第26話 帝都の視察
「青月妃様、何故外にいらっしゃるのです?」
立ち塞がったのは兵隊長のレイシンだった。金茶色の短髪に緑の瞳、二メートル近い立派な体で、町の商人のような暗緑色の服を着ている。
「カズハ様、大声を出さないと約束して下さい」
口をふさいだユーエンの問いに頷いて答える。どういうことなのかさっぱりわからない。
「……貴女には……暗殺命令が出ています。剣の使い手とはいえ侍女一人の供だけで外に出てはいけません」
レイシンの言葉で背筋が寒くなった。誰からの命令なのかは、ここで聞いてはいけないのだろう。
「私……リョウメイに会いたいの……一目だけでもいい」
すぐ近くにリョウメイがいる。走り出したいのに、ユーエンがしっかりと片腕で抱きしめているので動けない。
「私、月妃なのに、どうして会えないの?」
零れそうな涙を堪える。私は皇帝の妃で、リョウメイの妻なのに。
レイシンとユーエンに沈黙が降りた。二人とも気まずい表情で視線を逸らす。
「……リョウメイ様は、イーミン様とお忍びで帝都の視察を行っておられます」
血の気が引いた。リョウメイの隣にいた女性はイーミンだったのか。
明るい通りの方からリョウメイの声が聞こえてきた。大柄のレイシンの体に遮られてリョウメイの姿は見えない。
「ごめん、イーミン、近すぎるよ。ちょっと離れてくれないかな」
「申し訳ありません。初めて見る物ばかりで、楽しくて」
可愛らしい女性の声は、イーミンのものだろうか。
「そうか、楽しいなら良かったよ」
「あの……リョウメイ様、手を引いていただけませんか?」
「ごめん。僕は町を案内するだけだ。そういう約束だっただろ?」
二人の会話は町の雑音に混ざって、通り過ぎていく。
リョウメイはイーミンと距離を取っていることがわかった。リョウメイは全く変わっていなかった。嬉しくて涙が零れる。
「……カズハ様、今日は帰りましょうか」
何故か寂しげな笑みを浮かべるユーエンの提案に頷いて、手渡された手巾で涙を拭う。
「私もお供します。少々お時間をください」
レイシンは近くにいた男に駆け寄り、何かを耳打ちして戻って来た。
「青月妃様、差し出がましいことを申しますが、帝都でその青い簪は目立ちます。懐に入れた方が良い」
帝都の人間は〝華蝶の簪〟を知っているから、平民でも正体を見抜いてしまうかもしれないとレイシンが歩きながら説明する。寂しいと思いながらも簪を抜いて肩から下げる鞄に入れた。
「……イーミン様の父は左大臣というのはご存知でしょうか。左大臣は今、皇帝よりも権力を握っています。後宮の侍女のような弱い立場の者は逆らえない」
夜にリョウメイが他の月宮に行こうとしても水色の華舟しか用意されず、つまりは青月宮へしか案内しないらしい。
「昔のように女官制度が続いていれば気骨のある者もいたでしょうが、今の侍従制度では簡単に潰されてしまいます」
妃を五人と定める前には、女性にも官位が皇帝から授けられ、ある程度の発言力もあった。そんな女官制度が廃止される原因になったのは、当時の女官長が先帝の子を身籠って国母になろうと画策したからだった。
「リョウメイが、白月宮に来るのはいつになるでしょうか」
「…………イーミン様が身籠られた後、もしくは現在の権力の所在が変わった時……でしょう」
ためらいながらもレイシンは正直に話してくれた。
「権力の……」
「貴女はそれ以上口にしてはいけません。廃される口実になりかねない」
左大臣の間諜がどこに潜んでいるかわからないから、気を付けるようにとレイシンは忠告する。
船着き場まで私の護衛を務めたレイシンは、外に出るなら自分を呼ぶようにとユーエンに告げて王宮へと戻って行った。
白月宮に戻った後、私はユーエンに詰め寄った。
「私を殺そうとしてるのは誰?」
「……表向きは左大臣、ということになっています」
ユーエンの歯切れが悪い。
「左大臣じゃないの?」
「……青月妃イーミン様です」
「え?」
言葉が出てこなかった。宴で見る姿は楚々としていて、時折見せる勝ち誇った笑顔はムカつくけど、誰かを殺せなんて命令しているようには見えない。
「宰相も当初は左大臣による命令だと思っていましたが違っていました。……その……」
「何? はっきり言って!」
「……王宮内の権力争いの中で勝ち抜いてきた左大臣にとって、異世界人とはいえ平民の女性一人を恐れる必要はありません。後宮内に入ってしまえば隔離しておけます。〝華蝶の簪〟を持っていたとしても皇帝陛下の乗る華舟を操作する侍女に指示しておけば、寵愛を受ける機会もないですから」
そう言われればそうだ。百戦錬磨の左大臣が、私のような小娘一人を恐れることはないだろう。
「……ユーエン……もしかして、いつも私を護ってるの?」
ユーエンは後宮内でも深衣の中に細い短剣を隠し持っている。いつも出掛ける先を告げて行くのに、時々何も言わずに姿を消して、少しすると戻ってくる。
そういえば猫の事件の後、嫌がらせが全くなくなった。
「……カズハ様、何があっても私が必ず護りますから安心して下さい」
答えになっていないけど、私の言葉を肯定しているようなもの。私が気が付かなかっただけで後宮内でも常に狙われていたのだろう。
「全然知らなかった……ごめんなさい……ありがとう」
ユーエンは侍女であり、護衛でもあったのか。私がリョウメイを待ちながら悲劇のヒロインぶっている間、ユーエンは私を護ってくれていた。
待っているだけなんて、私の柄じゃなかった。この異世界に来てから私自身の力不足ばかりを感じて、ずっと下を向いていたと気が付いた。
美しい笑顔のユーエンの骨ばった手を握る。私を支えてくれるのも護ってくれるのも侍女と護衛という仕事なのかもしれない。仕事なら尚更、私は知らなかったではいたくない。
「……私もユーエンと一緒に戦いたいの。だから隠さずに全部教えて」
リョウメイはイーミンと距離を取っていた。酒宴を開いて遊んでいるのも、何か理由があるのだろう。リョウメイもきっと戦っている。
この国を救って、リョウメイの隣に立つ。
ユーエンが護衛なんていう危ない仕事をしなくても済むように私自身も強くなる。
私は心に強く誓いを立てた。
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