第12話 悪意の結晶
「そろそろやめてくれないかしら。蜘蛛だらけになりそうよ」
届けられる荷物に蜘蛛が入っていることが続いていた。糸を吐く種類ではないので蜘蛛の巣だらけにはならなくても、狭い島や部屋のあちこちで遭遇してしまう。
同封されているメッセージの悪意が深まっていく。学の無い田舎者は月妃にふさわしくない、月妃は美しくなければならない等々、平民である私に対する嫌味が書かれている。
「あー、教科書を鞄に入れてたら良かったー」
転移した日は友達と買い物に行く約束をしていたから、教科書もタブレットも教室のロッカーに入れたままで鞄の中にはノートと筆記用具くらいしかなかった。
「あの教科書見たら、学が無いとか絶対言わないと思うのにー。こーんなに分厚い本が何冊もあったのよ」
ユーエンに向かって指で厚さを示してみる。言っても仕方ないとは思っても、ついつい反論したくなる。
「カズハ様のお生まれになった国は、良い国だったのですね。平民の誰もが学ぶことが出来るというのは素晴らしいことだと思います」
ユーエンの言葉が胸に響いて寂しい。戻れない世界の日常が瞬間で頭の中に溢れて流れていく。
「そうね。全然気が付かなかったけど良い国だった。文字を書いたり読んだりすることが普通だと思ってたけど、そうじゃなかったんだって、この世界に来てから知った」
この世界では文字を書けなくても暮らしていける。ただ、それは何の保障もなく、一生働き続けて搾取されるだけの存在であり続けるということ。
誰もに学ぶ機会が与えられ、さまざまな職業への可能性があるというのは、とても幸せなことだと、この世界に来てから気が付いた。
「王宮の書庫から何か本をお持ちしましょうか?」
ユーエンの提案で、私はこの国の歴史書を読むことにした。
朝から騒がしい日だった。周囲の宮から女性たちの悲鳴が何度も聞こえる。風の方向が変わると薬くさい何かを燃やす匂いがほのかに漂う。
「何かやってるの?」
「ネズミの駆除です。年に四回、薬草を焚いて捕まえます」
「あー、そうか。ネズミって泳いでくるもんねー。あれ? ここは?」
「ここは全くネズミがおりませんので」
「もしかして……?」
「おそらく」
ユーエンが静かに苦笑する。ネズミは蜘蛛たちが美味しくいただいてしまったのだろう。
「他の宮へ蜘蛛をお裾分けした方がいい? 箱に詰めて」
「それは嫌がらせになりますよ」
「えー。ネズミにあちこちかじられるより良くない?」
ネズミは可愛いと思えない。新宿の繁華街で、巨大で丸々としたネズミが側溝から出てくるのを見てから苦手。流行り病の時のネズミの殺処分は、リョウメイが男の仕事だからと言って見なくてすんだ。
今日も何の変化もない待つだけの一日が繰り返されていく。
白月宮に誰かを呼ぶことはもうやめた。何かを盗まれてしまうかもしれないと最初から疑うなんて私には無理。
先日〝華蝶の簪〟を盗んだ女性は証拠がないと言い張って無罪になったらしい。盗んだ簪が私の手元に戻っているのだから仕方がない。手鏡や化粧筆、小さな文鎮が無くなっているのに気が付いたのは昨日のこと。
この国の歴史書を開いてみたものの、少しも頭に入らない。堅苦しい文章を読み進めても、途中で不自然な個所を見つけてしまって、ここを改ざんしたのかと心の中で突っ込みを入れてしまう。ツギハギだらけの歴史の不自然さは、物語だと思っても読みにくい。
膝の上に本を置き、イヤホンをしてスマートフォンで音楽を聴きながら窓の外を眺める。携帯用の太陽光電池で充電して久しぶりに起動させた。どうやっても回線が繋がらないことは、この世界に来たばかりの頃に確認済。
音楽と写真と友達とのくだらないメール。何の変哲もない日常が、今となっては貴重で大事な思い出になっている。学校なんてつまらない場所だと思っていたのに、もっと勉強しておけばよかったという後悔しかない。
見上げれば赤い月と緑の月、そして小さな白い太陽が輝く青い空。思い出すのは、リョウメイと一緒に見た風景ばかり。
リョウメイからの贈物は頻繁に届く。主に装束や装飾品、そしてやっぱり恋愛物の絵巻物と本。私が好きな春待華が添えられているだけで手紙はない。花だけでも選んでくれることは嬉しいとは思っても、何か一言だけでも言葉が欲しい。
小舟で何かが届けられた。受け取ったユーエンが部屋で箱を開けた途端に閉めた。
「何? 蜘蛛がいっぱいとか?」
「ええ。性質の悪い悪戯です。外に出してきます」
すばやく立ち上がったユーエンは、今まで見たこともない厳しい表情をしている。凛々しさに胸がどきりと高鳴った。
「ユーエン、待って。何が入っているの?」
「蜘蛛です」
嘘だと思った。駆け寄って箱を開けようとしたけれど強い力で阻止される。
「私に見せられない物なの? ものすごく気になるんだけど」
「動物の死骸です。見ない方がいい」
厳しい表情のまま、ユーエンが階段を降りていく。
「待って。捨ててしまうの?」
「いえ。土に埋めてやります。五日もあれば消えてしまうでしょう」
この異世界では人や動物が死ぬと、何の処置もしなければ遺体が消えてしまう。
王宮の庭の片隅に行くというユーエンを止め、私は白月宮の庭に埋めればいいと提案して一緒に場所を選んで穴を掘る。
「カズハ様、目を閉じていて下さい」
そう言われても、何の死骸なのか知りたかった。私が一度言い出すと諦めないことは理解されている。
「いいの。見せて」
「……覚悟して下さい」
箱の中に横たわる無残な姿に、私は息を飲んだ。
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