第25話 街角での遭遇

 ユーエンに宰相との面会要請をしてもらうと、翌朝すぐに時間が設定された。月妃が私事で後宮を出てもいいのかという疑問には、皇帝が規則を撤廃したので可能だという返事があった。


 久々の宰相室には手紙や竹簡、木簡の山が積まれていた。各地の村長や町長から今年の農産物が不作の可能性が高いので税の免除か減額を望むという嘆願書が多い。


「ご相談とは後宮から出たいということですか? 離縁するなら婚姻の腕輪を皇帝に直接お返し下さい。皇帝が受け取れば離縁が成立し、身籠っていないことを確認して、後宮から出る事ができます」

 忙しく手を動かすセイランが早口でまくし立てる。


「違います。必ず戻りますから外出許可を下さい。それから……これを売って旅費のたしにしたいのですが」

 衣類や装飾品、日常品等々、物はふんだんに王宮から支給されるのに、現金が一切手元にないのは不安。ユーエンは自分が出すからお金の心配はしなくていいと言ってくれたけれど全額を頼ることはできない。


 私は大事に持っていたスマートフォンと携帯用の太陽光電池パネルを机の上に置いて宰相の方へと押し出した。


「貴女の持ち物を売る必要はありません」

 ちらりと見た宰相は、私の手元へ押し返しながら書類に目を戻す。

「外に出さないってこと? 私が本当の青月妃だと知っているでしょう? 国が滅ぶわよ」

 馬鹿にされているような気がしてむかついたので敬語を使うのをやめた。


「小娘が私を脅しますか」

 書類に朱墨で指示を書き込みながら、セイランが苦笑する。小娘と呼ばれたことにかちんときた。


「私は多くの人が死ぬのは見たくない。ただ、それだけよ」

「一体、何をするのですか?」

 私の言葉にセイランが手を止めた。


「ここ数代の皇帝の行いが、地脈の力を削いでいるそうよ。大地の実りが年々減っているのはそのせい。もう限界なんですって。だから弱った地脈に、私の治癒の力を注ぎ込んで補強するの」

 異世界の地中には、実りや国の運命を左右する地脈が存在するのだと〝華蝶の簪〟は言っている。皇帝が正しい祭祀を行うことで地脈に力を注ぎ、大地の力を安定させることが必要なのに、六代前から重要な祭祀を省略しているらしい。


「では、私も同行致します」

「職務放棄?」

「他の者に職務代行をお願いしますよ。私一人が抜けたとしても、政治は回って行きます」

 もともと雇われ宰相だと、セイランは笑う。


 ユーエンが淹れてくれたお茶を私が飲む間に、机に広げられた地図を見ながらセイランとユーエンが巡回の計画を立てていく。


 この国の地図を初めてみた。あまり大きくはない国だと思う。リョウメイと私が住む村は国の中央にある帝都から遠い国境近くにあって、隣国との境には高い岩山が連なっている。登るのは難しいから誰も近づかないと村で言われていた山が、天然の防御壁になって外国人の訪れを妨げていたのだろう。


「さて。急いで準備をしましょう。それから……これを渡しておきましょう」

 セイランに手渡された小さな布袋の中には、金貨や銀貨が入っていた。

「お金? 何の理由もなく受け取れないに決まってるじゃない」


「これからしっかり働いてもらいますからね。手付金ですよ」

 セイランの意地悪な笑顔は少しカッコよくて、どきりと胸が高鳴る。


「何か嫌な予感がする……」

「それは間違っていませんね」

 セイランの微笑みに若干の不安を抱えながら、私は旅行の準備に入った。



 白月宮にある物は旅行に向いていない繊細な高級品ばかり。渡されたお金を少し持って、ユーエンと私は町に買い物に出ることにした。


「うわー。懐かしー」

 町の雑踏の騒々しさは宴の時とは全然違う。人が生活している息遣いのようなものが感じられてほっとする。


 ユーエンが私に用意してくれたのは、落ち着いたピンク色の袖なしの丈の長い上着、生成色の長袖シャツ、ゆったりとしたワイン色のズボン。すべて綿で出来ていて帝都の庶民女性の服らしい。ユーエンは深い緑の上着、生成のシャツに暗緑色のズボンで、私と色違い。


「双子コーデって言うには、ユーエンが美人過ぎて顔の格差があり過ぎよね」

「カズハ様は可愛らしくて、私は大好きですよ」

 静かに微笑むユーエンはどこまでも優しい。なんとなく手を繋いで歩く。


「外に出れるなんて思わなかったー」

 自由な空気が美味しい気がする。池のせいなのか後宮の空気は常に湿っているように思える。


「後で菓子屋にご案内します」 

 ユーエンがいつもお菓子を買ってきてくれるお店のことだろう。私の侍女になるまで、お菓子を買ったことはなかったと笑っている。


「セイランはお菓子とか食べないの?」

「あの方は御酒がお好みです。王宮の御酒は上品過ぎて合わないと言って、時々抜け出して酒場で飲んでいます」

「へー。全然想像できないから、ちょっと見てみてみたいかも」 

 この世界の酒場なんて見たことがない。あの上品な美形が庶民の店でお酒を飲んでいる光景が思い浮かばない。


 店を回って鞄や小物を買いそろえていく。買った物は王宮に届けるようにとユーエンが依頼していたおかげで、荷物は一切ない。


 服屋では少し嫌な経験をした。この世界では吊るしの既製服がないので、服は注文してから作られる。十日かかると言う店主に出来上がったら王宮へ届けて欲しいと告げると、明日届けますと急に態度が変わった。王宮で働く侍女だと思ったのか、是非、他の皆様にもお勧め下さいと平身低頭で不気味だった。


 お茶を淹れるという店主の申し出を断って服屋を出る。

「……何だろ。人の裏表って、目にすると心が重くなる気がする」

 ぽつりと呟いた私の言葉を聞いたユーエンが何故か悲し気な顔をする。


「ユーエン?」

「……誰でも裏表はありますよ。人の心は一つではありません。いつも見ている顔が本心を示しているとは限らない。仕事の為に作る顔もあります」

「それは……そうね。そうかも」

 さっきの店主も、商売の為に態度を変えただけかもしれない。私だって、人によって態度を変えている。お互い様だと考えると嫌な思いは軽くなる。


 ユーエンの優しい侍女の姿は仕事の為の顔なのだろうか。心にふと疑問がよぎる。

「私は侍女でなくなっても、カズハ様が好きですよ」

 翡翠色の瞳を細めて微笑むユーエンの言葉が嬉しくて頬が緩む。


「ありがと。私もユーエンが好きよ」

 そう口にしてから、胸がどきりと高鳴った。そうだ。ユーエンは男だった。私よりも美人だけど。戸惑う私の手を一瞬強く握ったユーエンは、行きましょうかと美しく微笑んだ。



 手を繋いだまま賑やかな大通りを歩いていると、向かっていた方から緊張感のある空気が漂ってきた。平民の服を着ているのに、立派な体格の男たちが一組の男女を護るように距離を取りながら歩いている。まるで私服警察官か要人警護官SPのようだと視線を動かすと、男女の顔がはっきりと見えた。


「え? リョウメイ?」

 見間違うはずがない。金髪に青い瞳。濃い青の上着に黒い袴のようなズボンは、先程から見かける裕福そうな男性の服装。


 その隣には、長い銀髪をポニーテールにして淡い水色の上下を着た美人が微笑んでいる。並んで歩く二人の間には拳二つ分くらい空いていて、何となくリョウメイと最初のデートのことを思い出した。


「リ……!?」 

「静かに」

 私が名前を呼ぼうとした時、ユーエンが纏う空気が一変した。翡翠の瞳が鋭い光を放っているようで怖い。私の口を手で押さえ片腕で抱き寄せながら、狭い道へと素早く入った。


 明るい大通りと違って、建物の間の狭い道は暗い。

 リョウメイがそこにいる。声を上げれば聞こえる距離なのに。


 もがくとユーエンの腕の力が強くなって苦しい。

 何が起きているのかわからない。緊張で心音が跳ね上がる。


 大通りから私たちを追いかけてきた一人の大男が、狭い道を塞ぐように姿を現した。

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