第18話 後宮の男の娘
ゆっくりとゆっくりと意識が浮上していく。温かい何かに包まれているのが心地いい。渋みのある柑橘系の匂いがほのかに漂う。
「んー」
頬をすり寄せると、温かいけど少し硬い。
目を開くと一面の肌色。平らな胸。視線をずらすと、細身でありながらしっかりとした腕の筋肉。そうか、夢かとぼんやり考える。
「ん? 何これ?」
下腹辺りに何か妙な感触が当たっている。何気なく手を伸ばして掴むと、目の前の肌色がびくりと震えた。手の中で確認するうちに正体を理解して血の気が引く。
恐る恐る顔を上げると、耳を赤くして口を引き結んで震えるユーエンと目が合う。
「こ……こ、こ、後宮の侍女って、あの、その、普通の女にはないものがあるのね……って、そんな訳ないでしょ! いやあああああ! 触っちゃったぁぁああ!」
私の絶叫が白月宮に響き渡った。
「ご、ごめんなさい。た、助けてくれてありがとう」
宴から帰って、どす黒い血を吐いたことは覚えている。その後は全く記憶にない。
素早く服を着たユーエンに、当たり前のように夜着を着せられても思考が停止していて抵抗できなかった。リョウメイの全裸を見たこともないのに、触ってしまったことがショックでたまらない。
「カズハ様が助かって本当に良かったです。寒くないですか?」
耳を赤くしながらも笑顔で言われると、先程の件は事故と思って忘れるしかないと思う。きっと私を温める為に一緒に寝ていたのだし、私自身には何も危害を加えられていない。
居間の棚に置いてある携帯焜炉でお湯を沸かすユーエンの背中を見つめる。赤銅色の長い髪は艶やかで、男だとわかっても女性用の深衣を着たユーエンは美人。男の
「白湯です。飲めますか?」
ユーエンの笑顔が本当に嬉しそうで、心配してくれていたのだと感じる。
「ありがとう。いただきます」
手渡された茶碗が温かい。まだ力が戻らなくて、手から滑り落ちかけた茶碗をユーエンが受け止めた。
ユーエンは片腕で優しく私の体を支え、片手で茶碗を持つ私の手を支える。嫌悪感はなくても男性の腕の中だと意識してしまって心臓が口から飛び出そうなくらいに高鳴る。
いつでもキスできそうな近すぎる距離は、これまで何度もあった。一緒の布団で眠ったこともあったけど、よく考えれば遠慮するユーエンを無理矢理誘ったのは私。ユーエンは常に距離を取ろうとしてくれていた。
ユーエンの顔を見ても、これまでと変わらない優しい笑顔。異性だと知って、どきどきしているのは、きっと私だけ。
口にした白湯が体を温めていく。もっと飲みたいと茶碗を勢いよく傾けようとした手をそっと止められた。
「体が驚いてしまいます。一口ずつにしましょう」
ゆっくりと一口を飲み込むと、また茶碗が口元に寄せられる。ユーエンの仕草は女性のようで美しい。
女装しているのは趣味なのか、それとも何か理由があるのか確認するのがためらわれる。新しい侍女を雇うお金はないし、何より命の恩人をクビにはできない。
確認すべきかどうなのか、ぐるぐると言葉を選んで迷いながら白湯を飲んでいると気分も落ち着いてきた。
「……何かすっきりした。毒が全部持って行ってくれたみたい」
毒と一緒に今まで溜め込んでいた心の
「粥を温めてきます」
微笑んで立ち上がったユーエンの袖を引く。
「私、毒入りご飯とか嫌だから、自分で作ることにしたいの。材料とかお願いできる?」
「え? はい。用意致します」
すぐには私も動けないので、温められた白粥を口にする。私が倒れてから四日が経っていると聞いて驚いた。体はだるくて重いけど普通に動くし、頭もすっきりしている。きっとユーエンが世話を焼いてくれたのだと思う。
「私が呑気に寝てる間に、ユーエンに迷惑かけちゃったのね。ごめんなさい」
飲食物には気を付けるように注意されていたのに、人懐っこい美人に騙された。
「黒月妃のリンシャオも同じお酒飲んでたけど、貴族だから毒に耐性があるとか、そういう理由?」
「……胸元に革袋を入れて、飲むふりをしながら流し込んでいたそうです」
想像の斜め上を行く話にむせた。平民の私が自分の上の位にいるのが許せなかったという理由を聞いて、くだらなさに溜息しか出てこない。
「優しい人だから、もしかしたら友達になれるかなって思ったんだけど……甘かったのね」
皇帝を巡って争う女同士ということを抜きにして親しくなれるかもしれないと、一緒に飲んでいる間は期待していた。
「リンシャオはどうなるの?」
「……顔の半分が突然爛れてしまったそうで、宿下がりされます」
「それって……」
〝華蝶の簪〟のせいだと一瞬考えたけれど、本当にそんな祟りのようなことが起きるとは思えない。
「おそらく簪の効力です」
頭の中で全力で否定した答えを、ユーエンが肯定してしまう。
「……やっぱ他の月妃と友達になるとか無理ってことかぁ……」
たった一人の皇帝を五人の女が奪い合う。各宮に分かれていて普段は顔も見ることがないから実感が薄薄くても、どろどろとした後宮の世界にいるのだと確認して溜息が出た。
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