第19話 自衛の自炊

 さらに二日が過ぎて、ようやく寝台から出ることができた。起き抜けに出された白湯を勢いよく飲み干し、小さな庭で軽く屈伸して腕を回す。

 思い返せば後宮に入ってから、体を動かすことがなかった。村では特別に運動しなくても、畑仕事で十分だった。


 朝日を浴びながら背伸びをして、爽やかな空気を吸い込む。庭の木に咲く白い花や草木の匂いが胸に満ちる。この気持ち良さをすっかり忘れていた。


「すっきりしたー!」

 振り返れば微笑むユーエンが立っている。朝の光を浴びると美人がさらに輝いて見えるから不思議。


「あー、冷たい飲み物が懐かしー」

 この世界では春や夏に冷たい飲み物は望めない。冷蔵庫を開ければ冷たい飲み物がいつでも飲めるというのが、どれほど贅沢なことだったのか。今となっては懐かしい。


「冷たい飲み物、ですか?」

「あ、いいの、いいの。冬の楽しみに取って置くから」

 真面目なユーエンなら私の思い付きを実現してしまいそうなので、慌てて打ち消しておく。


「さ。朝ご飯作りましょ!」

 ユーエンの手を握って、私は厨房へと向かった。



 一階の奥。窓が開け放たれた厨房は明るい光に満ち溢れていた。壁も石で出来た床も、くすんだ暗さが無くなっている。

「あれ? もしかして、掃除してくれた?」

 作業台の上には、まな板。棚には包丁が掛けられている。籠に盛られた野菜は瑞々しい。微笑むユーエンにお礼を言って、料理に取り掛かる。


「あー、なんか、この世界に来てから、もっと勉強しとけばよかったって後悔しまくりよ」

 自分で作ると宣言してみたものの、粉末だしはないしマヨネーズも醤油もない。味噌は豆の形がはっきりわかる豆味噌。


 村では釜で雑穀入りのご飯を炊くのは男の仕事だったし、おかずの基本は鍋に何でも入れるごった煮スープと固ゆで卵。時々、野ウサギや鳥、鹿の焼いた肉が出る。調味料は塩と香草と生姜とニンニク。手伝っていても料理をしていたという気はしない。


 朝から格闘して昼前にようやく出来上がった朝食は酷い出来。初めて鍋で炊いたご飯はお粥のようだし、塩漬け魚の焼き物は、焼く前にうろこを取っていなかったのでパリパリに焦げたうろこが逆立っている。お味噌汁のだしの取り方がわからなくて、具も兼ねて昆布を適当に入れてみたら、水を吸って巨大化した。


 唯一成功していると思えるのは砂糖入りの甘い卵焼きだけ。どうしてこうなった。


「……失敗し過ぎてて酷い出来だけど、食べてくれる?」

 恐る恐るユーエンを誘ってみると、やたらと良い笑顔ではいと答えてくれた。これは絶対気を付かってくれている。そう思うけれど、出来上がった量が半端ないので一人では絶対に食べきれない。


「いっただきまーす」

「いただきます」

 食事の挨拶はユーエンにもすっかり定着した。


「これよ、これ。焼いたら塩が噴き出るこの辛さ! ん~、最高!」

 焼き魚の見た目は酷くても味は美味しい。涙をのんで皮を剥がせば問題ない。辛塩鮭が大好きな私には最高な味に仕上がっている。


 ユーエンは甘い卵焼きが気に入ったようで、ちょっと嬉しい。


「おっしゃっていた醤油は外国で作っていると聞いたので、取り寄せを頼みました」

「ホント!? やったー! まともな和食が食べられるー!」

 醤油は異世界人が作っているらしい。私以外にも異世界人がいるということに、妙な安心感が生まれる。この世界に落ちてきたのは私だけじゃなかった。嬉しいと思うべきではないけれど、正直に言えば嬉しい。



「食べ物を粗末にする人間って、ろくな死に方しないと思うの。毒とか変な物入れたりとか、本当に信じられない」

 ユーエンと並んで皿を洗いながら、愚痴を零す。


 料理に異物が入れられたり、毒が入っているのを毎回検査して気にするよりも、下手でも自分で作る方が安心。そんな簡単なことに気が付かなかった自分が憎い。後宮で暮らしていくなら自衛は必要だと、毒で倒れてやっと心から理解できた。


「私に毒が盛られて死にかけたって、リョウメイは知ってる?」

 何の連絡もないし、見舞いの花や手紙もない。皇后にと望んでくれているのだから、私の心配をしてくれてもいいと思う。……私が簪を持っているから何があっても大丈夫だと思っているのかもしれないけど。


「侍従長と侍女長には報告しておりますが、そこから先は私にはわかりかねます。宰相ならご存知ではないかと思いますが」

 宰相に会いたいのなら連絡をするとユーエンが言う。


「ううん。いいの。仕事の邪魔をするつもりないし」

 本当は真実を知るのが怖い。もしも知っているのに放置されているとしたら、私はリョウメイにとって必要のない女になってしまう。


 震えそうな心を押し込んで前を向く。

「さっき切った青ネギの根っこ、外に植えていい? また伸びるから一回くらいなら収穫できると思うの」

「え? あ、はい」

 皿を洗い終えた私たちは、小さな庭へと向かった。

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