが喜びの叫びを上げ、同行していた兵士たちが呆然とその光景を見つめていて、中には静かに涙を流している者もいる。
「良かった」
自分が誰かの役に立っていることが嬉しくて、笑みが零れる。私がこの世界に呼ばれた理由がここにある。
実った稲穂の中身を確認した後、セイランは安堵の息を吐いた。幻影でもなく偽物でもなく、本物だと笑う。
喜ぶ村人たちが駆け寄ってきて囲まれそうになったところを、兵士たちが輪になって阻止してくれた。笑顔の人々に武器を使うことをためらったのか、兵士はもみくちゃにされている。
「み、皆さんっ! お、お、お、落ち着いて下さいっ!」
私の悲鳴で、その場にいた人々の動きが止まり、どこからか笑い声が上がる。いつの間にか村人たちは兵士と肩を抱き合って喜びあっていた。
ぜひ村に寄って欲しいと懇願する人々に、次の村も待っているからと別れを告げて、私たちはその場を後にした。
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