第17話 腕の中の小鳥
カズハは三日経っても目覚めなかった。造血薬の副作用と知っていても落ち着かない。セイランに指示された通りに、頻繁にカズハの体を動かして血の流れを止めないように注意する。
口移しで薬を与え、髪と体を拭き清める間もカズハの笑顔を見たいと心が
眠るカズハも可愛らしいと思うが、笑うカズハは生き生きとしてもっと可愛らしい。落ち込む時と明るい時の差が激しいのは、狭い鳥かごのような後宮に慣れていないからだろう。
カズハは深夜にふらりと外に出てしまうことがある。夢見るような表情で歩く姿は美しいが見守るしかない自分が口惜しい。その行動は無意識のうちに行われているようで、突然目が覚めたような顔をして普段のカズハに戻る。眠っている間も心の奥底で皇帝を待ち望んでいるのだと思う。
皇帝が元婚約者のカズハの元に来ないことが不思議で仕方ない。婚姻式後、ずっと青月宮で夜を過ごしていると聞いた。通常、妃の月の障りの時期には皇帝が他の宮に行くものだが、青月妃イーミンが皇帝を完全に魅了しているからだと青月宮の侍女たちが誇らしげに話している。
他の月妃たちも待ち続けているが、青月妃が懐妊してから順番が来るだろうと割り切り、皇帝の金で贅沢の限りを尽くしている。白月宮は毎月の請求が少なすぎるので、もっと使えと言われているが、カズハは何も欲しがらない。
毎日、静かに待ち続けているカズハが哀れだと思う。皇帝を信じ皇帝との思い出を語る姿は、折れそうな心を無理矢理支えているように思えてならない。
いっそ、カズハの心が折れればいいと思うこともある。皇帝のことは忘れて、私と共に鳥かごで静かに暮らせばいい。もしも外に出たいのなら一緒に逃げてもいい。贅沢は望めないが、カズハを養う程度の蓄えもある。
後宮という閉じた世界であるにも関わらず〝華蝶の簪〟を奪おうとする者は後を絶たない。カズハに気が付かれないように処理してはいるが、様々な方法で近づいてくる。盗まれた簪が青い蝶になってカズハの髪に戻ったという話をセイランに広めてもらってはいるが、非常識過ぎて信じるのは難しいだろう。
〝華蝶の簪〟は皇帝だけが知っている詩を詠じなければ、贈った女から取り戻すことはできない。しかし現皇帝はその詩を受け継いでいない。皇帝だけが開くことができる巻物に書かれている可能性もあるが、現皇帝は書を読むことが苦手で巻物を手に取ろうともしない。
皇帝は左大臣一派に政治のすべてを任せきり、頻繁に宴を開いて金を湯水のように使っている。暗愚なふりをして皇帝を辞めようとでも思っているのかもしれないが、狡猾な左大臣が簡単に使える駒を手放すはずがない。
このまま打ち捨てておくのなら、簪を取り上げてカズハを自由にしてくれないかと願う自分がいる。カズハは頻繁に髪に挿した簪に手をあてる。そうやって訪れない皇帝のことを信じようとしているのだろう。
できることならカズハを連れ去りたい。この国を捨ててもいい。そう考えた所で、自分の思考の愚かさに気が付く。カズハは皇帝の妃だ。そしてカズハは皇帝を想っている。ただの侍女である自分が割り込むことはできない。
ようやくこれが嫉妬という感情であることに気が付いた。カズハの体は腕の中にあるのに、心は皇帝に向けられていることが口惜しい。心臓が絞られるような痛みを本当に感じる。
カズハの心が欲しい。これ程強く、何かを欲しいと願ったことはなかった。
どうすればカズハが私を見てくれるようになるのか、全くわからない。ただ静かに寄り添って護ることしか私にはできない。
強く抱きしめてもカズハは目覚めない。そっと口付けても何の反応も示さない。艶やかな黒髪を撫で、早く目覚めて欲しいと願うことしかできなかった。
深夜になり魔法陣からセイランが姿を見せた。執務が終わった直後だろう。疲労に効くという花茶を淹れて、円卓に茶器を用意した。
寝台には夜着に包まれたカズハが眠っている。静かに掛け布をめくり、カズハの細い左腕をセイランに示すと何故か苦笑されてしまった。
「大事にしすぎじゃないか? 私はカズハを取りはしないぞ」
「今のカズハは何もできないのですから、世話をするのが当たり前です」
咄嗟に口から飛び出したのは、言い訳めいた言葉だった。セイランの苦笑が深まる。
「まぁ、いい。今のお前は侍女だからな。……侍女を辞めたくなったら、早めに言えよ」
「侍女を辞めたいとは思いません」
私の即答にセイランが珍しく笑い声をあげた。カズハのそばにいられるのなら、侍女で構わない。女装も長年続けてきたので慣れている。
「…………そろそろ目が覚めるだろう」
カズハの脈を診たセイランの声で安堵の息を吐く。
「黒月妃リンシャオは病を理由に離縁して宿下がりする。……顔の半分が突然崩れるように爛れたらしい。〝華蝶の簪〟の伝説は知らなかったそうだ」
毒酒を用意して運んだ侍女も重い病に掛かっていると、花茶を飲みながらセイランが言った。
「妃に欠員が出るということですか」
人数が減ればカズハが望む皇帝の正妻の位置に近づける。自分で口にしておきながら、心が軋むような苦しさを感じる。
「いや。新たな女が補充される。皇帝の月妃として娘を後宮入りさせるというのは、貴族にとって夢だからな」
「……主が死んでも、新たな白月妃が選ばれるということですか」
血の気が引いて行く。カズハ以外の主に仕えることは考えられない。
「そうならないように護るのがお前の願いだろう?」
「はい」
今回の件で自覚した本当の願いを隠しながら、私は答えた。
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